周りの視線が心地よかった
一波乱あった入学式(とはいっても問題児二人に対する注意だけだったが……)も無事に終わり、アリーナは新入生の熱気に包まれていた。
これからが今日のメインイベント――『クラス分け』だ。
学院では基本的にクラス替えが存在しない。
だからこそ、今日のクラス分けは重要な意味合いがあった。
どんなクラスになっても泣き言は言えない。
それは嬉しくもあり、同時に悲劇でもある。
そしてどんなクラスになるのかはこれから行われる《魔力判定》で決まるのだ。
十五歳になって受けられる魔術適性判断は魔術が使えるか、使えないかの二択を決めるだけだ。
どれほどの魔力があるかまでは判定出来ない仕組みになっている。
それには理由があった。
魔力とは魔術を行使するためのエネルギーのようなものだ。魔力の量で扱える魔術も変わり、魔術師としての歩む道も変わってくる。
魔術適性は魔術を扱える最低基準の魔力量を有しているだけ。
適性さえあれば魔術師を目指すことも出来るがそれは本人の自由意思とされている。
家業を継ぎたい者。魔術師以外の職業に憧れる者もいる。
いくら魔術国家といえど、一から十まで魔術に頼った生活をしているわけではなく当然他の職業も必要となってくる。
そういった時、魔術適性があるから魔術師になれという制度があればすぐにこの国の安寧は崩れてしまうかもしれないのだ。
魔術適性があっても魔術師になる必要はない。
そう取決めされているからこそ、魔力量を測る魔力判定はこの国ではこの学院だけでしか実施されていない。
魔術師を目指すと決断し、この学院の門を叩いた者だけが初めて自身の魔力量を知ることができ、魔術師として歩み出すことができるのだ。
そして生徒たちの興味を引き付ける理由がもう一つある。
基本的に魔力量とは成長しないものなのだ。
だからこそ今日の判定で出た数値はこの先変わることがない。
もし良い数値が出れば魔術師として花々とデビューでき、悪い数値がもし出れば、その時点で魔術師としての人生を否定されかねない事態に生徒たちの話題は持ちきりだった。
これからの魔術生活を夢見て花を咲かせる者、逆によくない数値が出たらどうしようと不安に嘆く者。
今、アリーナはその二つの雰囲気に分かれていた――。
「ああ~ はやく帰りてえ……」
「……………うぅ」
違った。
ただ一人を除いてと付け加えるべきだった。
クロトは魔力判定の列に並ぶ者たちの中でこんなことはどうでもいいと言わんばかりに退屈そうに欠伸をしていた。
その横に並ぶレティシアはクロトの魔術に対する態度に頭を悩ませていた。
座った場所が隣同士なこともあって魔力判定もレティシア、クロトの順に行われることとなった。
魔力判定が行われるまでの空き時間、クロトはずっとこんな調子で冷めきった様子で列を眺めていたのだ。
そんな愚痴をずっと横で聞かされ続けたレティシアはすでに我慢の限界だった。
レティシアだってこれから行われる魔力判定に花を咲かせたい。
魔術に対する憧れを語り合いたい。
これから一緒になるかもしれない友人と楽しくお話をしたい。
そう思っても仕方ないというのに、隣のクロトは「今日の晩飯なにかな……」とか「やっぱ俺にロリコン趣味はなかったんだな」とか意味のわからないことを言って魔術に対する話どころか、横にいるレティシアに話かける素振りすら見せないのだ。
クロトがずっとこの調子なこともあってレティシアも手持ち無沙汰で列を眺めているしかなかった。
(こういう時は男の子が話題を提供するものでしょ?)
