反転世界
「《全行程並列駆動》――」
魔力を練り上げた途端、蒼い外套に描かれた魔術式が一斉に起動。
背中の円の形をした魔術式はもちろん。金色の刺繍が施された袖にも幾重もの魔術が浮かび上がる。
それらは一定の形がなく、時間が経つにつれ、また、新たな魔術式へと生まれ変わる。
「《同期固定》――《術式解放:空間凍結》」
クロトは《黒魔の剣》の切っ先を地面に突き立てる。
剣を中心に波紋が広がり、神殿全体へと浸透する。
ズシン……という地響きと共に、崩壊寸前だった神殿の崩落が停止した。
《空間凍結》――それは術者を起点とした一定範囲の動きを氷属性の《凍結魔術》によって固定することだ。
地響きは空間を固定した時に地表すら強引に凍らせた結果、地層にズレが生じたから。
このまま凍結状態を維持すれば、そのズレはひどくなり、そのズレを元に戻そうとする力が強くなる。
それは自然災害の中でも驚異的な破壊力を持つ『地震』や『地割れ』となってこの国を一瞬で壊滅させかねない力を持つ。
自爆覚悟なら最強の攻撃魔術の一つ。エミナの持つ《ヒョウカイ》を上回るほど。
その術式発動には数百年に及ぶ詠唱を必要とし、人間には再現出来ない魔術。
知識があっても、机上の空論でしかなかった魔術だ。
だからこそ、クロトはこの魔術を起動させることに成功した。
《完全魔術武装》がその幻想を現実に書き換えるのだ。
アイリの《完全武装》は武器と認識した得物を達人の領域で扱える魔術だった。
そして、この蒼い外套はその魔術特性をクロト用にアレンジした物。
それは――
クロトの知り得る魔術なら詠唱や魔術式を一切使用せずタイムラグゼロで発動出来る能力に置き換えられたということだ。
この性能を暴くことが出来たのは皮肉にもあの黄金の瞳をした男に半殺しにされたから。
意識を失い、レティシアの膨大な魔力や虎の子の自分自身の魔力すら無くなり、死に体だったクロトに残されたただ唯一の魔力。
それが一週間前にアイリに注いでもらっていた群青色の魔晶石だ。
一週間前、クロトはロクにこの外套の性能を知らないまま纏い、右目を失った。
けれど、今回は違った。
意識を失っていたからこそ、体が、記憶が、この状況を打破する最適解を導き出そうとしたのだ。
Eランクのクロトでは魔術行使は無理だと理性ではわかっていても、その理性を失っていた僅かな時間、深層意識がそれを許さなかった。
不可能とわかっていながら、体を治癒する魔術詠唱を行い、それと同時に、敵を排除する魔術詠唱を行っていたのだ。
そして、その無駄な詠唱を魔術として完成させたのが《完全魔術武装》だった。
蒼い外套はクロトの詠唱通りの魔術式を外套に刻みつけ、外套の魔力によってクロトの虚言を本当の魔術へと昇華させている。
それこそがこの外套の正当な使い方。
クアトロ=オーウェンの頃に知り得た知識や魔術だけで無く、机上だ、空論だとさえ、言われた魔術式すら記憶として保有しているならそれを実現させるだけの力を持った『魔術の外套』だ。
そして、この外套の性能はそれだけ無い。
クロトが右目を犠牲にしてまで獲得した『ゼリーム』の肉体強化。それすらも今は自由自在に引き出せるのだ。
「てめえ……どうやってこの魔術を」
「教える義理なんてねえだろ。《術式再展開――転移》」
クロトはリュウキの敵意溢れる言葉を無視し、クアトロ=オーウェンが得意としていた魔術|《転移》を発動させる。
クロトの周辺が歪に歪み、バチッ! バチッ! と紫色の電気が走る。
座標指定した空間を魔術によって歪め、強引につなぎ合わせることで一瞬で空間を移動出来る魔術。
空間凍結したことで神殿の外まで転移することは不可能だが、凍結した内部であれば、空間が固まっている分、座標指定が格段にしやすくなっていた。
とは言え、クロトの知る|《転移》はどこへでも移動出来る便利な代物では無い。
既知の魔力を捉え、その魔力を座標指定することで移動出来る魔術。
