甘い一時
「うぎゃあああああああああああああああああ!」
ほぼ日課となりつつある絶叫が今日も一人の少女の寝室から木霊した。
枕に顔を埋め、声にならない悲鳴を上げていたのはレティシア=アートベルン。
その顔は一つの例外もなく耳まで赤く染まり、彼女の恥ずかしさを物語っていた。
さながら思春期特有の恥ずかしいポエムが見つかった時のように。
それは思い出すだけで黒歴史まっしぐらの恥ずかしい記憶を思い出した時のように。
誰かに知られることはまさしく社会的な死を彷彿させる絶叫だ。
腰まで届くほど長い金色の髪は寝癖で乱れ、身につけていた白を基調した薄着のベビードールも派手にめくれ、その控えめな胸が柔らかいシーツに申し訳ない程度に押しつぶされていた。
ほぼ日常となりつつある絶叫にも実は理由がある。
それは夏休みに入る直前に起こった事件――『英雄事件』(レティシア命名)に理由があった。
事件そのものは無事に解決。
レティシアの胸元にあった刻印も今では跡形もなく消え去り、事件の記憶も風化しつつある。
もっともあの事件をきっかけに『新たな英雄』として噂されるようになったがそれは別の話。
今、レティシアの頭を悩ませる人間はただ一人。
最低魔術師でパートナーのクロト=エルヴェイトだ。
あの事件をきっかけにレティシアは知ってしまった。
彼が抱える秘密を。
それは誰かに簡単に言えることではないし、そもそも女王陛下に口止めされてもいた。
だからこそレティシアが頭を抱える内容は彼の秘密ではなく、むしろあの事件の過程にこそある。
――――『好き』
その言葉を口に出してしまった。
極限状態の中で無意識に出た言葉。
レティシアもすぐに恋愛とは別物だと言い分けをした。
けれど――。
告白してしまった。
それも初めての……。
それを思い返すと胸が張り裂けそうなほど苦しい。
クロトの呆けた顔を思い出すだけで顔が真っ赤に染まり、そんなことを口走ってしまった自分を思い出すたびに身悶えしてしまう。
つまりは――。
ここ連日の奇行の正体は結局のところ照れ隠し以外の何ものでもなかった。
告白とは一世一代のものだ。
レティシアが愛読する書物にだって一度っきりの儀式のようなものでそれで結ばれなかった試しを読んだことがない。
もちろんフィクションだということは分かっている。
現実に結ばれない男女もいる……というかその最たる例がこの現状だろう。
もう一度同じ言葉を言うことなんて出来ない。
どんな罰ゲームだと勘ぐってしまいそうだ。
それに相手があのクロトだ。
ことあるごとにヘッポコ、三流だと散々人を馬鹿にしてきたあのクロトだ。
むしろ恋愛感情めいた気持ちに疑問を抱く方が妥当ではないか?
――とは思ってみても……。
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁ…………」
彼を思い出すだけで顔が沸騰しそうだ。
これが恋だと認めたくない。
初恋があいつだなんて信じられない。
けどこの気持ちに当てはめられる言葉がそれ以外ないのも事実だ。
結果として――。
毎朝レティシアは目を覚ますたびにこうして悶える羽目になってしまったのだ。
「ちょっとレティ?」
「――きゃあああああああ!」
ノックもせずに口調を強めながら寝室に入ってきた母親にレティシアは思わず悲鳴を上げた。
呆れた様子で母親は腕を組むと深いため息を吐く。
「いつまで叫んでいるの? ご近所迷惑でしょ? それに何時だと思っているの?」
目くじらを立てる母親から逃れるように枕元に置いていた時計に目を向ける。
時計の針はちょうど十時を過ぎたところ。
昨日寝たのが二時を過ぎた当りなのできっちり八時間は寝た計算になる。
「じゅ、十時……かしら」
「そうね。もうとっくに朝ご飯は終わっているわよ」
「え? 私の分は?」
「あるわけないでしょ。何度起こしても起きないし、こんな時間まで残しておくわけないでしょ?」
「ええ~」
抗議の眼差しを向けようとするがそれ以上に怒り心頭の母親が怖くて目が向けられない。
