過ぎた力
群青色の魔力が噴き乱れる。
《黒魔の剣》から溢れる魔力の粒子はそのままクロトを包み込み、その身に新たな力を纏わせる。
空のように澄みきった青い色の《ローブ》――《黒魔の剣》がアイリの魔力の特性から創りあげたその力はこれまでに無い形状をしていた。
まず異彩を放つその《ローブ》には肩から袖口にかけて黄金の刺繍が施され、襟元や《ローブ》の縁にも同等の金色の刺繍が施されていた。
また、その背中には幾何学的模様――いわゆる『魔術式』が描かれ、《ローブ》の放つ魔力によってその『魔術式』は光輝いている。
恐らくこの『魔術式』こそがアイリの特性の象徴。
いうまでもなく、《完全武装術》をクロト専用に『模倣』したものだろう。
そして、今回の《ローブ》の最大の特徴こそが――クロトの周囲に浮かぶ無数の光のパネルだ。
クロトは視界の端に捉えたパネルに目を通す。
そこには今、空中から落下してくる『ゼリーム』らしきものが映し出されていた。
その画面には何らかのグラフがひっきりなしに動き、また画面の隅に描かれた背中と同様の魔術式がグルグルと回転していた。
(なんだ、これ……)
むろん、初めて使う《ローブ》なのだからその性能の全てを把握しているわけではない。
(気になるけど、今はそれどころじゃねえ!)
クロトは一度その画面から目を離すと空を睨み付け、刀身にはめ込んだ魔晶石を幾度となく叩き、その中に封じ込められた魔力を解放する。
それと同時――。
輝きが臨界点に達した『ゼリーム』の体からマグマのようなドロドロとした溶岩の塊が周囲に降り注いだ。
「な、なにあれ!?」
アイリは『ゼリーム』から放たれた無数の火炎の砲弾を見て青ざめた表情を見せる。
当然だ。これまで『ゼリーム』という魔獣は身体の『強化』という魔術しか使ってこなかった。
それが今回に限って初めて別の魔術を使ったのだ。
その事実は驚きを通り越してすでに恐怖の対象へとすり替わっていた。
両手足の骨が砕け、満足に動けない体であのマグマの雨を躱すことなど――。
出来ないと諦めた絶望はクロトが展開した高密度の魔力の壁で完全封殺された。
「別に驚くことはねえ。あれも『強化』の一つだ。俺たちの起したたき火をアイツは吸収して体内に巡る膨大な魔力で際限なく『強化』し続けた。それがあのデカ物に備わった新たな『強化』魔術だろうよ」
「そ、そんなこと……」
だが、その仮説ならいろいろなことに辻褄があう。
仲間がやられても、アイリの攻撃を受けてもその場から動かなかったのはたき火の火種から炎を吸収し続ける為。
そして『強化』した炎がアイリとクロトにとって防御不可能の威力となった時にその力を解放させたのだ。
クロトは咄嗟の判断で高密度の魔力障壁を張ることには成功したが、まだ到底安心出来る状態ではなかった。
なにせ、群青色の魔力の壁がドロドロの炎で焼かれ、本来はただのエネルギーであるはずの魔力が溶けるように形状を崩し、今にも障壁を溶かし尽くそうとしていたからだ。
「くそ。魔力すら燃やすほどの熱量か……」
クロトはすぐさま魔晶石を叩き、壁の下に新たに魔力の障壁を構築する。
一枚目の壁が溶かされる時にはすでに展開を終え、二枚目の魔力障壁はマグマの雨からクロトたちを庇う。
だが、このままではさっきの二の舞だ。
いずれこの魔力障壁も溶かされる。
魔晶石に込められたアイリの魔力量にはまだ余裕はあるが、それでも贅沢がいえるほどではない。
そもそも魔晶石を叩いて無理矢理魔力を放出させる芸当は本来の《黒魔の剣》の機能から逸脱した行為だ。
そんなことをすればすぐさま魔力が枯渇し、せっかくの《ローブ》も消え失せる。
だから――。
クロトには今この瞬間、魔力障壁が溶かされる刹那の瞬間にこの《ローブ》の性能を把握する必要があった。
「アイリ、言いにくいことだと思うけど、教えてくれ。《完全武装術》は使用者を武術の達人にする魔術――それで間違いないか?」
「え……? ど、どうしてそんなこと……」
魔術師にとって最も得意とする魔術の原理を明かすことはかなりのリスクを伴う。
原理がわからなければ対処が出来ないのと同様に魔術は原理さえわかってしまえば一流の魔術師ならそれに対抗出来る策を用意出来るからだ。
だからこそ、自身の切り札となる魔術の正体を告げるということは最も信頼した――それこそ命を預けられると断言出来る魔術師くらいにしか教えないものだ。
それを今クロトは教えろと言う。
出会ってまだ一月足らず。
パートナーといえ、その月日も絆も浅すぎる。
守る為に魔術を使用することは出来ても、その魔術の原理まで告げることにどうしても躊躇してしまう。
だが――。
アイリは彼の背中を見て、意思を決めた。
あの背中の魔術式――細部は違えど、アイリの得意とする《完全武装術》に近い何か。
けれど、クロトはその魔術の発動条件まで知っていないのだ。
だからこそ、アイリの魔術から何かの糸口を見つけようとしている。
そしてそれが出来なければ、ここで二人とも命を落とすということも、当然理解していた。
(ゴメン、お父さん)
アイリはこの魔術の開発者である父親に謝罪してからコクリと首肯した。
