夏の一時
「ふあ~…………」
なんともだらしない欠伸をしながら商店街通りを歩くのは長い金髪が目立つ少女だった。
白い肌に真珠のように綺麗な瞳。
整った顔立ちに健康的な細い体つき。
その美しさは誰もが一度は足を止めてしまうほど魅力的な姿だった。
だが――。
そんな惚れ惚れする彼女の容姿も今日はすっかりとなりを潜めていた。
黒いキャップを目元が見えにくい程度に深くかぶり、薄いマフラーで口元を隠していた。
さらには服装も地味目な黒を基調としたややボーイッシュ的な服装だ。彼女がレティシア=アートベルンと判断出来る材料はもはや、その体格と黒いキャップから溢れた腰まで届きそうな黄金の髪くらいしかない。
完全に人目を気にしたその格好にも一応の理由はあった。
先日の事件で名前はまでは公表されなくともレティシアの存在はこの国中に知れ渡ることとなった。
幸いこれまで学院の外で直接話かけられたことはないが、念のためにということでレティシアは休日に外出するときは人目につかない格好を心がけるようにしてきた。
―――その対策の結果がこれだ。
「ふへ~……」
人目につかない格好とは逆に言えばそれほど人目を気にしなくてもいいということ(?) と勝手に解釈した結果、レティシアは往来のど真ん中であるというのに気の抜けたため息に続き、にへらと気味の悪い笑みを浮かべていた。
当然、すれ違う通行人の多くは不審者を見るような視線を向けていたが、その視線がまさか自分のことだと気付くこともなく、レティシアは醜態をさらし続けてきた。
「ふふふ、今日は何を食べようかかしら?」
そう呟きながらこれから向かうカフェのメニューを頭の中で開く。
事件の後、日を改めて食べに行った新作のケーキはまさに舌がとろけてしまいそうなほどおいしかった。
濃厚なクリームに旬の果実の甘み。そして柔らかく弾力のあるスポンジと全ての材料が一つのハーモニーとして調和したまさに完璧な一品。
それを食べないとまさに人生の半分を損していると言わしめる一品にレティシアは一瞬で虜になった。
あれから何度かノエルと一緒に食べに行ったが、夏休みに入ってから伺うのは実は初めてだった。
なにせ、レティシアがその店に伺う時は決まって新作かあるいは試作品の試食だからだ。
なぜそれほど優遇されたかと言えば、初めてあのケーキを食べた時に口から自然と溢れたグルメリポート並みの感想にシェフが感銘を受けたらしい。
次の日にノエルからそう聞かされ、それ以降新作の試食の機会を幾度となくもらってきたのだ。
(これも全部、ノエルのおかげよね……)
現金な気持ちではあるがそう思わずにはいられない。
なにせ試食の話は全部ノエルからの情報だ。
何でも店のシェフと仲がいいらしい。
そのおかげもあって今まではほとんどタダのようなものでケーキをご馳走になってきたわけだが……。
(けど、さすがにお客として行かないと申し訳ないわ)
今までおいしいものをご馳走になったお返しに今日は一人のお客としてケーキを頂く。
そんな妄想を抱かせながら緩みきった表情でレティシアは新作以外のメニューに思いをはせる。
(タルトもよかったし、無難にショートケーキっていうのもアリだわ。けどけどパフェもプリンも見逃せないわね……あぁ~迷うな~)
いっそのこと全部食べてしまうのもアリなのかもしれないが、それをきるほど財布に余裕はない上に、もし食べてしまえばついてほしくない場所にお肉がつきかねない。
想像するだけでも恐ろしい悲惨な姿にならない為にも頼めるのは一品だけ……。
それが寝坊し、朝食を抜いた上で家のお手伝いをして余計なエネルギーを浪費したレティシアがエネルギー補給という名目で食べられるギリギリの境界線。
(よし、ここは無難にタルトね)
メニューを決めたレティシアは踊る足取りで目的の店『カフェ・ディセンバー』へと向かった。
―――――――――――――――――――――――――――――――
「こんにちはー」
