無価値の魔力
昼休み――。
大勢の生徒がアイリの席を取り囲んでいた。
見れば余所のクラスだけではなく、上級生の姿まである。
よほどアイリの話を聞きたかったに違いない。
クロトは傍目でその光景を見つつ、呆れた心境を抱いていた。
(どうして『クアトロ=オーウェン』の話になるとここの連中は目の色を変えるんだ?)
時折聞こえてくる内容はクアトロの話ばかり。
アイリがクアトロが魔術を学んだ国から来たと知った途端これだ。
どんな魔術をクアトロは学んだのか……。
クアトロの逸話など……。
聞こえてきたのはそんなのばかりだ。
アイリは困った表情を浮かべ終始答えづらそうにしていた。
(まあ、それもそうだろうな)
クアトロの話なんて聞かれても困るだろう。
なにせ――。
「えっと、みんな、ちょっといいかな?」
アイリが困った表情のままぽつりと漏らした。
「クアトロって誰なの?」
『え……?』
見事にその場にいた全員が同じ言葉をハモった。
俺のとなりでサンドイッチを食べていたレティシアに限ってはそれを落とす始末。
勿体ないのでクロトは即座にサンドイッチを回収して口に放り込む。
「あ、なに勝手に……」
「どうせ食わないんだろ? なら俺が食べても問題ないはずだ」
「そういうことじゃないわよ! あ、アンタ、私の食べかけ……手作りを……、え、えっとその……」
「ん? 手作りなん? 旨かったよ。ご馳走さん」
「つ~! だからそういうことじゃないってば! そんなことより、あの子の話よ!」
どこか気持ち悪い嬉しそうな笑みを浮かべながらレティシアはアイリの話に耳を傾ける。
「うん。だからクアトロって誰? 有名人なの?」
「え……? だってアイリさん、自己紹介の時にそう言ってたよね?」
「うん。言ったよ。アーネストさんがそう言った方がいいって。けど、誰なんだろうね? 一度も聞いたことないや」
えへへ。と笑い飛ばすアイリは本当に『クアトロ=オーウェン』が誰なのか知らないのだろう。
苦笑を浮かべて照れるアイリの姿にクラスの表情は曇っていく。
「え? 本当に知らないの? この国の基礎を作った大英雄だよ?」
「うん。その話は聞いたし、実際に私の国にいた人らしいのは確かだけど、私の国では本に載るような有名人じゃないよ? それに……」
「あ、不味いな」
クロトはアイリの続く言葉を予測して、渋面を浮かべた。
それは不味い。
この場所では言っちゃいけない言葉だ。
「こんな人の話が本になるなんて恥ずかしくてならないよ」
『――――』
「あちゃあ」
クロトは凍り付いた教室内を見て思わず口に出していた。
レティシアなんか完全に固まってるぞ。
言葉の意味を理解することを拒んだクラスは沈黙を保ったまま、アイリの続く言葉に心を砕かれていく。
「だって、この本を読む限りこの人は半端者だよ? 魔術師としてはたぶん三流以下だね。それが魔術の国を作ったなんて最初は信じられなかったけど、この教本を読んで妙に納得しちゃった」
アイリは基礎魔術の本をパラパラとめくりながら、無自覚な一言を呟いた。
「ここは未発達――ううん。魔術を真似ただけの偽物の国だ」
――バンッとアイリの机が誰かの手によって強く叩かれた。
「ちょ、ちょっと、どういうことよ?」
いつの間にかレティシアが怒りに満ちた表情を浮かべ、アイリの机を叩いていたのだ。
アイリは驚いた表情を浮かべ目をパチクリと見開くと、レティシアに視線を向ける。
「えっと……」
「どういうことよ?」
「え? 何が?」
「偽物って……私達の魔術が偽物ってどういうこと?」
「れ、レティ……」
怒りに我を忘れたレティシアを落ち着かせようとノエルが手を伸ばす。
が――。
今のレティシアはその程度では止まらないだろう。
ノエルの手を肩に乗せながらレティシアは鬼気迫る表情を浮かべている。
「えっと、レティ……ちゃん?」
「あなたがレティって呼ばないで!」
「わっ! ご、ゴメンね。えっと……」
「名前なんかどうだっていいでしょ?」
「それじゃあ呼べないよ。友達なんだから名前くらい教えて欲しいよ」
「それは私の質問が終わった後にノエルから聞けばいいわ」
「え~」
アイリは途方に暮れた表情を浮かべ、レティシアの背後にいたノエルに視線を向ける。
「う、うん。ゴメンね、アイリさん。あとでちゃんと教えるから」
「うん。お願いね、ノエルちゃん」
ノエルと親しげに話していたアイリを見てレティシアはさらに機嫌を悪くしていく。
「ノエルはどっちの味方なの?」
「え? そ、それは……クラスみんなのだよ?」
「なら!」
「……止めなよ。八つ当たりはよくないよ」
