誤った認識
エミナの合図と同時にクロトは全身に魔力を漲らせた。
Eランクのクロトが纏う魔力はごく少量で肉眼で捉えることが不可能なくらい薄い魔力だ。
だが――。
「クロ君も無色なんだね」
アイリは極薄のクロトの魔力を確かに肉眼で捉え、一瞬ばかり落胆の表情を覗かせる。
「お気に召さないか?」
「ちょっとだけね。けど、そこまで魔力を薄く纏うなんて凄い技術だと思うよ。魔力の扱いが上手いんだ」
「そいつは買いかぶりだよ」
「そうかな?」
アイリはどうやらクロトが魔力をセーブして展開していると思い込んでいるようだ。
だが、その認識は誤り。
クロトの全力の魔力展開がこの程度なのだ。
本来なら魔力の展開が不可能なEランクで魔力が展開出来るのは一重に『クアトロ=オーウェン』の頃の経験があるからで、クアトロの魔力利用法を半ば強引に使っているからに過ぎない。
その精度も当然低レベルで展開された魔力の壁は革製の防具を身に纏った程度。
ないよりはマシといったレベルだ。
(強化まで出来ればよかったんだが……)
魔術師は魔力を纏わせることで身体の強化を行うことが出来る。
そして、その強化は魔力を高めることで飛躍的に効力を上げることも出来るのだ。
魔術戦ではまずこの強化の精度がものを言う。
魔術を詠唱するにしろ、魔術式を描くにしろ、身体強化を行うことで発動までの時間が短縮出来るし、仮に相手が先に魔術を発動した場合でも強化の為に纏った魔力の壁が魔術を幾分か相殺してくれる。
だが――クロトの魔力量では魔力を纏う程度では強化まで出来ない。
「へえ……そこまで操作ができる人はそうはいないよ」
クロトは纏った魔力を操作し、木剣の刀身に集めるとアイリは素直に賞賛の声を発した。
クロトが行ったのは『魔力装填』の応用とも呼べるもの。
『魔力装填』は簡単に言えば全身の魔力を一箇所に集め、集めた魔力を炸裂させることで魔力を何倍にも跳ね上げる技術だ。
この技の最も困難な点は集めた魔力を炸裂させる瞬間にある。
ただ集めるだけでは魔力はすぐに霧散してしまう。集めた魔力が凝縮した瞬間に集まった魔力の外郭を破壊する必要があるのだ。
クロトはその破壊を二重に展開した魔力で行っていた。
一度目の魔力で高エネルギーの魔力の塊を作り、二度目の魔力展開で凝縮された魔力の塊に再び魔力を注ぎ、内側から膨張、炸裂させることで魔力を何倍にも膨れあがらせる。
詰まるところ魔力の二重展開――それが『魔力装填』の要であり、クロトがおいそれと使えない理由でもある。
レティシアのように馬鹿げた魔力の持ち主なら『魔力装填』は簡単にできるだろうが、クロトのように魔力を纏うだけでほとんどの魔力を使用してしまう魔術師なら話は別だ。
二重展開出来るだけの魔力がそもそも存在しない。
使おうとすれば必然的に限界以上の魔力を使用する羽目になり、その魔力負荷で体にダメージを与える。
その痛みは先日の事件で嫌というほど味わった。
だが――魔力を一箇所に集める程度ならそれほど困難ではない。
要は体全身に纏わせた魔力を木剣の一箇所に集めればいいだけだ。
刀身に全魔力を集めることで気持ち程度には刀身の硬度も上がっているはずだ。
僅かに重量の増した木剣を中段に構え、クロトはアイリの出方を待つ。
「アンタにもこれくらいは出来るだろ?」
「ん? まさかぁ~そこまで一箇所に集めることは出来ないよ」
「……なるほどね」
アイリもレティシアと同じく魔力の制御は苦手なタイプか……。
魔力制御が苦手な魔術師の特徴はあまりにも巨大な魔力を制御しきれていないか、魔力の障壁をそれほど必要としない遠距離特化型の魔術師の傾向が強い。
あとは性格が雑なだけか……。
だが、アイリに限って言えば、恐らく使う魔術は遠距離特化型だ。
体術が得意でありながら魔力制御が苦手なのは恐らく、近接戦で相手の魔術発動を防ぎながら詠唱を行い、詠唱が終わった時点で距離を離して本命の魔術を放つスタイルだからだろう。
そう考えれば魔力制御は必要最低限でいい。
相手に魔術を発動させなければいいのだから――。
「クロ君の準備も終わったことだし、それじゃあ、始めようか」
「わざわざ待ってくれたのかよ? 魔術の発動準備をしてもよかったんだぜ?」
「あはは、それもそうだね。けど、私は必要ないよ。クロ君、始める前に一つだけ言っておくね――」
(―――ッ!)
油断していたわけではなかった。
一瞬たりとも目は離さなかったし、警戒も怠ってはいなかった。
どんな魔術を発動しようと即座に対処出来るように身構えてもいた。
なのに――。
ポンとクロトの胸板にアイリの手が添えられるその瞬間までクロトは何も反応することが出来なかった。
一瞬、視界から消えた瞬間にはアイリの手がそこにあったのだ。
「もし、一瞬でも勝てないと思ったらすぐに降参して」
アイリは腰に回した木剣を斬り上げながら感情の伴わない視線をクロトに向ける――。
「たぶん、手加減なんて出来ないから――」