店先の扉を開け、レティシアは馴れた足取りでショーウインドウへと向かった。
ところ狭しと並ぶケーキの数々に目移りしながら、目的のタルトを見つける。
(一個五百エルか……まあ、大丈夫よね……)
財布の中には千五百エルくらいあった。
旅行に行くためのお金は前日に母親から前借りする予定だが、それでも節約はしておくべきだろう。
余計なものは買わずに目当てのケーキだけを買うべきだ。
レティシアは財布から五百エルを取り出すとレジと向かう。
「すみません。そこのフルーツタルトを一つください」
「はい。少々お待ち下さい!」
レジ奥にある厨房から一人の少女が顔を出した。
肩に触れる程度の長さの白銀の髪。
可愛らしい白のコックコートからでも分かる細い体つきにミルクのように白い肌。
彼女の優しげな翡翠の瞳がレティシアを捉えた瞬間、互いに時間が止まったように硬直した。
「え……あ、の、ノエル……?」
レティシアは驚いた表情のままノエルを指さすとコック姿の少女、ノエル=ディセンバーは躊躇いがちな笑みを浮かべた。
「あ、あはは、ようこそ、レティ」
硬直した二人は互いに次に発する言葉を見つけることが出来ず、時間だけが無情に過ぎていくのだった――。
「本当に驚いたんだからね!」
「ごめんね、驚かせちゃって」
テーブルについたレティシアは半眼でノエルを見つめながら頬を膨らませた。
ノエルは苦笑いを浮かべるとレティシアの前にタルトを置きながら正面の席に腰を下ろす。
「お手伝いはいいの?」
「うん。今は休憩時間だから」
そう言ってノエルは一緒に持ってきた二つの紅茶とケーキをテーブルの上に並べていく。
「どうぞ」
「あ、ありがとう」
差し出された紅茶を口に含んだところでレティシアは思い出したように目を見開いた。
「あ、お金……」
レティシアが払ったのはタルト一つ分。
紅茶の代金までは払っていなかったことを思いだし慌てて財布を取り出そうとする。
が――。
「いいよ。今日は私からのサービス。お手伝いのこと黙っていたことも含めて受け取ってほしいな」
「そう。それよ! 知らなかったわ。ノエルがこの店で働いていたなんて」
「うん。ここ、お父さんのお店だから。私も子供の頃からお手伝いとかしてたんだ」
「一言言ってくれても……」
「うーん。言う機会は何度もあったんだけど、いざ話そうと思うと恥ずかしくて……」
「恥ずかしい?」
「うん……理由は……」
と、躊躇いがちにノエルが話しかけたところで他のテーブルが賑やかになった。
「ノエルちゃーん!」
「……え?」
突然のことにレティシアは呆気にとられる。
呆然と成り行きを見つめている内に店中がノエルを見て黄色い声を上げた。
「今から休憩かい?」
「こっちで一緒にお茶しましょうよ!」
「この金髪の子はノエルちゃんのお友達? 綺麗な子ね」
「ノエル姉ちゃん、また一緒に遊ぼうよ! 今度は絶対に負けないからね!」
「ノエルちゃん、早くボクのお嫁さんになってよ!」
と、店中の至るところからノエルのことを呼ぶ客が後を絶たない。
一部不穏な発言を聞いたがその声の主はまだ十歳にもならない小さな子供で、レティシアは安堵のため息をつくと、
「これは……?」
この謎の現象に冷や汗を流しながらレティシアは首を傾げる。
「あはは、これが恥ずかしい理由かな?」
ノエルは頬を真っ赤にしながら紅茶に手を伸ばすとゆっくりと話し始めた――。
それからしばらくして、お店が落ち着く頃にはレティシアは感慨深い感想を胸中に抱いていた。
「そっか……看板娘か……」
女の子なら一度はそういったことに憧れを抱く。
かく言うレティシアも小さい頃の将来の夢は『ケーキ屋さん』と言っていたこともあった。
それはケーキが美味しいと言うこともあるが、それと同じくらいにお店で働くお姉さん達が可愛かったからだ。
看板娘という存在は確かに女の子にとっては一つの夢と言っても過言ではない。
けど――。
実際にその目で見たレティシアはその看板娘という存在に対して少なからず印象が変わっていた。
