共に眠れ
「――嘘だろッ……!?」
クロトは目の前の出来事に我を忘れ、呆然と呟いた。
ありえない。
その光景を前に冷や汗が止まらない。剣を握った手が震えていた。
「――なるほどな」
痩躯の男は指先一つで《黒魔の剣》を受け止め、撫でるように剣の切っ先を受け流す。
体勢が崩れ前のめりになるクロトに冷淡な視線を向けていた。
クロトは咄嗟に体勢を立て直すとすぐさま返す刃で男の首に斬りかかる――
だが――……
剣が男の首に触れた瞬間、剣を握ったクロトの腕がピタリと止まった。
ブワッと剣の巻き起こした風圧が男の前髪を揺らす。
だが、それだけ。
男の首が飛ぶわけでもなくクロトの剣が男の体を傷つけたわけでもない。
まったくの無傷。
目の前のソイツは濃密な魔力を纏わせたクロトの斬撃を物ともしなかったのだ。
さしものクロトもこの状況をまったく予想することが出来ず……
『魔力装填』で魔力密度を圧縮させた斬撃が何の意味も成さなかったことにクロトの思考は完全に停止していた。
剣を挟んだ二人の間に僅かな沈黙が流れる。
そしてその静寂を破ったのは首筋に黒い刀身を当てていた男だった。
「この魔力、貴様の持つ剣が放っているものだな?」
「……それが、どうした?」
「借り物の力、偽りの魔力、そして貴様の命を繋ぎ止めている楔――その全てを担っているのがこの剣だ。そうだろ? クアトロ=オーウェン」
「――ッ!?」
男は淡々とその言葉を口にした。
クロトの顔を見て、クロトとは違う男の名を……
(マズイッ――!)
クロトは咄嗟に剣を下げ、魔力を足元に集めていた。
『魔力装填』を使って距離を離す――!
クロトは咄嗟にその判断を下した。
その判断に間違いはなかった。
ただ間違いがあるとすれば、目の前の男との実力差だけだ。
クロトが足元に魔力を溜め、それを放出する直前、痩躯の男の姿が掻き消えた。
虚をつく行動にクロトは目を見開く。
その直後――
想像を絶する衝撃がクロトの脇腹を直撃。
弾丸のように吹き飛んだ体はバウンドしながら神殿の壁に激突。
それだけに留まらず、崩壊しかけていた神殿はその衝撃で半壊。大量の瓦礫が倒れ伏したクロトの上に降り注いだのだ。
勝負の決着は一瞬でついた。
痩躯の男が放った回し蹴り一発。
たったそれだけで二人の間には圧倒的な実力の差が示されたばかりか、たった一撃でクロトの意識を刈り取ったのだ。
◆
クロトと相対してしたレイジは彼の異様さに驚きつつも冷静に対処していた。
いかに高密度の魔力を持っていようがレイジの体に傷を与えることは出来ない。
どれほどの斬撃であれレイジの前では無力。
戦うに値しない人間。
そう判断しながらもレイジはクロト――否、クアトロの命を刈り取ろうとしていた。
それはなぜか?
理由は簡単だ。クロトという人間がこの世にいるからだ。
転生の魔術はこの世界に存在しない。だが、クアトロはこの少年の魂の中に確かに息づいている。
それはクロトの握る《刻魔》を見れば一目瞭然。
《刻魔》はクアトロの為の杖。あの杖はクアトロ以外の人間を認めることは決してない。
(ずっと疑問に思っていたことがあった)
それはクアトロの死因だ。
クアトロは自らの胸に《刻魔》を突き立て絶命した。
だが、本来であればそれは起こり得ない。
《刻魔》はクアトロの命を決して奪いはしない。あらゆる手段を使って生き存えさせるはずだ。
それこそが《刻魔》に与えられた役目。クアトロ=オーウェンという鍵を存続させるために用意されたこの星が作りだした星創魔導器。
だから疑問だった《刻魔》がクアトロの命を奪ったという事実が。
あの杖はクアトロを殺してはいなかった。どういう手段を使ったのか知らないが、《刻魔》はクアトロの魂を転生させたのだ。
新たな鍵が眠るこの時代に――
(余計なことを……)
そう思わずにはいられなかった。
《刻魔》の判断はレイジたちにとってイレギュラーなものだからだ。
オーウェンは死に、代わりに新たな鍵が生まれた。
それでいい。全ては上手く回っていた。
来たるべき日に備え、この星は新たな希望を生み出したのだ。
だからこそ、レイジはこの男――クロトを異分子として排除することを決めた。
古き鍵。《刻魔》の誤った判断――
そして、何よりもこの男は新たな鍵と関わりがあった。
ランクSオーバーを超える魔力がその証拠。
それだけの魔力を持つ存在はこの世界に一人しかいない。
古き鍵と新たな鍵が交わることでどんな変化が生じるか予想することが出来ない。
だからこそ、今ここでクロトを殺す必要があった。
まあ、鍵にもっとも近い男を殺したとあらばあの堕天使になにを言われるかわかったものではないが……
レイジが崩れた瓦礫に向け足を踏み出した直後、無色の魔力が積み重なっていた瓦礫を吹き飛ばした。
見れば、瓦礫の下で光輝く《刻魔》がクロトの体を支えていた。
脇腹への蹴りの衝撃、そして神殿の壁に激突した瞬間、瓦礫に押しつぶされそうになったその全ての振動を総動員させ、クロトは《刻魔》から魔力を放出したのだろう。
だが――
「それがなんだ?」
クロトの生存はもとより確信していた。クロトを殺すならまず《刻魔》を殺すことから始めないといけない。
《刻魔》がクロトの手にある限り、あらゆる致命傷をあの杖は防ぐ。
現にレイジの放った回し蹴りは本来であればクロトを吹き飛ばすものではなかった。
胴を両断する一撃だったのだ。
それを防いだのはボロボロになった《刻魔の外套》
あの外套こそ、レイジの攻撃からクロトの命を守った命綱に違いない。
「役目を終えたというのに未だに足掻くのか?」
その呟きは《刻魔》に向けてのものだった。
だが、その言葉を拾ったのは満身創痍の持ち主。
「当り……前だ……お前は今、ここで倒す。俺の全てを賭けて」
クロトの血を吐く決意と共に《刻魔》に圧縮された魔力が集まる。
恐らく、クロトの持ちうる最大の攻撃力を秘めた技なのだろう。
レイジはそう確信しながら足を止めなかった。
否、止める必要などなかったのだ。
「いいだろう。そこまでの覚悟なら……」
主もろとも殺してやる。
ここまで生かしてきた主とここで眠れ。
レイジは《刻魔》に対し僅かばかりの敬意の念を抱きながらそっと片手を上げる。
そして――
「いくぜ……《イグニッション・ブレイザー》――!!」
高密度に圧縮された魔力の塊――
この国すらも両断しかねない破壊の一撃を――
レイジは片手を軽く薙いだだけで、クロト最大の一撃を跡形もなく消し飛ばしたのだった――