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最低最強の英雄譚《リ・スタート》  作者: 松秋葉夏
第二章 最低魔術師と完全武装術師
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二つの意思

 ああ――

 もう二度と会うことはないと思っていた。

 それはクロトとして転生する前、目の前で彼女を――生涯を誓い合ったカザリを失った時か――

 それともあの夜、彼女に『死淵転生』を行い、命も意識もないただの人形へと変えてしまった時か――

 どちらにせよ、もう二度と彼女のその水晶のように透き通った瞳も、女神のように美しい声音も聞くことがないと思っていた。


「う……あ……?」


 カザリが言葉にならない声を発し、虚ろな瞳をクロトに向ける。

 ただそれだけの行為で全身が金縛りにあったかのように指一本動かすことが出来ない。

 体は芯から震え、目尻に熱いものがこみ上げてくる。

 それは涙だ。

 悲しむわけでも怒るわけでもなく、ただ喜び、歓喜に満ちた涙。

 そしてクロトの中に眠るクアトロの魂は彼女の姿を見て、心の底から――純粋に喜んでいた。


 ようやく彼女と再会出来た――

 カザリに会いたかった。


 その声も視線も温もりも――全てが愛おしい。


 抱き寄せ、愛を囁き、あの時出来なかった誓いを永遠のものにしたい。


 愛している。大好きだ。君のいない未来なんて考えられない。



 カザリを求めるクアトロの欲求がクロトの精神を押し流していく。

 混乱する思考。

 二つの意識がせめぎ合うような頭痛にクロトは額を手の平で覆う。


(クソ……わかってるだろ? アレはカザリじゃない! アイツは死――)


 それ以上先の言葉をクロトは思い浮かべることすら出来ない。

 本能が彼女の死を拒絶する。

 そして囁きかけるのだ。『死すら超越する奇蹟が魔術だろう? だからお前は、いや、俺は魔術に全てを賭けてきたのだろう』と。


「――ッ!」


 その通りだ。全てを捨ててカザリだけを幸せに出来る力――『死にたくない』と腕の中で泣きながら息を引き取ったカザリの願いを叶えるためにクアトロは魔術を極めた。

 けど――


(それの夢の果てに何があった? 何もない。だからお前は自分で命を絶つ道を選んだんだろう?)


 クロトは初めて明確にクロトとクアトロの人格を別けて思考の海に放り投げた。

 そうでもしなければ体が引き裂かれるような淡い想いと彼女に刃を向けようとするクロトの意思に潰され体の方が先に壊れかねないからだ。

 クロトとクアトロはまったくの別人。

 今までクアトロの意識は深層深くで眠り、それが表面化することはほとんどなかった。

 クロトの決断にクアトロの意思が反発することなどなかったのだ。

 けど、今日初めて彼は異を唱えた。彼女――カザリを殺すことは許さないと。




 思考の闇に埋もれた二つの人格は互いに向かいあって視線を交差させる。

 クアトロの手に握られた《黒魔の剣》が禍々しい色を放ちながらゆっくりと持ち上げられた。

 あれに貫かれたら最後、クロトとクアトロ――均衡を保っていた二人の意思が崩れ、クロトの意識が消滅するかもしれない。

 クロトとして転生して十数年。その中で出会って来た友達や仲間――

 そして大切な家族を守ろうとする想いと今ではその家族以上に大切なパートナーの笑顔。

 それらを天秤にかけ、クロトはカザリの想いだけに染まったクアトロを見た。


 クアトロは死ぬ前と何も変わらない。ただ愛する人の為に全てを捧げる男だ。

 何を捨ててでもただ一つだけを守る。その根源はクロトと同じ。いやそれ以上か。

 ただ一人の少女の為に戦って来た男は鋭い視線でクロトを睨む。


 違う。絶望などしていない。俺はやり方を間違っただけだ。次は失敗しないとクアトロの意思がクロトの体を穿つ。


 けど、それこそが間違いだ。


(俺は絶望した。すがった魔術に絶望して泣いたんだ。それは俺が……俺たちが何よりもわかっていることだろう? 俺達が選んだ答えは間違いだったんだ)


 魔術でダメなら他の手段を――

 彼女を幸せに出来る手段は何も魔術だけではないのだと……


 そもそも――


 クアトロは思考の海でその手に掴んだ《黒魔の剣》を向けクロトに問いかける。


 お前が希望を抱いた相棒は彼女の死を望むのか?


