最低、最低、最低ッ!
「いい加減にしなさああああああい!」
入学してはや一週間。
今日も恒例となりつつあるレティシアの絶叫が教室中に響き渡った。
自習をしていたクラスメイトたちは「またか……」と一瞬だけレティシアたちに視線を向けただけですぐに教科書へと視線を戻した。
レティシアは机をバンバンと叩きながら眉を吊り上げる。
その視線の先には席替えの結果、隣同士となったクロトが気だるげそうにレティシアに顔を上げていた。
「どうしてアンタは教科書もロクに開けようとしないのよ? 少しは真面目に勉強しなさい!」
担任のマークがアリーナの使用許可の承諾を取りに行っている間に急きょできた自習時間。
クラスの大半はアリーナで実習予定の『魔力運用』についてもう一度目を通していた。
レティシアも一度は教科書を開けたが、その集中を妨害するかのように隣からクロトのイビキが聞こえてきたのだ。
今日の怒りの発端はまさにそれだ。
自習となった途端、机に涎を垂らして爆睡したクロトにレティシアがキレた。
「真面目にやってるよ。俺は真面目に夢の中で勉強していたさ!」
「夢じゃなくて現実でしなさい! 私の目の前で教科書くらい広げなさいよ!」
「ふ……教科書を広げるくらいなら俺は夢の世界へと翼を広げるさ――というわけでお休み」
「寝るな! 起きなさい! ちょっとは私のことも考えてよ!」
「え~別にいいじゃん。成績なんて下らないしがらみからお前も解放されろよ。さあ、一緒に夢の世界へと旅立とうじゃないか」
「誰が行くか! アンタが真面目にやってくれないといつまで経ってもペアとしての成績が上がらないのよ!」
レティシアの指差した教室の掲示板には一枚の紙が貼られていた。
そこにはクラスのペアが書かれ、その横には魔術で伸び縮みする《インスタント魔術》――通称《マグネットグラフ》がペアごとに張り出されていた。
この《マグネットグラフ》は決められた目標を達成すると伸びたり、もしくは縮むという魔術道具だ。
一般的な使われ方としては、ダイエットの時の目標体重を設定して徐々に縮んでいくグラフを目標に励むなど、何かしらの目標設定には大変役に立つ代物だ。
レティシアの家にも一つあり、それは母親が料理の時にタイマー代わりに使用するなど、使う人によってその役割は大きく変わる。
そして、教室にある《マグネットグラフ》の設定は単純明快。
ペアごとの得点をわかりやすく数値化したものだ。
ペアごとの得点が高いほどグラフが伸び、逆に悪いとグラフが縮む。
レティシアとクロトのペアのグラフは一番短かった。つまりは最下位だ。
べつにクラス内での得点は特別な意味合いはない。
どちらかといえばクラス内で切磋琢磨して、クラスの質を高めようとしているものだ。
この一週間、不動の最下位を叩きだしてきたレティシアとしてはこれから行われる初めての演習でなんとしても挽回したかった。
だというのに、ペアであるクロトにその気が見られない。
思えば、これまでの失点はすべてクロトのせいにあった。
例えば――。
教科書一式を持ってこなかったことで減点。
授業中に居眠りをしたことで減点。
無断欠席で減点。
小テストの答案を適当に書いて減点。
その時の最終問題、卒業後の未来について述べよ。と書かれた問題に対し、クロトの書いた答案は――。
将来の夢は立派なお嫁さん
書かれた答案はクラスでもさすがに失笑された。
マークの「君は男の子ですよね?」いう突っ込みに「じゃあ婿でいいっす」と答えたクロトが廊下に立たされたのは記憶に新しい。
ともかくクロトのやる気の無さはすぐさま学院中に知れ渡ることとなり、最低魔術師の知名度はうなぎ登りに広がっていった。
レティシアとしてはパートーナーにそんな汚名がつけられるのは相方として我慢できず、必死になってクロトをフォローしようと頑張った。
だがレティシアの努力よりもクロトのダメっぷりが軽く凌駕し、汚名をそそぐこともままならなかったのだ。
そして、レティシアが影で『期待外れの英雄』などと噂されているのもこのクロトの悪行が目立ちすぎているからだ。
