新たな力
「――あれれ?」
『ゼリーム』を投げ放った姿勢のままアイリは間抜けな声を発した。
巨大な深紅の『ゼリーム』までまっすぐ走る地面が焦げた煙。
アイリが撃ち出した一撃は間違いなくその巨体に命中したはずだ。それも予想以上のスピードと破壊力を持って。
だというのに、目の前に君臨する『ゼリーム』はなんの障害もなかったかのようにクロトたちの前に立ちふさがっていた。
(あれだけの威力の攻撃を受けて、少ししか動かす事が出来ないのかよ?)
クロトは『ゼリーム』の足下を見ながら毒づいた。
僅か数歩足らず。
アイリのあの攻撃はどう見ても中級魔術のそれを上回っていた。
しかも攻撃に使ったのは同じ硬度を誇る『ゼリーム』だ。
それでも倒す事が出来ないなんて……。
(冗談にもほどがあるだろ……)
「ゴメン、クロ君他に玉ある?」
アイリは眉をハの字に曲げ困った表情を浮かべながら片手をクロトに差し出し、新たな『ゼリーム』を要求してくる。
だが――。
「……あるわけないだろ?」
スットクしていたのはあの一匹だけ。
よしんばもう数匹確保していたところであの巨体を倒しきる事が出来るとは思えない。
あの巨体を倒すには以前クアトロ=オーウェンを倒す為に使った全ての魔力を束ねた斬撃――《イグニッション・ブレイザー》と同等の威力を持った力が必要なはず。
「くそ、こんな時に――」
レティシアがいてくれれば――。
パートナーがアイリでなく、レティシアだったならクロトは全力を――。
本来の力を発揮することに躊躇いはしなかった。
「――ッ!」
その考えを抱いた瞬間、クロトは自身の頬を力を込めて殴りつけた。
「く、クロ君!?」
アイリはクロトの突然の奇行に目を丸くして心配そうに見つめる。
クロトは堂々とした態度で唇から流れる血を拭うと。
「大丈夫だ。なんでもねえ」
と、即座に言い放ち、自身の軽はずみな弱音に拳を握りしめた。
(俺は何を考えているんだ? アイツを戦いに巻き込めるわけないだろ!?)
決めたはずだ。
レティシアを守ると。
そのために出来ること全てを為すと。
なのに、よりによって彼女の力を求めるなんて――。
(違うだろ! アイツは俺の希望で、バカだけど優しい一人の女の子だ。こんな場所に連れてこれるわけねえ。俺はもう魔術のせいで誰かが傷つくのだけは見たくないんだ……)
あの時、レティシアの力を借りたのはクロトとレティシアが二人で一人の最低最強の魔術師だったからだ。
だが、もとより彼女に戦いは向いていない。
いや、彼女の力は戦いに利用していいものではないのだ。
今、クロトがレティシアの力を求めることは彼女の夢である『誰もが幸せになれる魔術』の道を邪魔する行為でしかない。
最低は最低のままで戦い、生き残るしか道はない。
犠牲になるのは一人で十分だ。
「アイリ、一つ提案がある。お前だけでも――」
「何? 逃げろっていう提案は受付けないよ?」
クロトは今まさに言おうとしていたことを先にアイリに言われてしまい押し黙った。
アイリはふうとため息を吐くと、その巨体から目を離すことなく目くじらをたてる。
「アイツは火を恐れなかった。ってことは人の住む場所に普通に入ってこれるってことでしょ? あの巨体で町を蹂躙されたら一晩と持たないよ。ならここで仕留めないと」
「町にはエミナの結界があるって話はしたよな? アイツが町に入った瞬間、確実にエミナに瞬殺される。なら問題ないだろ?」
「それはそうかもしれない。けど――」
アイリは迷うことなく、力強い意思を込めて告げた。
「私は逃げないよ。ううん。逃げちゃダメなんだ。アイツがこのまま町に入ってくる保証はどこにも無い。もし別の場所に逃げられでもしたら? そこにいる人達はどうなるの? 私には出来ないよ。誰かを見捨てることも見殺しにすることも。なるって決めたんだ。助けを求める声を助けられる『正義の魔法使い』に」
だから――。
と、アイリは拳を握り直し、拳闘の構えをとりながらジリジリと『ゼリーム』との距離を詰める。
「ここで逃げることは私のプライドが――あの日の誓いが許さないんだ!」
「あ、おい! 待て!」
ドンッと地面を砕く勢いで駆けだしたアイリは『ゼリーム』の懐に潜り込むと拳を真下から振り上げ、渾身のブローを放つ。
「ぐっ、があああああああああ!」
炸裂した魔力の粒子が飛び交い、まるで金属同士をぶつけたような甲高い音が響き渡る。
拳闘ではまず絶対に耳にしない音にクロトは寒気を覚えた。