「だいたい、夏休みに入ってから毎日毎日言家でゴロゴロして、もっと有意義に過ごせないの?」
「これから過ごそうとしていたのよ」
そもそもクロトのことが脳裏に過ぎって何も手がつかなくなり、結果としてゴロゴロしていたわけなのだが……。
「あら? そうなの? 何をするつもりだったのかしら?」
「それは――」
思わず口ごもる。
やりたいことなら沢山ある。
ノエルと遊ぶ約束や勉強の約束。
旅行の話だってあるのだ。
けど……。
(ノエルとそんなに時間が合わないのよね……)
夏休みに入って早速遊ぶ――もとい勉強の約束をしようとしていたのだが、それはご破算に終わった。
夏休みの前半、ノエルは実家の仕事を手伝うそうなのだ。
なんでも小さい頃から手伝っていて毎年の恒例行事となっているそうで、そのお手伝い賃金で後半は旅行や遊びにいく計画を立てた。
だから、実は夏休みの前半の予定はぽっかりと空いているのだ。
その間に課題を終わらせておくのも悪くないと思って僅か数日で残すは自由課題だけとなった。
その課題も決めているので、後は題材となるものを見つければいいだけなのだが……。
「夏休みの課題かな?」
「レティ、前にも同じこと言って家のお手伝いから逃げたわよね?」
うぐっと息が詰まる。
確かにそれを口実に家事から逃げたような……。
「家のお手伝いをするからお小遣い前借りさせてって頭を下げたのはレティの方よね? いいのね? お小遣いなくても?」
「それはッ!」
困る。
ものすごく困る。
お金がなければ遊びに行けない。
この人質? をとられた瞬間にレティの運命は決まっていた。
「……家の手伝いをする予定……かな?」
「そう。なら早く着替えてきてね」
怒りを収めた母親が笑みをのぞかせて寝室を後にしようとする……が。
ピタッと立ち止まると優しい声音で呟き始めた。
「安心したわ」
「え? お母さん?」
「あんな事件に巻き込まれて、怖い思いをしたかもしれないのに、いつも通りのレティでよかった」
言葉を失った。
あの事件のあと、一番心配したのは間違いなく両親だ。
レティシアの命が危険な状況であったことを知るや否やすぐさま転校、あるいは退学の手続きに手が伸びた時は驚いた。
涙ながらに抱きつかれた時なんて、緊張の糸が切れて互いに泣き出したほどだ。
その日の晩は久方ぶりに家族そろって川の字で寝たことも記憶に新しい。
国からの謝礼金なんて門前払いでこれからのレティシアの身の安全だけを求めていたのだ。
純粋に嬉しかったし、同時に誇らしくもあった。
自慢を両親を持てたことを……。
けど、レティシアは学院を、魔術から離れる選択を選ばなかった。
成し遂げたい夢が出来た。
ただの憧れではなく、自分の夢を実現するために魔術の道を進む決意を両親に打ち明けた。
渋々は納得してくれたが、それでも葛藤があったことを知っている。
両親には魔術を嫌いにならないで欲しい。
だからこそ、レティは今回の自由研究で、まず最初の一歩を踏み出すことを決めていた。
テーマは「未来における魔術のあり方」
誰もが幸せになれる魔術を実現するためにその理想を言葉に、文字に、頭に描くことこそが夢に向かう第一歩となると信じて、このテーマを選んだ。
後はそのとっかかり。
イメージ出来る魔術を調べることなのだが……それが中々に難航していた。
誰でも簡単に扱える魔術など《インスタント魔術》くらいしか思いつかない。
けど、既存の《インスタント魔術》ではレティシアの希望に添うものはなく、結果として手詰まりだったのだ。
「うん。心配かけてごめん。けど、私は大丈夫だから」
レティシアは母親を安心させるように笑みを浮かべる。
「そうね。あなたは思っていた以上に強い子よ。あなたの夢も応援してあげたい。けどね……それがぐーたらしていい理由にはならないわ。魔術だけじゃなくちゃんと家のお手伝いもしなさい。いいわね?」
「う……わ、分かってるわよ……」
部屋に一人残されたレティシアはそう愚痴ると重たい動作でベビードールの肩紐に手を伸ばし、服を適当に脱ぎ捨てると簡単な身支度を調えていった――。