ブラフ
「――ぐっ!」
斬撃を受け流しながら、クロトはバックステップで距離をとる。
相変わらず接近戦では無類の強さを誇るアイリと剣を交えるのは分が悪い。
クロトは鼻筋を掠めた一撃に冷や汗を流しながら、《黒魔の剣》に装着された魔晶石に手を伸ばす。
確かに剣での打合いは分が悪い。
恐らく互角にもならないだろう。
だが――
魔力で人間を超えた肉体に強化させれば話は別だ。
「《イグニッション・ブースト・ドライブ》――!」
魔晶石を二回叩き、膨大な量の魔力を放出。
クロトはその魔力を体内に取り込み、その全てを『魔力装填』で炸裂させる。
体内でさらに膨大になった魔力はそのまま肉体を強化――
瞬間的にクロトの体は時間という鎖から解き放たれる。
本来ならただの一瞬。一秒もない肉体加速状態。
だが、クロトはその膨大な魔力を連続して『魔力装填』し続けることで強化時間を延長出来る。
故に、今のクロトにただの人間の剣技は児戯に等しい――
「――ッ」
クロトは一息でアイリと距離を詰める。
懐に潜り込まれたアイリは驚愕の瞳を浮かべていた。
当然だ。
アイリにしてみれば瞬きする暇もなく一瞬で距離を詰められたのだから。
それはアイリが剣を振りかぶり、打ち下ろすよりも断然速く、剣を打ち下ろすアイリの表情は凍り付いていた。
クロトは剣が頭に打ち下ろされるよりも速く、アイリの背後に回り込む。
当然アイリにはまだクロトの姿は見えていない。
あまりにも速すぎるスピードがアイリの前にクロトがまだそこにいるという残像を残していたのだ。
クロトは拳を握りしめると、その無防備な背中に一撃入れる。
そして、その衝撃を脳が感じるよりも速く、腰、腕、首筋――さらにアイリの目の前に移動し、太もも、腹部、鳩尾、胸部へと軽いジャブを加えていく。
全ての連撃が終わるとクロトは距離を離し、肉体強化を解く。
その直後――
「あ、あああああああッ!」
全ての攻撃をほとんど同時に喰らった衝撃により、アイリはたまらず膝をつき、苦悶の声をもらした。
―――――――――
は、速すぎる――ッ!
まるで目に止まらなかった。
人間であれば動作と動作の間に一瞬ではあるが硬直の時間がある。
いや、これは人間に限った話ではない。
動きがある全てのものには連動する動作に必ず間が空くのだ。
波が一度引くように、火が空気を吸って火力を上げるように、
動作には必ず何かの予備動作なり隙があり、《完全武装術》で『剣聖』と呼べるまでに剣の腕を上げたアイリにとってその隙を見つけることは容易いはずだった。
だが、出来なかった。
次元が違い過ぎる。
まさか、二撃目に入るコンマ数秒の世界で全身を殴られるなんて思いもしなかった。
(強い……!)
アイリは肩で息をしながら、地面に膝をつくアイリを見下す黒い魔術師を睨み付ける。
その瞳は冷ややかで、彼が一週間前と同一人物だとは到底思えない。
何より、クロトの体から溢れ出す魔力はアイリの魔力感知を持ってすらその底が計り知れない。
ランクSオーバー
その単語が脳裏を過ぎる。
今のクロトの魔力はまさにその領域に達しつつあるのだ。
アイリはゆっくりと立ち上がると呼吸を整える為に時間を稼ぐ。
「まんまと騙されたよ。まさかこれだけの魔力を隠し持っていたなんて……この魔力があれば『ゼリーム』だって余裕で討伐出来たでしょ?」
「……あの時は使えなかったんだよ。そもそもこの魔力は借り物。俺の魔力じゃないしな」
「どういうこと?」
「お前がここから手を引いたら教えてやってもいいぜ?」
「……それは出来ない相談だなぁ」
アイリは《ミーティア》を構え直すと魔力を纏う。
それを答えと受け取ったのか、クロトも切っ先を地面すれすれまで下げ、その刀身の根元に拳を添える。
(きっと、あの魔晶石がクロ君の魔力の源。ならそれが解放されるよりも速く――ッ)
刃を届かせるッ!
魔晶石を殴る暇なんて与えない。
最速をもって斬りかかる。
アイリは最大加速からさらに纏った魔力を推進力に変えることで速度を上げる。
クロトほどとはいかないが、それでもその速度にクロトは目を見開いた。
「せいやああああああッ!」
到底避けることなど出来ない神速の一撃。
クロトは咄嗟に剣を構えアイリの剣戟に受けて立とうする。
けど、それがなんだ!