つまり、クロトの知る魔術師の側にしか移動出来ないのだ。
その魔術をもって、クロトはアイリの側へと転移する。
「アイリ、辛い思いをさせて済まなかった」
衣服を剥がされ、されるがままだったアイリの瞳にはもはや意識も自我すら無い。
完全に壊れた人間――いや、もはや人形とすら言える彼女に残されたのはただ生きるという機械的な機能だけ。
一人の少女をここまで追い詰めたコイツらを許すことは到底出来そうに無かった。
アイリ以上の目にあわせないと気が済まない。
もう、クロトの意識から『楽に殺す』という手段は消え失せていた。
クロトはそっとアイリの顔に手を添え、撫でるように瞳孔が開ききった瞳を閉じさせる。
さらに額に手を置き、魔術を起動。
アイリを中心に魔術式が浮かび上がり、アイリの破けた服を修復させていく。
「てめえ、何してやがる!」
クロトの行使する魔術の性質を理解したリュウキが激昂していた。
これは《時間回帰》と呼ばれる机上の治癒魔術。
時間を巻き戻すことで、怪我を癒すことを目的とした魔術だった。
もちろん、魔術式や詠唱に膨大な時間が必要な魔術。
そんな無駄な時間を浪費している間に、他の治癒魔術で怪我は治るとバカにされてきた魔術だ。
だが、アイリの心の傷――そして、汚された体を治すにはこの魔術しかないのも事実。
アイリの寝息が穏やかなものになったところで手を離す。
空間凍結してからすでに一分ほど時間が経過していた。
空間凍結と並列稼働させていたもう一つの魔術がアイリの治癒と同時に完了。
クロトはすぐさま空間凍結を解除した。
その瞬間――
ズズズズ……
という地響きが鳴り響き、床が激しく揺れる。
空間を凍結したことによる地表のズレが元に戻ろうと移動をはじめているのだ。
その揺れはさらに強さを増し、立っていることが困難なほど。
崩壊寸前だった神殿はこの地震に耐えられるはずも無く、大きな音を立てて崩壊しだした。
「瓦礫に埋もれて死ね」
クロトは首を切る仕草をしながらアイリを抱きかかえる。
いかにも余裕で逃げられるという雰囲気を醸し出して。
「なめんじゃねえぞ、クソガキが! 瓦礫ごときでこの俺を殺せると思うな!」
リュウキはその身に金色の雷光を纏い、降り注ぐ瓦礫に向かって拳を突き上げる。
拳から放出された稲妻が降り注ぐ瓦礫を跡形も無く消し飛ばす。
「俺は魔族の中でも竜の雷を極めた男だ。竜の力を体現した俺にこんな石っころが通用すると思うなよ」
「そうかよ……」
別に驚くことでは無い。
《完全魔術武装》が解析したコイツのデータは読み取ることが出来ない。つまり人間には解析不能な魔術だ。
そんな魔術を持っているコイツがたかが落盤程度で死ぬはずが無い。
目的は別だ。
「――《転送》」
抱きかかえたアイリの体が蒼い魔力粒子に包まれる。
光に包まれたアイリの体が分解されるように消え、腕から彼女の体重が消えていく。
「何してやがる! その魔術を止めやがれ!」
「誰が止めるかよ」
「せっかく見つけた餌なんだぞ! みすみす見逃してたまるか!」
「だから、逃がすんだよ」
アイリの姿が完全に消えるまで後数秒はかかる。
《転移》とは別物である《転送》は自分以外のものを別の場所へと移動させる魔術だ。
もちろん《転移》同様に座標を指定する必要がある。
クロトは迷うことなく、エミナの魔力を指定していた。
エミナなら絶対に大丈夫だという信頼感。今、この国で一番安全な場所がそこだった。
「クソ! 逃がしてたまるか」
「お前には俺がいるだろ?」
「てめえの借り物の魔力なんかに興味はねえんだよ! すっこんでろ、雑魚が!」
「そうかよ。けど、アンタに拒否権はないぜ。《並列処理終了。空間処理。全行程反転。浸透――》」
光となって消えたアイリに代わり、《黒魔の剣》を引き抜くと、空間凍結と並列して起動させていた魔術から読み取った情報で、さらなる魔術――
「――《起動:反転世界》」
禁書目録にすら載ることのなかった大禁呪を起動させた。