「大変そうね」
「う~ん。悪い人達じゃないんだけどね……」
この店に来る大半の人はノエルが小さい頃からこの店に通っている人がほとんどで、いわゆる地元の人が大半を占めている。
常連のほとんどが我が子を見守るようにノエルの働く姿を見に来るのだ。
もし、余所からやって来た人がノエルにちょっかいを出そうものならすぐさまノエルのボディーガードとなり得るらしい。
だからご両親も安心してノエルにお手伝いを任せることが出来るそうだ。
――もっとも魔術師としての勉強を始め、基礎魔術を修めたノエルにそう簡単に危害を加えられる人はいないだろうが……。
「だからあんまり知られたくなかったんだ。このお店で働いていることは別にしても看板娘ってことは……だって必ず見に来るでしょ?」
「そんなこと……」
ない。とは言い切れなかった。
だって今のノエルの姿は控えめに言ってもまさに天使なのだ。
その働いている姿を一度も見ないのは勿体ない。
冷やかし半分、憧れ半分できっと見に来ていただろう。
「ない。って断言してくれないんだね……」
「ご、ごめん……」
悲しそうな表情を浮かべるノエルにレティシアは謝ることしか出来なかった。
「ううん。いいよ。その代わり……」
「え? なに?」
首を横に振ったノエルはレティシアの前にそっとケーキが乗せられた皿を差し出してきた。
「試作の感想を聞かせてほしいな」
「え? 試作?」
「うん。実はね、レティに食べてもらっていたの最初以外は全部私の試作品なんだ。いつかお店に出したくて作って見たんだけど、お父さん、味には厳しくて……だから試作品が出来たら感想を聞きたいんだけど……ダメかな?」
甘えるような視線でレティシアを見つめるノエルに首を横に振れるはずがなかった。
レティシアは「もちろん!」とうなずき返すとノエルからケーキを受け取る。
「ありがとう、レティ!」
満面の笑みを浮かべるノエルに食べ過ぎだとは分かっていながらもフォークを入れる――。
その直前。
バンッ――と大きな音をたてて店の扉が開けられた。
「ノエル! 今日も試作品食いにきたぜ!」
そう言って勢いよく店の扉を開けたのは黒い髪と目が特徴的な少年。
レティシアのパートナーでもあるクロトだ。
突然の登場にレティシアはフォークをつかんでいた手を止め、突然の闖入者に目を向けた。
「あ、クロト君、いらっしゃい」
「よ! 確か、今日だよな? ケーキの試作品が完成するの? ってお前、レティシア? なんでここに?」
「く、クロト……なんでアンタこそここにいるのよ……」
夏休みに入ってから音沙汰のなかった少年に向かってレティシアは声を震わせた。
「え? いやだって、ノエルに試食を頼まれてるからだよ。前に約束したんだよ。毎日俺にご飯を作ってくれって」
力説するクロトにレティシアは目眩を覚えた。
そんな話、ノエルから一度も聞いたことがない。
まして、この二人がこんなに仲がよかったことも今初めて知ったのだ。
それに――それは、まるで告白ではないか……。
途端にレティシアの思考が真っ白に染まっていった。
「クロト君、その話はなかったことにしようって言ったでしょ?」
「けど、ケーキの試食は手伝ってくれとも言われたぜ。それって少なからず俺の告白を受け入れてくれたってことじゃないのか?」
「違うよ。手が必要なら何でも言ってほしいって言ってもらったから手伝ってもらってるだけだよ――レティ?」
二人の会話を黙って聞いていたレティシアの様子がおかしいことにノエルが気付き、クロトの顔が青ざめていく。
「く、クロト……」
「あ、は、はい……なんでしょうか?」
クロトは脅えきった様子で数歩後ずさる。
この後の顛末を予測したノエルはテーブルに置かれたケーキと紅茶を手にすると店の奥へとスッと消えていく。
そして――。
「クロトの……クロトの……馬鹿アアアアアアアアアア!」
もはや学院ではおなじみとなったレティシアの怒鳴り声が店中に響き渡ったのだった――。