「まぁまぁ、レティシアも落ち着いて」
レティシアが頬を真っ赤に染めて肩で息をしていると、ノエルが遠慮がちに声をかけてきた。
ちなみにノエルのペアはクラス首位をキープしていた。
レティシアは涙目でノエルに向き直る。
「……どうして私のペアがノエルじゃなかったのかしら?」
「レティシア、それは言わない約束だよね?」
「うう~ゴメン……」
レティシアは力尽きた様子で項垂れると席に戻って教科書を開きはじめる。
クロトとペアになる時にレティシアはある約束をノエルと交わしていた。
クロトと組むのは自分の意志だと。
クロトの魔術師としての真意を自分の目で見極めたいと。
だからクロトとペアを組むことを決めたのだ。とノエルに打ち明け、クロトとペアになったことに不満を漏らさないことを約束した。
そうでもしなければレティシアは自分の平常心を保てそうになかったのだ。
ノエルはレティシアのことを理解し、レティシアが不満を漏らそうものならこうして口酸っぱく注意してきたのだ。
本当に理解ある友人が出来て良かったとレティシアは心の底から感謝していた。
今のレティシアが心が折れることなくクロトこうしてペアを組んでいられるのは間違いなくノエルのおかげなのだから。
「どうしてそこまで熱心になれるんだか……」
「……え?」
何時もならレティシアが一方的に怒鳴り、クロトはそれを適当に聞き流すだけ――。
それがお決まりとなってきていて、レティシアもクロトが言い返してくるなんて思いもしなかった。
「だから、どうしてそこまで魔術に必死になれるんだ?」
「どうしてってそんな当たり前のこと聞く必要ないでしょ? 魔術師を選んだ以上、誰よりも立派な魔術師になるのは当たり前のことじゃない」
「立派ね~ それってあの『クアトロ=オーウェン』のようにか?」
「そうよ。それがいけないこと?」
クロトはレティシアのことを見ると鼻で笑った。
魔術ばかりかこの国の英雄すら馬鹿にする態度に一度矛を収めたレティシアの怒りが再び鎌首をあげた。
「ちょっと、なによ。言いたいことがあるならはっきりと言いなさいよ」
「……どうして、どいつもこいつもあんな男に憧れるのか俺にはさっぱり理解できないだけだよ」
「……あんた、それ、いくらなんでも最低よ。この国を創り上げた人を……亡くなった大英雄を馬鹿にするなんて、魔術師として……いいえ、この国に生きる人として最低の発言よ」
ただ怒鳴り散らすのではなく、物静かに、だが険のある声はいつものケンカ以上に教室に響き渡り、誰もがレティシアの怒りに固唾を呑みこんだ。
その中でクロトだけが物怖じすることなくレティシアと向かい合っていた。
「いいや、違うね。俺が最低だって言うんなら、『クアトロ=オーウェン』は人間の屑だって断言してやるよ」
「あ、あんた……!」
レティシアが怒りに顔を染め上げ、椅子を蹴とばして立ちあがる。
クロトは怖気づく様子すら見せずにレティシアを非難するように鋭い視線を向けた。
「なにも思わなかったのか? 『クアトロ=オーウェン』がこの国に魔術をもたらしたこと。なんであいつは魔術を習得したのか」
「そんなのこの国のために決まってるじゃない!」
「いいや、違うね。あいつは自分の欲望のためだけに魔術を習得して、自分の醜い願いのためだけに一国を創り上げた最低な人間だ。そんな人間を英雄視できるなんてこの国の方がどうかしてるぜ。その英雄に憧れるお前の方が俺からしてみれば最低――」
パンッ――と乾いた音が響いた。
様子を見守ってクラスメイトが息を呑む中、クロトの頬を叩いたレティシアは目尻に涙を浮かべていた。
唖然とするクラスの扉がタイミング悪く開かれ、アリーナの鍵を持ってきたマークが目を白黒させた。
「な、なにかあったのですか……?」
言いよどむクラスメイトたちに代わってノエルが口を開こうとした矢先――。
「……………なんでもありません」
――と制服の袖で涙をふき取ったレティシアが顔を俯けて静かに告げた――。