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英雄が残していったもの

「なぜ……そう思った?」


 椅子に座りなおしたエミナは居住まいを正すと刺すような視線を少年に向けた。

 黒髪の少年は素知らぬ顔で平然と言ってのける。


「なんとなく?」

「なんと……なくだと?」


 予想外の言葉にエミナは言葉を詰まらせた。

 確信を持って言い放ったわりにその根拠が曖昧過ぎることに目眩を覚えたと言っていい。


(やっぱりただのガキか)


 いや、ただのと言っては失礼だ。

 人を不機嫌にさせることに天才的な素質を持つ気にくわない少年と言ってもいい。

 こんな年端もいかない少年に構っていられるほどエミナにも余裕はない。

 下らない話は終わりと言わんばかりに少年に向かってシッシと手を振る。


「帰れ」


 動かない少年にエミナは苛立った口調で立ち去るようにも告げる。

 だが、目の前の少年はそこから動く気配がなかった。


「連れないこと言うなよ。確かに――」

「ん――?」


 少年が何かを口にしかけて、エミナは視線だけを向けた。

 次に下らない話をしたら吹き飛ばしてやるという殺気を込めてにらみつけるが少年は気にした様子もない。


「なんとなくそう思ったけど、そう思った確証はあるんだぜ?」

「なに?」


 エミナが怪訝な視線を黒髪の少年に向け直す。

 少年は勝ち気な瞳で見つめ返すとエミナの黒いドレスを指さした。


「そのドレスから少しだけど血の臭いがした。それにこの店に来た時、お前、店の視線を気にしなかっただろ? だから思ったんだよ。『馴れてる』って」

「馴れる? 何にだ?」

「誰かを傷つけることにだよ。ここに来るまでお前の噂は嫌って程耳にしてきた。俺の故郷でも風の噂で聞くくらいだから実際は相当なもんだろ?」


 エミナは少年の追求に息を呑んだ。

『氷黒の魔女』の噂と言えばいい話は一つとしてないのだ。

 たった一人で国を一つ滅ぼした。

 巨大な魔獣すら討ち滅ぼし、その住処を根こそぎ破壊した。

 ――と。

 彼女の行ってきた破壊衝動を上げればきりがない。

 単にこの国からの要請だと言えば聞こえはいいが、エミナの行いは度を超していた。

 憂さ晴らしするように、己の魔術を貶めるように……。





 彼女の行いは一重にエミナ自身が『クアトロ=オーウェン』に縛られているからに他ならない。

 クアトロ=オーウェンがエミナの目の前で命を絶ち、エミナに残されたのは絶望だけだった。


 許せなかった。


 信じていた男に実は生け贄にされるためだけに優しくされていたことが。


『許さない……このまま死ぬなんて絶対に許さないから』


 エミナがクアトロ=オーウェンに向けた最後の一言。

 散々利用して、殺そうとして、そして自分勝手に絶望して自ら命を絶つ。

 許せるはずがなかった。


 私の苦しみは?

 私の気持ちはどうなるの?

 私は誰かの代わりじゃない。

 私を――大勢の人を騙した責任を取れ。

 勝手に死ぬなっ!


 その時、クアトロの安堵した死に顔を見てエミナが抱いた激情がそれだった。

 けれど――。

 クアトロ=オーウェンの葬儀が終わり、怒りに満ちた思考が落ち着いてきた時、エミナはようやく気がついたのだ。


 一人ぼっちだということを。


 誰もいない。

 エミナを理解してくれる人も。

 優しくしてくれる人も。

 怒ってくれる人も誰もいない

 全てを与えてくれたたった一人の男が死に、エミナに根付いたのは恨みでも怒りでもなかった。


 絶望


 この先、ただの一人も愛してくれる人が現れないという絶望がエミナを奈落の底へと突き落としたのだ。


 だからこそエミナは狂った。

 狂ったようにこの国の剣となり盾となり、クアトロから教わった魔術をエミナを捨てた世界に向けて解き放った。

 

 