 クロトはその問いを前に凍り付いた。

 何をバカなことを聞いてくるのだ。と吐き捨てていいような問いかけ。

 だが、その問いを前にクロトは返す言葉を見失った。

 そしてクアトロは皮肉めいた笑みを浮かべて言ったのだ。


 望むわけがない。と――


 彼女の夢は、願いは誰もが幸せになれる魔術を見つけること。

 今、ここでカザリを殺せばクロトは二度と救われない。彼女の夢をクロト自らが絶つ行為に等しい。

 ならば彼女は望まない。カザリの死を、俺が絶望に崩れるその姿を見たいとは思わないはずだ。


 何より――俺に好意を寄せているレティシアが俺の不幸を望むわけがない――。


 クアトロはそう言い放ちながらクロトの体にずぶりと《黒魔の剣》を差し込んだ。


 だから彼女を救うことはお前にとっても間違いじゃないんだ。

 ここは俺に任せろ。


《黒魔の剣》から放たれる漆黒の闇はクロトの意識を埋め尽くす。

 このまま体の主導権をクアトロの意思に任せるのも悪くない。

 そうすればカザリは無事で、アイツの泣く顔も見なくて済む。

 何より、これは……俺が救われる未来だ。


 カザリを失い止まってしまった時間。

 それを動かそうと必死にもがいてその度に絶望してきた。


 そしてクロトとして生き十数年、未だ一度として救われたことはない。


 あるいはレティシアこそがクロトをこの闇の中から引っ張り上げてくれる希望だと思っていた。

 けど、自分の力で自分を救えるならその方がいい。


 思い出せ――一番の望みを。


 それこそが俺の救いだろ?


(ああ。そうだ……)


 クロトは貫かれた体を見て苦笑する。

 クロトの手元に剣はない。

 だがその身に纏っていたのは闇の中でも輝き続ける黒の外套。


 これはレティシアの守りたいという願いが具現化された力。

 クロトを守る温もり――

 そして二人がかけがえのない最低で最強の魔術師である証だ。



 クロトはゆっくりと体を貫いた刀身を握りしめる。

 その直後。

 無色に輝く光が闇に侵食されていたクロトの意識を包み込んだ。


 あぁ、そうだ。間違っていた。


 クロトの望みは最早クアトロ程度が推し量れるものではなかったのだ。

 クロトの願いはもう決まっていた。

 レティシアの夢が叶う瞬間を隣で見ることだ。


 だからクロトは容認出来ない。

 カザリがこのまま『死淵転生』に捉えられ、人形として生き続けることも、クアトロが絶望したままでいることも。

 なぜならそのどちらも魔術によってもたらされた絶望で、最低最強の魔術師が否定すべき絶望だからだ。


(クアトロ、お前の言い分は間違っていない。レティシアも俺もカザリの死を望んでいるわけじゃない。

 けど、それはカザリをこのままにしておくってことじゃないんだ。俺はカザリを救いたい!)


 それはカザリが死ぬ間際に言った願いとは異なる。

『死にたくない』と口にした彼女。

 けど、カザリは本当にこんなことを望んでいたのだろうか?


 クロトが垣間見てきたクアトロの記憶に残る彼女は決してこんなことを望まないはずだ。


 将来を夢見て笑顔を覗かせたカザリ。

 カザリの望みは本当は『死にたくない』ではなかったのではないか?

 将来が……クアトロとの夢が消えていくことに耐えられず漏らした弱音ではないのか?

 もし本当に『死淵転生』が完成し、カザリが蘇り、この状況を見たらどう思うのか?


 エミナの命を奪ったことだけじゃない。こんな狂気に駆り立てられ、沢山の屍を築いたクアトロに彼女自身が絶望し、また自ら命を絶つのではないか?


 何よりも人と魔術、世界を愛した彼女がこんな復活を喜べるわけが……

 クアトロのいない世界に絶望しないなんてことあるわけがない!


(カザリを愛する俺が――カザリの絶望を望むはずがない!)


 クロトが《黒魔の剣》の根元に埋め込まれた魔晶石を叩いた直後――


 暗闇に沈んだ思考を無色に輝く光が包み込んだ。


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