肉体強化さえさせなければクロトを押し切ることなど造作もない。
現にクロトは右脇腹に放った斬撃の反応に遅れている。
あれでは剣で防げたところで吹き飛ばされるだけ。
「ぐ――ッ!」
クロトの右脇腹を狙った攻撃はクロトの剣に阻まれる。
だが思った通り、不安定な体勢で攻撃を防いだクロトはそのまま大きな弧を描いて吹き飛ばされた。
「まだまだ!」
アイリはすかさず跳躍。
吹き飛んだクロトに追いつくと、渾身の力を込めてクロトを地面に叩きつける。
地面が砕け、噴煙が巻き上がる。
アイリはその噴煙の中に迷うことなく飛び込んだ。
視界が遮断されて判断が鈍るのは三流。
一流の剣士である今のアイリは視界程度の情報が潰されたところでクロトの呼吸、足音、気流の乱れ――何より、クロトの思考パターンを先読みすることでその動きが手に取るようにわかる。
煙を一瞬で消し飛ばすほどの剣圧でアイリは横薙ぎに剣を振う。
ガキンッ!
煙が晴れた次の瞬間、盛大な火花が散る。
クロトは寸背のところでアイリの剣を受け止め、その勢いを利用してアイリから距離を離したのだ。
今度は――まったくの無傷とはいかなかった。
アイリの豪腕が予想以上だったのか、クロトの手がだらりと垂れ下がっている。
剣を持っていた右腕が指先から肩にかけて粉砕されていたのだ。
クロトは額に玉粒の汗を噴き出しながら《黒魔の剣》を左手に持ちかえる。
当然、もう魔晶石を叩いて肉体を強化する芸当は出来ない。
アイリは勝ち誇った笑みを浮かべる。
「もう勝負はついたみたいだね」
「……そいつはどうかな?」
「まだ、その体で戦うつもり?」
「当然だ。負けるわけにはいかないからな……」
「甘いよ。その考え……ううん、そんな体で戦いに出てきた時点でクロ君は負けているんだよ!」
踏み込んだアイリはクロトの右側に回ると一直線にクロトの砕けた右腕めがけて剣を振う。
クロトは小さく舌打ちをしながら体を回し、左腕でアイリの斬撃を受け止めた。
右腕が使えない状況では右側からの攻撃への対処が難しくなる。
アイリはそれを狙った。
だが、本命は別にある。
そして、クロトの反応速度を見てその本命は確信へと変わっていた。
やっぱり反応速度が遅い。
左側からの攻撃と右側からの攻撃でクロトは明らかに反応速度に差が出ていたのだ。
先ほど、アイリは煙で視界が潰されても動きが鈍ることはなかった。
それは今のアイリは《完全武装術》の影響で『剣聖』レベルまで剣の腕を上げているから。
その程度の障害はものともしないからだ。
だが、クロトは違う。
剣術の覚えは多少あるのだろう。
体の捌きも上々。腕も確か。
でもそのレベルは三流。
視界情報が一つでも欠ければその影響は計り知れない。
左右で同じ反応速度を保てるわけがないのだ。
やっぱりそうだ。
「クロ君、右目、見えていないでしょ?」
アイリの言葉にクロトはピクリと眉を動かした。
はっきりとした返答はなかったがその一瞬の動揺で十分だ。
アイリは剣に力を込めながらクロトに肉薄する。
「どうして? 目が見ない状態なのに、どうしてこんなバカな真似……」
魔術師に限らず全ての職種にいえることだが肉体の障害は健全な人と比べ大きなハンデになる。
ましてやその中でも魔術師は魔術の研究も行うが魔獣や他の魔術師と戦うことがあるので肉体は常にベストな状態であるのが大前提。
視力が無いなどもってのほかだ。その時点で魔術の道を諦めるのが妥当ですらある。
なのにクロトは諦めるどころか、剣を持ってアイリに立ちふさがってきたのだ。
もはやその行動は愚行そのもの。はじめからこの勝負の行方は決まっていた。
「……どうしても止めなくちゃいけないからだ」
「え……?」
「お前をこの先に行かせて、もしアイツが目を覚ましたら、俺は、俺は、また同じ過ちを、また大切な家族の命を危険にさらす……だから俺は止める。何をしてでも、俺の体がどうなろうとも……俺に力を貸してくれた頼れる相棒にも言われたよ。必ず止めてって。泣きながらな。だから俺は――」
クロトはアイリの剣を押し返すと《黒魔の剣》を腰に構える。
途端に堰を切ったような膨大な量の魔力が刀身に集まっていく。
それはクロトの纏う魔力の大半を集めたものだ。
(嘘!? 魔晶石に触れていないのに……!)
どこからそんな魔力が?
クロトが魔晶石に触れる隙は与えなかったはず……
振動を与え、魔晶石の魔力を放出させない限り、クロトに魔力を今以上に放出することは不可能なはず……!
(――ッ! もしかして……!)
拳で魔晶石を殴る必要は元から無かったのではないか?
衝撃を与えるだけなら《黒魔の剣》に何かをぶつけるだけでいい。
それこそ剣を交えるだけで魔力が貯まるのでないか――?
アイリの抱いた疑問を――
「《イグニッション・ブレイザー》――!」
無色に輝く魔力の本流がアイリの体もろとも飲み込んでいった――