 常に冷酷な表情を浮かべ、情けをかけず過剰なまでに相手を屠る『氷黒の魔女』が誕生するのに一年とかからなかった。

 なにせ――。

 そうすることでしかエミナ=アーネストは『クアトロ=オーウェン』との繋がりを感じることが出来なかったのだから――。






「……バカ野郎」


 少年の口にした言葉の意味をエミナには全く理解出来なかった。

 罵倒された意味も彼の瞳に宿る怒りの理由もわからない。

 エミナは背筋に冷たいものを感じながら少年を睨む。


「この私が馬鹿だと?」

「ああ。大馬鹿野郎だ。クアトロはお前にそんなことをさせるために魔術を教えたわけじゃないだろうが」

「――っ!」


 何を――。

 何を――。


「お前に――何が分かる!?」


 怒りに我を失ったエミナから青白い魔力の塊が吹き荒れた。

 テーブルを吹き飛ばし、壁に亀裂を奔らせ、大地を揺らすランクA相当の魔力。

 エミナ=アーネストの潜在魔力はランクAだ。

 驚くべきことにエミナは二十代という若さにして自身の上限である潜在魔力の全てを引き出すことが出来るのだ。

 その事実に気付いた少年はされど取り乱した様子もなくエミナの双眸をしっかりと見据えていた。



 気にくわない。

 まるでエミナの全てを理解したような気でいるこの少年の瞳が。

 何より――エミナですら最後まで理解することが叶わなかったクアトロを知っているような口ぶりがエミナから理性適な感情を吹き飛ばしていく。


「お前に――私の、私たちの何が分かるっていうんだ!」


 最高潮に達した魔力に酒場がミシミシと悲鳴を上げる。

 少年は険しい表情を浮かべるとエミナに近寄った。


「表に出るぞ」

「なに?」


 エミナは目を見開かせ、少年の意図を探ろうとした。

 

「分からねえのか? お前、この酒場を、大将を吹き飛ばすつもりか?」

「――あ」


 ようやく気がついた。

 ここかどこなのか。

 エミナの視線はゆっくりとカウンターの奥、頭を庇って身を屈めた店主へと向けられた。

 小さな悲鳴に不安に揺れる肩を見た瞬間、途方もない後悔を抱く。


「わかったか? この人を巻き込みたくない。お前に優しくしてくれた人っていうなら尚更だ」

「――くそ」


 エミナは苛立ったように頭を掻き、店主の肩に手を置いた。


「……悪い」

「……いや、いいんだ」


 青ざめた顔を浮かべていた店主はエミナを否定はしなかった。

 けれど、その表情を見た時、エミナは泣きそうな顔を浮かべ、俯く。

 いつも豪快な態度で壊せる物なら壊してみろと大仰に語っていた店主が初めてエミナに恐怖の視線を向けていた。

 本当の『氷黒の魔女』を垣間見たのだ。無理もない。

 それはエミナを否定する気持ち以外の何物でもなく、エミナはもう一度「悪い」と言って速歩で店を出て行く。


 その背中がもう、この店に立ち寄らないことを告げていた――。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「えーと、悪いな。巻き込んじまって」


 残された少年はバツが悪そうに言うとエミナと同じように頭を掻いた。


「いや、いいんだ」


 返ってきた言葉は少年の発言を許すものだった。

 だと言うのに店主の顔色は晴れず、そればかりか悔しそうな表情をのぞかせていた。


「もう、嬢ちゃんがこの店に来ることは――」


 ない。


 その一言を絞り出すことを店主は無意識に避けていた。

 いつも酒に溺れ、二日酔いに苦しむこともあれば吐くこともあった。

 悪酒が印象に残る女性だが、彼女は一度として酒が旨いとも、そして酒を飲んで笑うことすらなかった。

 一度もその感想も顔も見れないまま終わってしまったことがたまらなく悔しかったのだ。


「来るに決まってんだろ」


 当たり前のように言ってのける少年に店主は顔を上げた。

 朗らかに笑みを携えていた少年は蹲っていた店主を引き上げる。


「あの人見知りのガキが毎日のように通ってた店なんだろ? だったらあいつはこの店が好きなんだよ。だからまた来る。駄々を言うようなら尻叩いてでも連れてきてやるよ」

「お前……」


 この店主は長年店を切り盛りしてきた中である主の第六感とも言える感覚が研ぎ澄まされてきた。

 それは観察眼。

 人の善し悪しを見分ける目利きと言ってもいい。

 この国にも盗賊まがいな連中は大勢いる。

 金を払ってくれる客、払ってくれそうにない客も含め、悪人を見る目も当然必要なスキルだった。

 その第六感を持っていたはずの店主は初めてその感覚に疑問を抱いた。

 感覚に従えば、このガキはそう簡単に信じていいようなガキじゃない。

 悪人ではないにしても何かしらの後ろめたい感情を持った目をしたガキだ。

 本来ならそんなヤツの言葉を信じることはない。

 けれど、その磨いてきた第六感を無視してでもその言葉を信じたいという感情が店主の心を埋めていく。


「……信じていいんだな」

「おう」


 店主はその自信に満ちた瞳に、少年の底知れない何かに全てを委ねる覚悟を決めた。


「……頼んだぞ。クソガキ」


 店主のその言葉に少年は笑みを浮かべて頷いた。



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