思わぬ要求
―――どうしてこうなった。
クロトは手にした木剣を見つめながら途方に暮れた。
「へえ、これ剣なんだ?」
対するアイリは木剣を見るのが初めてなのか、興味深げに木製の刀身をおっかなびっくり触っている。
「言っとくが斬れないぞ」
アイリに木剣を渡したエミナは呆れた様子でそう付け加えた。
「え? そうなの?」
「あぁ、それは剣術の練習で使う道具だからな」
「でも剣、なんだよね?」
「まあ、そうだが」
「なら、きっと大丈夫。まかせてよ、アーネストさん」
「いや、私としてはどうしてこうなったかを知りたいんだが……」
(それは俺も知りたいよ)
二人のやりとりを見ていたクロトもそう思わずにはいられない。
「うん。私も知りたいよ」
「お、お前もか……」
まさか、この場にいた全員がこの顛末の背景を知らずにいたとは……。
「それは、この馬鹿のせいですよ」
「む?」
「おまっ!」
半眼でクロトたち三人を校庭から眺めていたレティシアがそう呟く。
「この馬鹿が?」
キッと鋭い視線を向けられ、クロトは咄嗟に視線を逸らした。
「い、いや……そ、そんなことは……」
「――確定だ。お前は都合が悪くなるとすぐに歯切れが悪くなる」
「そうなの? アーネストさん」
「ああ。長い付き合いだからな。クロト、この馬鹿騒ぎの始末は高くつくぞ」
「げっ! い、いや……そこは穏便にしてもらえないでしょうか?」
「……まず、自分の立場を考えろ。アイリにケンカを売ると言うことがどういうことか身をもって味わうんだ」
「そりゃあ、俺だってやっちまったと思ってるよ……」
熱が冷めた途端、自分のしでかしたことの大きさは嫌ってほど理解した。
噂の転入生に最低ランクの魔術師がケンカを売る。
その事実だけでこの校庭の周囲には生徒、教師を含め大勢の人が集まったのだ。
それは少しでもアイリ=ライベルという魔術師の魔術を見たいが為に。
彼女の相手がたとえ魔術を使えない人間であろうと見る価値がある。
――とこの場に集まった大勢の人はそう思っているだろう。
けど――クロトの問題はそれとはまったく別だった。
エミナの言った『自分の立場を考えろ』という台詞が重たくのしかかる。
クロトの立場――。
それは『クアトロ=オーウェン』の転生者であり、そして数多くの魔術を知る者だということ。
万が一にもその正体がバレれば厄介なことになりかねないのだ。
クロトの存在がバレること自体は別に大したことはない。
問題はクロトの持つオリジナルの技術だ。
簡略魔術式、魔力装填の類いは名前こそ知られているが、その技法までは伝わっていない。
クロトの持つ技術のどれかでも第三者に知られれば、それこそ魔術師の世界を揺るがすことになる。
アイリの言うとおり『無色』の三流魔術師である『クアトロ=オーウェン』だが、彼の持つ技術だけは三流だったが故に魔術世界の次元を超えた。
「はあ……」
アイリがどんな魔術を使おうが勝てる自信はある。
クアトロの出身国、その事実が本当であれば絶対に負けるはずがない。
なにせ――クロトはその国に伝わる魔術の全てを知り、その全ての魔術の対処法を心得ているからだ。
けど、その知識を大っぴらに披露するわけにもいかない。
クロトのとるべき戦法は周囲にアイリの使う魔術が初見だと誤認させ、その上でアイリに打ち勝つ以外に他はない。
「さて、準備はいいか、二人とも」
「うん。私はバッチリだよ」
「一応は……」
アイリは大仰に頷き、クロトは嫌々首を傾けた。
「今回は演習は一対一の魔術戦を想定したものだ。勝敗は私が戦闘不能、あるいはどちらかが降参した場合に決するものとする。それでは――」
「あ! ちょっといいかな、アーネストさん」
「ん? なんだ?」
「ルールの追加をしたいんだけど」
「ルールの追加? 別に構わないが面倒なことは言うなよ?」
「うん。大丈夫。ちょっとした要求だから――クロ君」
「――ん? 俺のことか?」
クロトだからクロ君か。
呼び慣れないあだ名にむず痒い感覚を覚えながら、クロトはアイリの言葉に耳を傾ける。
「確か、クロ君は『無色』の価値を認めて、アートちゃんに謝れって言ったよね?」
「アートちゃん? 誰それ?」
「レティシア=アートベルンだからアートちゃん。本当はレティちゃんって呼びたいんだけど怒られちゃって」
恥ずかしそうに笑うアイリ。
クロトはチラリと校庭を囲む生徒――レティシアを一瞥した。
幸いにもこの会話まで届いていないのか、心配そうな視線だけを向けている。
(確かに、アイツはアイリにいい印象を持ってないだろうな)
魔術師の誇りを馬鹿にされた。
まるでクロトとレティシアが初めて会った時の焼き直しみたいだ。
なら――。
「別に気にすることはないと思うぜ」
「ほえ?」
「打ち解けられると思うぜ。前にも似たようなことがあったんだよ」
「え? そうなの? 凄い剣幕だったよ?」
疑うような視線を向けられるが、クロトは躊躇うことなく頷く。
「そっか。なら楽しみだよ。はやく呼べないかな? レティちゃんって――ん? けど、仲直り出来るならどうしてクロ君と戦うことになったんだろう?」
それはあの時はそんなことまで考えていなかったからだ。
ただ頭に血が上ってやらなくてもいい魔術戦をやる羽目になったなど口が裂けても言えない。
「――で、お前の要求って?」
「あ、そうだった。そうだった。私の要求は――私が勝ったら、私のパートナーになって」
「は――?」
「パートナーだよ。クロ君のクラスはクラスメイト同士でペアを組んでいるんでしょ? だから私が勝ったらパートナーになって欲しいなって――ダメ?」
マークの作ったパートナーシステムは担当がエミナに変わっても変わらず継続された。
元々はレティシアに実力をつけさせない為にマークが作った制度だが、この制度自体、実は悪いものではない。
魔術を学ぶ上でその危険度を下げる為に複数のグループを作るのは他の魔術国家でも行われている制度だ。
別にそれが二人一組と決まっているわけでもない。
なら――断る理由はないだろう。
「別にいいぜ。それくらい」
「本当? 約束だよ?」
ぱあっと明るい表情を覗かせたアイリはやる気に満ちた顔つきでギュッと拳を握った。
「……クロト」
「ん? なんだよ? 勝手に決めちゃダメか?」
エミナは呆れた視線をクロトに向ける。
まるで馬鹿を見るような視線にクロトは思わずムッとした。
「別に構わないが――後で殴られるなよ」
「は? 誰にだよ?」
「それが分からないうちは何時までたってもお前は馬鹿のままだよ」
吐き捨てるように呟いたエミナの言葉にクロトは意味が分からず首を傾げた。
「別にいいさ。お前は昔からそうだからな――ではそのルールで始めるぞ」
「りょーかいだよ!」
「おう」
アイリとクロトはそれぞれの木剣を構える。
――同時。
「では――始めッ!」
エミナの鋭い声が校庭に響き渡った――。