「そう……だよ」
胸に手を添え、言いづらそうに、だがハッキリとした口調でアイリは言った。
クロトはアイリの心中を察しているのか、済まなそうな顔を浮かべる。
だが、それでも聞かなければならないことだった。
「なら、その魔術が武器という概念を持つものに対してだけ働く魔術で、その概念に沿った行動しか出来ないのも――」
「うん。クロ君が言った通り。私の魔術は武器と定義された物を持つことで発動する魔術。けど発動条件はその武器にある概念と私がその武器から見いだした概念が一致することでしか発動出来ない。クロ君との模擬戦で私は木剣を『剣』という概念で捉えてた。もちろん木剣は練習用の剣で『剣』という概念は存在する。けど――」
「『剣』には打撃として使う概念がない。そう言いたいんだろ?」
木剣は突き詰めれば打撃用の武器だ。相手を斬り殺すことなんて出来ない。そもそも刃がないんだ。
だが、アイリはあの時、まるで剣を扱うような重心の動きを見せていた。
打ち下ろした後に刃を引くことで相手を斬り、次の動作へとつなげる剣に対し、打撃用の木剣は打ち下ろすだけで済む。
その僅かな差違があの時クロトに刀身を力強く掴むという判断に至らせた。
刃物である刃を掴めば、手は裂け、指は斬り飛ばされる。
だが、それは刃物のある剣だけで木剣はただ痛いだけで済む。
だからこそあの時、剣にない概念で対応されたアイリは大きな動揺と隙を見せたのだろう。
「なんだ、全部わかっているんだね」
アイリが呆れた様子で笑ってみせる。
「これだけ何度も見たんだ。嫌でも想像がつく。けどな『ゼリーム』相手に自分の拳を武器として使うのは自殺行為だから止めてくれ」
クロトの苦言にアイリはバツが悪そうに肩を落とす。
だが、これで《完全武装術》の大まかな使い方を知ることが出来た。
後はこの《ローブ》にそれがどう活かされているかだが……。
(考えるまでもない……か)
《黒魔の剣》は魔晶石の魔力の特性を『模倣』している。
だが、その『模倣』は持ち主――つまりクロトに適した改変が為されているのだ。
恐らくそれがクロトの周囲に浮かぶ無数のパネルなのだろう。
このパネルに映し出された『ゼリーム』のデータは『強化』の魔術を詳細に描き写したもの。
ならクロトに備わった《完全武装術》とは――。
「初めて目にする魔術だろうとそれが魔術という概念に含まれるなら、すぐさまその魔術を盗み、使用出来る《ローブ》ってところか……」
武器ではなく魔術の完全武装――《完全魔術武装》だ。
クロトはパネルに表示された魔術式に触れる。
触れた瞬間、パネルはガラスのように割れ、その破片は吸い寄せられるようにクロトの右目に吸収されていく――。
「ぐ……がああああああああああああああああああああ!」
「く、クロ君!?」
右目に破片が入った瞬間、まるで眼球内に高温に熱された鉄の塊で貫かれるような激痛が走る。
想像を絶する激痛にクロトは苦鳴を漏らし、膝をつく。
目だけじゃない。体全身が内部から掻き回されるような不快感は魔力という生命が限界を振り切り暴れているからだろう。
右目がはじけ飛んだような激痛の中、その鉄の塊は魔術の情報となってクロトの魔力を強引に書き換えていく。
それはとても耐えられるような痛みではなかった。
体を引き裂き、内臓をぶちまける方がまだマシといえる地獄の苦しみは事実クロトから根こそぎ命という魔力を奪っていく。
魔力負荷が一気に振り切れ、クロトは意識を失いかける。
だが、体中に走る痛みがクロトの意識を掴んで離さない。
(ぐ……ま、ま、じで……しぬ……)
いや、死んでしまった方がどれほど楽か。
目から入った魔術情報はクロトの処理限界を超えた今でもまだ情報を与え続け、もう右目はその魔術式以外何も写さない。
クロトは残る左目で今まさに障壁の上に激突するであろう『ゼリーム』を捉えていた。
右目はすでに見えない。
右目からポタリ、ポタリと落ちる水滴は血の色をしていた。
「く、クロ君、もう止めて!」
アイリがクロトの惨状を見て止めに入る。
それほどまでにクロトの体はボロボロで止めないわけにはいかなかった。
だが――クロトは止めない。
これが身に余る力であろうと、使わなければ死ぬだけだ。
だからありったけの力で叫ぶ。
「《完全魔術武装》――《強化》!」
クロトと《黒魔の剣》が『ゼリーム』と同等以上の硬度へと強化される。
同時、溶けた魔力障壁からマグマの雨が降り注ぎ、クロトはアイリを庇うように全身でその全てを受け止める。
「ダメぇぇぇぇぇぇぇ!」
涙ぐんだアイリがクロトの《ローブ》を掴んで必死にその場からどかそうとする。
だが、もはやアイリの腕力でクロトをどかすことなど出来ない。
「だ……い、丈夫……だから」
クロトは途切れ途切れにやっとのことでその言葉を口にする。
あの巨大な『ゼリーム』と同じ強度を誇る今、マグマの雨でクロトを傷つけることは出来ない。
勝敗を決める唯一の方法は最強の強度を誇る盾同士の激突のみ。
クロトは《黒魔の剣》を構え――。
「こいつで……おわり……だ……ッ!」
迫り来る巨体をその鋭く尖った切っ先で貫いた――。