鋭い口調でレティシアを諫めたアイリは初めて見せる怒りの表情を浮かべていた。
「質問、なんだっけ? この国が偽物? それともクアトロって人が三流ってこと?」
「ぜ、全部よ」
「そう」
アイリは一度視線を落としてからポツリと呟いた。
「無色の魔力持ちなんだね?」
「え?」
「クアトロって人。『無色』なんでしょ? それが答えだよ」
ああ、やっぱり不味いな。
クロトはアイリの言葉を聞いてため息を吐いた。
どうにもアイリはオブラートに包んで話をするってことが出来ないタイプの子だ。
全部がストレートで、しかも飾り気がない分、余計と心に響く。
そんな子が包み隠さず喋れば――。
レティシアが壊れかねない。
「それが答えってどういう意味?」
「そのままのつもりだったんだけど、この国じゃ、魔力の色が特性を帯びていることも知らないの?」
「し、知ってるわ、それくらい。その中でも『無色』は特別じゃない」
「その認識が間違いなんだよ。『無色』は特別じゃない。魔術師にとっては無価値なだけだよ」
「無価値、ですって?」
「そうだよ。私の国では『無色』の人が魔術師を目指すことはない。だって、絶対に魔術を極めることが不可能だから。そんな半端な力じゃ誰も助けられない、救えない。無駄なことに力を割くくらいなら、もっと別のことをした方が有意義なんだよ」
「い、意味が分からない。だって無色の魔力は全ての魔術を使うことが……」
「うん。出来るよ。けど、使いこなせないし、魔術の真価を発揮も出来ない。魔力も必要以上に多く使うし、何より、全ての魔術を使えるってことは全ての魔術に抗体を持たないってことだよ」
そうだ。
それこそが『無色』の最大の弱点。
あらゆる魔術を使える反面、無色は魔術に対する抵抗力があまりにも脆い。
あらゆる属性の魔術が弱点になるんだ。
だから『無色』の魔力持ちはよほどのことがない限り、魔術師を目指すことはない。
「だから三流なんだ。この国もクアトロって人も。無価値な『無色』を特別だって思ってる君も」
「――っ」
やはり――アイリも気付いているのか。
レティシアの魔力が『無色』なことを。
レティシアが無意識で垂れ流している魔力はほとんどの人の目には見えない。
けど、クロトやエミナ。それにアイリなどの魔力感知が鋭い魔術師には見えてしまう。
彼女の体を覆う『無色』の魔力が――。
「君も魔術師にはなれないと思う。半端な力で終わるくらいなら、諦めた方がいいよ」
「違うわ。クアトロは確かに凄い魔術師よ。私はそれを知っている。それに私の魔力が無価値だんてことあるわけが……」
「そうだね。この国の英雄譚は確かにフィクションとしてなら好きだよ。だって凄いと思う。多種多様な魔術をそれこそ杖を一振りするだけで発動するなんて――けど、『無色』にはそれが出来ない。『無色』には詠唱破棄すら出来ないんだ。大魔術を行うことなんてきっと出来ないよ」
「違う。私は知ってるわ。クアトロが転移だって重力操作だって光を操ることだって出来るってことを――!」
「あの、馬鹿ッ!」
レティシアのうかつな発言にクロトは思わずその場に駆け寄った。
今、レティシアが口走った魔術はクアトロがこの国には伝えていない魔術だ。
それを知っていることを追求されれば、この間の事件の真相が明るみに出かねない。
話を逸らすにはどうすればいい?
クロトは彼女たちの喧騒に近づきながら必死に思考を回転させる。
二人の興味を引く話。
それがクロトに提供出来るのか?
いや、それより、この暗い空気をどうにかして明るい話題を振る方がいいのか?
「まるで本人を見たような台詞だね?」
「そ、それは――」
ああ、くそ。考えている余裕がねえ。
今、まさにレティシアが致命的な何かを口走ろうとしている。
それを止める手立てをクロトは持ってはいない。
「けど、それも英雄譚の中の話でしょ? 現実は違うよ。だからはっきり言わせてもらうけど、同じ『無色』の君じゃなにも出来ない。魔術師としては無価値な存在なんだよ」
その言葉が耳に届いた瞬間、クロトの何かがブチンと千切れた。
二人の言い合いを止める手立ても白紙に戻る。
けど――。
ああ。もう考えるのは止めだ。
あんなことを言われて二人を止められるほどクロトは利口じゃない。
むしろ、目にものを見せたくなった。
無価値だ、三流だと馬鹿にした『無色』を。
クロトの希望を無価値だと吐き捨てた少女の驚く顔を。
そして、頭を下げて謝る姿を無性に見たくなった。
「なら――」
だからこそ、クロトにしては珍しく後先を考えずに感情にまかせて口を動かした。
「試してみるか? 本当に『無色』が無価値かどうか?」