次元を超えた存在
「――ッ!」
意識が明確になる。
硬直していた手足の感覚が戻ってきた。
――動く。
体がその事実を理解するのに要した時間は僅か数秒。
クロトは握りしめた《黒魔の剣》を勢いよく打ち下ろし、地面に巨大なクレーターを穿った。
破砕音に続き、魔剣の根元に埋め込まれた魔晶石がその振動で膨大な量の魔力を放出させる。
クロトはその魔力を纏いながらカザリを抱いていた男を初めて直視した。
その肢体は鍛え抜かれ、隙一つない。加えて白を通り越した真っ白な肌に黄金色の瞳。
そう。その姿はまるで――
まるで死人だ。
クロトがそう感じたのには理由がある。
目の前にいる男から――まったく魔力を感じることが出来ない。
この世界に生きる生命にはどんなに微弱でも少なからず魔力が存在する。
魔力を生成する術を捨てた島国出身のクロトですら生きるのに必要最低限の魔力が体内を駆け巡っているのだ。
それは大気に存在するこの星の濃密な魔力を呼吸と共に体内に取り込み、生命エネルギーに変換しているから。
生命はこの星と共存関係にある。
星の生みだした魔力はあらゆる生物の活動資源として体内で処理される。
酸素と同じでなくてはならないもの。
なのに、この男からはその魔力の痕跡すら感じ取ることが出来ない。
この男に抱きかかえられたカザリでさえ、エミナの魔力を感じるというのに……
――異常だ。
この男はクロトとは決定的に何かが異なる。
生物としての次元そのものがまったくの別物――
だからこそ……怖い。
生存本能に直接訴える恐怖ももちろんある。
どう足掻いてもこの男には手も足も出ないという現実がのど元に突きつけられた絶望だ。
人間はこの男の前に存在することさえ許されない。
そう思わせる何かがこの男にあるのは事実だ。
だが、それ以上にクロトが恐怖を感じているのは……
そんな危険人物の手の中でカザリが眠っていることだった。
手も足も思考もクロトの思い通りに動く。
先ほどのようにカザリの姿を見てもクアトロの意思に体と意識が飲み込まれることはない。
――カザリを救う。
ただその願いだけがクロトとクアトロの魂の衝突を防いだ契約。
(けど、コイツはかなりヤバいな……)
クアトロの魂を鎮めてようやくこの状況を理解した時、真っ先に思い浮かんだのが『死』のイメージだったのはなんとも情けない話だ。
勝つ以前に戦うイメージが浮かばない。
こんな男からどうやってカザリを奪い返せと?
(カザリを『死淵転生』から救い出す前にまずコイツを倒さないといけないっていのうに……!)
そこに辿り着く過程が何一つ思い浮かばない。
クロトが《黒魔の剣》を握りしめながら黙っていると、目の前の男は冷めた目つきでクロトを――いや、正確には《黒魔の剣》を一瞥した。
「……期待外れだ」
絶対零度を思わせる感情のない声にクロトの肩がビクリと揺れる。
期待外れ? 何の?
とても重要な言葉であるはずなのに、脳がその言葉を理解することをなぜか拒んでいるようだ。
それを理解したが最後、後戻りが出来なくなると警鐘を鳴らしている。
けれど、それでもクロトは口を閉じることを辞めなかった。
「期待、外れ……だと?」
「……そうだ」
話かけられたこと自体が予想外だったのか、男は目を見開きはしたがすぐさま平静を取り戻し、そう言った。
どうやら話を交わす程度にはクロトに利用価値を見いだしたようだ。
そうでなければ今頃クロトの首は足元に転がっていたはず。
クロトはゴクリと喉を鳴らすと異様に乾いた唇を動かす。
「……テメエ、何者だ?」
「貴様には俺に何かを問える資格も権利も存在しない。貴様はただ俺の問いに答えるだけの人間にすぎないことを理解しろ」
「なにを……」
「質問は一つ。その魔力の持ち主はどこにいる?」
「――ッ!」
その瞬間、クロトの理性が爆発した。
カザリの姿を見て、クアトロの意思が体を支配しかけた時以上の衝動。
ああ、コイツだけはダメだ。
コイツの目的が何かは知らない。
けど、コイツとレティシアを出会わせるわけにはいかない。
出会ったが最後、絶対によくないことが起こる。
それだけはわかる。わかってしまう。
だからこそ――
勝てないとか勝負にならないとかもうそんな話じゃない。
ヤツの目的も知ったことではない。
コイツだけは、今ここで、なんとしてでも、絶対に――
(殺す……!ッ)
それだけがクロトに残された本能。
鋭い呼吸と共に地面を蹴ったクロトは濃密な魔力を纏わせ――
有無を言わせぬ速度でその一刀を振った――