アイリは続けざまに絶叫を上げながら拳を繰り出し、その都度に魔力と共に赤い鮮血が弧を描いて舞う。
(無理だ。あれじゃ先にアイリの拳が死ぬ)
すでに両手の骨は砕けているだろう。
いかに魔力で強化しているとはいえ、『ゼリーム』の硬度は人間の纏う魔力で相殺出来る強度ではない。
最悪の事態になる前にすぐさま助けに入るべきだ。
クロトは静かに呼吸を整えると残り少ない魔力を練り上げ始めた――。
「はあああああ!」
クルリと身を翻し放った回し蹴りですら逆にアイリの右足を潰す。
だが、アイリは体勢を崩すことなく痛みをこらえ、その身に膨大な魔力を纏わせた。
「せいやあああああああ!」
一閃、二閃、三閃とまるで暴風のように繰り出される拳と蹴りの応酬を『ゼリーム』は涼しい顔で全ての攻撃を硬質な鎧で真っ向から受け止める。
繰り出される拳は大地を削ぎ、振り上げられた足は空気を引き裂く。
その一撃、一撃が人間の限界に到達した超人のなせる絶技に他ならない。
武術を極めた者にしか許されない熾烈な攻撃に初めて『ゼリーム』が動きを見せた。
煌々と脈打つ紅い体。沸き上がる深紅の魔力にクロトは今まで感じたことのないプレッシャーを抱く。
あれは不味いッ―――。
クロトは自身の感覚に直感めいたものを感じ、駆け出す。
その身に練り上げた無色の魔力を纏い、その纏った魔力を拳の一点に収束させる。
(どこだ? アイツの魔術の起点。それが放たれる場所は?)
アイツが火を恐れなかったように、もしかしたら使える魔術も『強化』だけじゃないのかもしれない。
いや、その可能性を考えるべきだ。
そして見極めろ――見極めろ――。
なぜ、アイツはあの場所から動こうとしない?
あの下には何がある?
答えは――そこにあった。
「アイリィィィィィィィィィ!」
「え? クロ君!?」
アイリと紅く燃える『ゼリーム』の間に割って入ったクロトはまず満身創痍のアイリを突き飛ばす。
よほど虚を突かれた行為だったのだろう。避けることも出来ずフラフラと数歩後ずさった。
そして次にクロトは『ゼリーム』の足下。
最初の一撃で僅かに動いた足下からのぞく黒い柄に手を伸ばした。
「させてたまるかあああああああああ!」
クロトは全身の魔力を拳から漆黒の柄に移動させ、刀身全体に魔力を纏わせる。
そして『ゼリーム』の輝きが最高潮に達する寸前にクロトは刀身に纏わせた魔力を一気に炸裂させた。
「《イグニッション・バースト》!」
ドンッ! と地面を揺るがし、その破壊力は『ゼリーム』を空中に押し上げる。
だが、まだ安心出来ない。
クロトは『ゼリーム』の足下にあったたき火と燃えるように熱い《黒魔の剣》を握ってその予感が確信に変わっていた。
(間違いない。アイツの使う力は――)
クロトは思考をすぐさま中断し、クロトの放った攻撃の余波で体勢を崩し、尻餅をついていたアイリの側に駆け寄る。
「く、クロ君、今の……」
「説明は後だ。もう迷ってる暇はねえ! アイリここに来る前に渡した魔晶石を渡してくれ!」
「え? ど、どうして?」
「いいから速く! 死にたいのか!?」
「は、はいッ!」
慌てふためくアイリは目を回しながらもポケットから群青色に輝く魔晶石を取り出した。
クロトはそれを受け取ると即座に刀身のくぼみにはめ込む。
「アイリ、悪かった。怪我させちまって……。けど、もう大丈夫だ、覚悟は決めた。今ある力を使わないで大切な仲間を傷つけるくらいなら俺は――」
たとえ、正体を知られる羽目になったとしても――。
そのせいで余計なトラブルを招く結果になったとしても――。
「こんなくだらねえプライドは捨ててやる!」
クロトの意思に呼応するように《黒魔の剣》が脈打ち、群青色の魔力が噴き出した。
「く、クロ君、これって……!」
見覚えのある魔力の色にアイリは動揺を隠せていなかった。
それもそうだ。魔力の特性は千差万別。同じ特性を持った魔力は無色を除いて存在しない。
だというのにクロトの手にした剣から放たれた魔力はアイリの魔力と寸分違わず同じ特性を帯びていたのだ。
クロトは空中から落下してくる『ゼリーム』を睨み付けながら、アイリを背に庇うようにたちあがる。
「俺の大切な仲間をテメエごときに奪われてたまるか……」
刀身にはめられた魔晶石を拳で叩くとクロトの体から群青色の魔力が噴き出す。
「一瞬でかたをつけてやる――」
すでにその身には《黒魔の剣》によって新たな《ローブ》が創られていた――。