初対面とはいえ、今日は入学式。
自己紹介くらいはあってもいいはずだ。
こんな愚痴を一方的に聞かされるこっちの身にもなってほしい。
レティシアは盛大に肩を落とすと力なくクロトに視線を向けた。
「ねえ、他に言うことはないの? さっきから愚痴ばっかりじゃない」
「え? 俺に言ってるの?」
キョロキョロと辺りを見渡したクロトは自分に指を指しながら首を傾けた。
「そうよ。あなた以外の誰がいるっていうの? 私にはエア友達なんていないんですけど」
「安心しろ。俺にもいねえ。っていうかリアル友達もいねえよ」
「でしょうね。あなたみたいな性格の悪そうな人に友人とか……」
「…………お前も大概じゃないのか? そんな堂々と人を馬鹿に出来るヤツそうはいねえと思うぞ?」
「勝手に人を共犯扱いにされたら誰だってこうなるわよ。しかも変な誤解までされちゃったし……」
「共犯扱いしたのは悪かったが、変な誤解されたのはこっちだって同じだ。……っていうか誤解されたくないんならあんまり話かけるなよ。さらに話がややこしくなるだろ……ってどうした?」
レティシアは信じられないものでも見たかのように驚いていた。
クロトは面倒くさがってレティシアから視線を逸らそうとした。
――が。
「驚いた……」
「は?」
「そんなにすんなりと謝罪の言葉が出てくる人だなんて想像もしてなかったから。それにちゃんと私のことも少しは考えていたことに驚いたのよ」
「お前、俺を馬鹿にしてるよな?」
「そ、そんなことないわよ……」
明らかにレティシアの目は泳いでいたがクロトはそこまで追求するのが馬鹿らしくなってあえて指摘はしなかった。
「だから、私の方こそごめんなさい」
「え? なんで俺、謝られているの?」
今度はクロトが目を見開いて驚く番だった。
レティシアはどう見ても堅物で頑固で気の強いイメージだ。
それこそ素直に頭を下げるような女の子じゃない。
そんな女の子が唐突に謝ってきたのだ。
もはや、驚きを通り越して怖いくらい。
クロトは冷や汗を浮かべながら何はともあれ頭を下げた。
「なんだか知らないけど別にいいって! だから頭を上げてくれ、頼むから」
「え? ええ……」
渋々といった感じで頭を上げるレティシア。
どうしてクロトまで頭を下げているのか不思議でならない様子だった。
「ったくなんだよ、調子狂うだろ……」
「そ、そんなこと言われても知らないわよ。私は悪いと思ったことは素直に謝ることにしてるの。ただそれだけよ」
「へいへい……って次、あんたの番だぞ。はやく行って来いよ」
「え? もう?」
気が付けばいつの間にか列の最前列にいた。
魔力測定器の前に座った中年の教師の目がはやく来いと見つめていた。
レティシアは慌てた様子で測定器に向かう――――直前で足を止めた。
「レティシア=アートベルン」
「は? なんだよ、急に」
「自己紹介よ自己紹介! 前で並んでいた人たちがやっていたから私もしたくなったの! あなたの名前は?」
「え、あ、えっと……クロト=エルヴェイトだ」
「そ、精々あなたと同じクラスにならないことだけは祈っているわ。それじゃ」
「あ、お、おい!」
言いたいことだけ言ったレティシアは今度こそ測定器の前に進み出る。
測定器の前に立ったレティシアに中年の教師は驚嘆の表情を浮かべる。
大勢の新入生を見てきたこの教師にとってこの魔力測定を前にしてこんなにも嬉しそうにはにかんだ笑みを浮かべた生徒は初めてだったのだ。
大抵の生徒はこの場所まで来ると緊張のあまり顔が強張っているものだ。
緊張がほぐれているのはいいことだと頷きながら男性教師はレティシアの前に大きな羅針盤のような器具を差し出した。
「この上に手を置いて。あとは勝手に装置が魔力量を読み取ってくれるから」
「はい」
羅針盤にはガラス玉のような水晶が手前につけられ、そこから伸びる針が今は『E』という場所で止まっている。
これはまだ何も魔力を検知していないことを意味する。
つまりは魔力がほとんどない。あるいは最低ランクということだ。
この文字の他に間隔を空けて『D』、『C』、『B』、『A』、『S』の文字が並んでいた。
この学院に来る生徒は大抵が『D』か『C』、優等生と呼ばれる生徒が『B』、そして天才と呼ばれる生徒『A』の魔力量を有していることが多い。
もちろん魔力量だけで優劣はつけられないが、重要な意味を持っていることには違いない。
(せめて『B』はあってほしいな……)
レティシアは意を決して水晶に手を当てる。
レティシアの魔力に反応した針が動き始め、その針が勢いよく『S』の数字を超えて羅針盤の淵をガンガンと叩いた。
「え……?」
「は……?」
レティシアが目を見開くのと同時に男性教師がありえないものでも目撃したように顔を強張らせた。
いったん手を退けるように指示をすると羅針盤が故障していないか確認する。
「も、もう一度手を置いて……」
「は、はい……」
レティシアは恐る恐るゆっくりと水晶に手を置いた――。
結果は同じ。
またしても針は『S』の文字を超え羅針盤の淵を叩いた。
驚愕の表情を浮かべ冷や汗を流した男性教師の様子を見に来たもう一人の若い教師がその結果を見て同じ表情を浮かべた。
「ら、ランクSオーバー…………」
その一言を口にした若い教師の呟きが波紋となってアリーナ中に広がるのに時間はかからなかった。
「あの子、ランクSオーバーって本当?」
「嘘でしょ? 『クアトロ=オーウェン』ですらランクAオーバーって話なのにそれを上回るなんてありえないでしょ?」
「ってあの子、今朝の痴女じゃないの!?」
――と、一部おかしな単語こそ含まれはするが、今朝の出来事を上回る程の衝撃がアリーナ中を駆け抜けた――――。