最悪な可能性
『説明、か……』
重苦しい空気をまとって、エミナは話を続ける。
『クロト、お前は魔術を起動する為の条件は知ってるよな?』
『ああ……』
忘れるはずがない。
あの魔術――『死淵転生』には術を発動する魔術師はもちろん、復活させる人間の死体、そしてその生贄となる魔術師が必要だった。
それがクアトロであり、エミナであり、□□□だったのだ。
だからこそ、エミナの胸に浮かんだ刻印に疑念が残る。
複雑な魔術ほど発動には時間をかけるし、失敗する可能性も高くなる。
同じことがは『死淵転生』にもいえる。
あの魔術は……どれか一つでも起動条件が欠ければ魔術は止まる仕組みになっていたはずだ。
十八年前、建国したばかりの魔術国家ウィズタリアでクアトロが行った『死淵転生』――その魔術を止めた方法がまさしくそのピースの一つであったクアトロが自らの剣で命を絶つことだった。
あの魔術はその時に機能を停止させたはず。
それは間違いない。
なにせ、クロトがエミナと再会して数日……偶然にもエミナの半裸を見る機会があったが、その時、その胸元にはこんな刻印はなかったはず。
『いや、待て……』
今、エミナはなんと言った?
『魔術を起動する為の条件』と口にしていた。
もし、十八年前の『死淵転生』を指す言葉なら『あの魔術』といった言い回しを使うか、直接『死淵転生』という言葉を口にするはず。
だが、そんなニュアンスはエミナの言葉に含まれていなかった。
ならエミナが聞いたのは『魔術全般に対しての起動条件』……
けど、待てよ。
魔術全てに共通した起動条件など存在しない。
詠唱にしろ、触媒にしろ何かしらの差違が出てくる。
実際に魔術を使う魔術師にしてもそうだ。
《インスタント魔術》のように魔術師を頼らない魔術が存在する今、魔術を使えるのは魔術師だけという絶対的なルールさえない。
なら、この現行の魔術で統一されたものは何か――……
『まさか……』
クロトの脳裏に何か閃くものがあった。
そしてその考えはエミナの問いかけをただ唯一説明出来るもの。
つまりは『魔術の再起動』
仮にだ。
もし……一度失敗した魔術であろうと材料がそろえば再起動出来るか? と言われれば……答えはイエス。
魔術は再起動出来る。
それも起動停止した直後から、起動されるのだ。
一部の魔術師の間では《セーブ》だとか《ストック》と呼ばれる技術がある。
それは起動した魔術を発動する寸前でわざと失敗させ、その魔術を発動不能状態のまま放置する。そして重要な場面で再起動することで《ストック》した魔術を時間差ゼロで発動する方法だ。
実際にクロトもこの技法を用いたことがある。
いや、用いた記憶があると言うべきか。
クアトロ=オーウェンの体には全身に十三に及ぶ魔術式がまさにそれだ。
体に刻んで必要な時だけ必要な魔術を発動させるそれはまさに《ストック》の原理と同じと言わざるを得ない。
そしてその《ストック》がもし、十八年前のあの時から続いていたとしたら?
何らかの形で条件が成立してクアトロの魔術が起動した可能性だってなくはないのだ。
『……仮に《ストック》状態だとして、いつ発動したんだ?』
最大の疑問がそれだ。
仮に『死淵転生』が《ストック》状態のままだとして発動した原因がわからない。
発動条件は、エミナに□□□、それに死んだクアトロがいないと成立しないはず。
エミナは視線を落とすと表情をより一層険しくさせる。
言いたくない……いや、躊躇われるといった表現の方が近いか……どちらにせよエミナは再起動した経緯を口に出すことを嫌がった。
そして、その理由をクロトはすぐに知ることとなった――
―――――――――――――
エミナは一瞬、レティシアに視線を向ける。
その視線は鋭くもいたわるような色合いで、向けられたレティシアは小さく肩を揺らした。
『起動条件なら整っていたさ。あの日、クアトロが蘇った瞬間に……』
『え……?』
とレティシアの表情が強張ると同時にクロトの中である種の可能性――それも最悪なものが思い浮かんだ。
だが、ありえない。
あの時、クロトは蘇ったクアトロを原型を失うほどの高密度の魔力の塊をぶつけて葬り去ったはず。
それは間違いない。
その考えを確信に変えるためにクロトはレティシアの肩を掴んだ。
『え……? クロト?』
呆気にとられるレティシアの体を回転させ、正面に座らせる。
ゴクリと息を呑んで、クロトはレティシアの制服のブラウスに手をかけると――
勢いよくブラウスのボタンを引きちぎりながら開け放った!
ピン、ピンとボタンがはじけ飛ぶ音。
そしてクロトの視界いっぱいにミルクのような白い肌が飛び込んでくる。
『な……? え……?』
『お、お前……』
レティシアはフリーズしたように硬直し、エミナは目を見開き、クロトの所業に怒りをにじませた。
あとでいくらでも謝る! もちろん命があれば、だが……
そんな思いを胸中に抱きながらクロトはブラウスが破け、動揺のあまり目を回すレティシアの胸元に視線を向けた。
相変わらず発展途上な寂しい胸――と口に出してしまえば間違いなく殺される。クロトは目移りしそうな純白の下着に隠された胸や申し訳ない程度に存在した谷間から全神経を総動員させ、やっとのことで目をそらすと鎖骨の下――胸と鎖骨のちょうど真ん中に視線を向け、安堵の吐息をもらした。
これでひとまず最悪の可能性の一つを排除出来たわけだが……
『く、クロトぉぉぉぉ………』
さて、フリーズ状態から回復し、顔を真っ赤に染めた彼女にどう言い分けしたものか……
『……レティシア』
『…………なにかしら?』
その冷え切った絶対零度の声音にクロトは冷や汗を滲ませる。
間違えるな。ここで一言でも言い方を間違えてしまうと容赦のない粛正が待っている。
言葉を選べ。
そして辿り着くんだ。無事にこの事態を収束できる答えに!
クロトはこの数年でもっとも頭をひねり、やっとの事で口を開け――
『最初にこれだけは言わせてくれ。俺は好き好んでお前の慎ましい胸を見たわけじゃ……』
『この、バカアアアアアアアアアア!』
その全てを言い終える前にレティシアの容赦ない鉄拳がクロトの鳩尾を突いたのだった――。