理解出来なかった別れ
「――泣いてないわよ……」
涙で瞳を充血させたレティシアは目元をゴシゴシとこする。
顔には涙の跡だけが残り、充血した瞳は容赦なくクロトを睨み付けた。
「な、なんだよ」
クロトは泣きつかれる理由がまったく思い浮かばず言葉を濁す。
レティシアの涙、震える肩や足が目に焼き付き、どうしようもない絶望感だけが心を満たしていく。
だというのに、クロトはレティシアがここまで取り乱す理由が分からなかったのだ。
「何が、あったんだ?」
「――それはこっちの台詞よ」
掠れた声でレティシアが発した言葉を前にクロトはその場で立ち尽くす。
まるでこちらに非があると言わんばかりの視線と声に続ける言葉を見失った。
「あの子とパートナーを組んだって本当なの?」
だからだろうか。
レティシアの口からその答えを聞けたというのにクロトはその真意をまったくわかっていなかった。
「……は? なんのことだ?」
「とぼけないで! 聞いたの。彼女から『今日から一緒のパートナーだね。よろしく』って! 模擬戦が終わった後に! 私、わけがわからなかった!」
ヒステリックに叫ぶレティシアとは逆にクロトの心は徐々に落ち着きを取り戻し始めていた。
(なんだ、そんなことか……)
クロトは呆れた様子で頭を掻く。
確かに事前に説明はしていなかった。
もとより、アイリからのパートナー申請は模擬戦直前に申し込まれたことだ。
それをいちいちレティシアに説明している時間が無かったのは事実だが――。
(泣くほどのものか?)
アイリとレティシアの仲が未だに改善されていないのは今のレティシアの状況を見れば理解出来る。
けど、それもレティシアの潜在魔力にアイリが気付いてないからだ。
アイリがレティシアの魔力に気付き、そしてレティシアの夢を知れば馬鹿にはしないはず。
それに、アイリをパートナーにすることで得られるものはレティシアが思っている以上に大きい。
(ったく、仕方ねえな)
たかが犬猿の仲程度でこうなっているようでは先が思いやられる。
クロトは仕方なく彼女達の仲裁を取り持つことを心に決め、重たい口を開けた。
「確かに説明しなかったのは悪かったよ。けど、アイリをパートナーにしたことを謝るつもりはないぜ」
「――え?」
レティシアの表情が強張ったまま固まったことにクロトは気付くことなく続けた。
「格好悪いけどこれも約束でな、俺が負けたらアイリをパートナーにするって言っちまったんだ。負けるつもりはもちろん無かったけど、結果はこの通り――」
クロトは体に巻かれた包帯やガーゼを指さす。
――そう。あの模擬戦はアイリ=ライベルの勝利で決着がついた。
その結果にあの場にいた全員――恐らくアイリ以外のほとんどが納得していたはずだ。
気難しい表情を浮かべて唇を噛みしめていたアイリは印象的だったが、彼女の心境はどうあれあの勝負の結末にクロト自身は納得している。
「う……」
改めてクロトの怪我の様子を見たレティシアが言葉を濁らせ、我を失いかけていた瞳に理性の色が戻る。
クロトに刻まれた無数の打撲痕やすり傷が彼女の心を砕いたのだろう。その表情に一瞬の陰りが見えた。
だが、レティシアは頭を振ると瞳をさらに吊り上げる。
「それが……なに?」
「は?」
まるで今芽生えた気持ちを押しつぶすような鬼気迫る表情にクロトは面食らって動揺の声を発した。
「そんなの関係ないわ。なんであの子とパートナーを組んだの? 私はそれが納得出来ないの」
「いや、だから……それは……」
今、話たばかりだろ?
まるで理解を得られない追求にクロトは押し黙る。
さっき話した理由では納得出来ないのか?
だが、それ以上の理由は特にない。
もとより断る理由を見つける方が難しいのだ。
「いや、待てよ。そもそもなんでそんなに怒ってんだ?」
「なんでわからないのよ?」
いや、なんでって……。
レティシアの意図をまったく察することが出来なかったクロトは――。
考えることを止めた。
「わかるわけないだろ……」
ボソリと――。
確かにその言葉を口にした。
その瞬間――。
「わかんねえよ」
クロト自身、全てを感情にまかせてはき出していく。
「なんでお前がそんなに怒るのか理解出来ない。ああ、理解出来ないな。なんでアイリをそこまで拒絶する?」
「それは……」
「言っとくがな。お前らは単なる思い違いをしているだけだよ。ろくに互いを知りもしないでケンカして、それを俺になすりつけるな。お前がアイツを嫌う理由は全部嘘なんだよ」
「嘘? 私が納得出来ないのが? 彼女を受け入れられないのが?」
「ああ、そうだよ。全部お前の勝手な勘違いだ。アイリは言ってたぜ。お前と仲良くしたいって。俺はその時、アイツの言葉を否定しなかった。それにな――」
ああ。わかってしまう。
このままではダメだ。
これはダメだ。
もう――。
引き返せない。
「自分勝手で我が儘で、そのくせ一度決めたことは曲げようともしねえで失敗するまで突っ走る。お前とパートナーを組んで散々思い知ったんだ。お前と二人ではこの先やっていけないって――お前以外のパートナーを求めて何が悪い?」
「――――」
「そうだろ? アイリは優秀だ。俺に出来なかったその先まで魔術を極めている。俺より優秀なんだよ。ならアイリとペアを組むことは何もおかしなことじゃない。お前を――」
そこで、クロトの言葉は止まった。
止めざるを得なかった。
とどまることを知らない滝のように流れる涙を見て。
沈黙を貫く固く閉ざされた唇に震えた肩を見て――。
クロトの熱が急速に冷めていく。
やっぱり――言い過ぎたな……。
と、クロトが口元を噛みしめた瞬間。
「――っ!」
レティシアは勢いよく振り返ると流れるような金色の残滓を閃かせて風のようにその場から走り去っていった――。