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酒が不味い理由

 エミナとその少年の出会いは今から五年ほど前に遡る――。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 



 ――バンッと唐突に酒場の扉が吹き飛ばされた。

 扉の前で談笑していた客が運悪く扉の下敷きとなり、喧騒に包まれていた酒場の雰囲気がガラリと変わる。

 誰もが強張った表情を浮かべ、扉があった場所に佇む女性に視線を向けていた。

 女性――エミナ=アーネストは酒場を一瞥するとわずかに顔をしかめた。

 曲がりなりにもこの国で最強の魔術師のとして存在する彼女に向けられる視線には尊敬や憧れの視線は一つもない。

 向けられる視線の全てが恐怖、畏怖の眼差しでそれを見るたびに気が立ってしょうがなかった。

 歓迎されない人間であることはエミナ自身がよく理解している。

 まるで野生の獣を思わせる瞳に彼女の体に染みついた血の臭いがその場にいた人達に恐怖を植え付けるのだ。


(そんなもの知るか)


 吐き捨てるように吐露し、エミナは扉の下敷きになった男を扉ごと蹴飛ばした。


「邪魔」


 ただ一言。

 エミナの発したその言葉に酒場にいた大半が我を失ったように散り散りに店を飛び出していく。

 その様子を黙って見ていたエミナは最後の一人が逃げた入り口を見てため息を吐いた。


「別にそういうつもりで言ったわけじゃないんだがな」


 ただ下敷きになった男の存在が目障りだっただけ。

 扉を蹴飛ばしたせいで死なれるのが迷惑なだけだったからだ。

 酒場を見回すと残ったのは目を吊り上げてエミナを睨むこの店の店主とその側のカウンターで食事をしている少年だけだった。


「そう睨むな、大将」

「睨みたくもなるわ。お前のせいでまた売り上げが下がるだろ。しかもほとんどのヤツが金も払わず逃げ出しやがった。とんだ赤字だ」

「さっきの客の代金くらい私がまとめて支払ってやる」

「ついでに扉と壊れたテーブル、後は壁の修理費もだ」

「はいはい。わかっているよ。いつもの頼む」

「お前さん、今日、酒は?」

「飲まない。不味いから」


 酒は不味い。一言で言えばそれがエミナが酒に抱く感想だ。

 好き好んで飲もうとは思わない。

 目の前の店主は酒は極上の味だと言いたげな顔をしているが、かなり高い酒やそれこそ希少価値の高い酒を飲んでみてもやっぱり感想は「不味い」の一言に尽きる。

 けれどエミナはかなりの酒好きとして知られている。

 高い酒にも手を出し、大酒飲みで酔って暴れた例も決して少なくはない。

 先ほどこの店の客が逃げ出したのもただエミナの存在に恐怖していただけではなく、酔ったエミナによる被害を恐れていたこともある。

 事実、この店は幾度となく建て直され、その都度エミナの手によって半壊させられてきた。

 それでもエミナがこの店に足を運ぶことを目の前の大柄な男は咎めようとしない。

 そればかりかいつでも来いと言わんばかりの表情を浮かべてさえいるのだ。


「不味いってお前な……」

「不味いものは不味い」

「何度も言うが酒は旨い。この店で酒を飲む連中はその一杯のために必死こいて頑張ってるっていうのに、お前ときたらせっかくの酒をまるで嫌なことを忘れるためだけに飲みやがる」

「それの何がいけない? 泥酔すれば記憶が飛ぶ。何もかも忘れられるんだ。そのために飲んで何が悪い?」

「人の飲み方にあれこれ言うつもりはないが、お前さんは別だ。酒を勧めた責任もあるし、何よりもだ。お前さんに酒を旨いって言わせてやりてぇ」


 エミナとこの店主の出会いは一年ほど前だろうか。

 この店の路地裏で倒れているところを介抱されて、その時勧められた酒を試しに飲んでみた。

 ただそれだけの関係だ。

 特別な関係など何一つないし、この店主が酒を勧めた責任を感じる必要もない。

 エミナにとって酒は一時的にでも嫌な思い出を忘れさせてくれる飲み物。

 その程度の価値しかないのだから。

 恐怖も絶望も後悔も怒りも酒に溺れれば霞んでしまう。

 ただそれだけを求めてエミナは毎日のように酒に溺れるのだ。

 だからこそ――。


「そんな日は来ないよ」


 エミナが酒を旨いと思う日は訪れない。


「それりゃあ、お前さんが満たされてないからだよ」

「満たされて?」

「そうだ。ここの客の連中をよく見てみろ。あいつらは今日という日を懸命に生きて、そして一日に満たされて、そのシメで酒を飲むんだ。満足感から来る酒の味はこの世の極上ってことだよ」

「……そう」


 なら尚更、エミナに酒の旨みを理解することは難しいだろう。

 なぜなら、エミナはこの魔術国家が誕生して十三年、一度としてその心の穴が満たされたことはない。

 心に空いた大きすぎる絶望の穴がエミナから人としての幸福を奪ってきたのだ。

 ――その絶望の象徴こそが『開闢の魔術師』で、彼に対する憎しみが『氷黒の魔女』を生み出したことなど目の前の店主に理解出来るはずがない。

 

「――と、話は変わるが」


 エミナに搾りたてのオレンジジュースを渡した店主は思い出したようにエミナの隣へと視線を向けた。

 つられるようにエミナも視線だけを動かす。

 隣にいたのは黒髪の少年だ。

 この辺りでは見かけたことのない顔立ち。

 中性的な顔つきに黒い髪と黒い目をしていた。

 髪が長ければもしかしたら少女にも見えたかもしれない。

 黒い皮のジャケットに、指ぬきの手袋。

 首元にはゴーグルがかけられている。

 その姿を見て、エミナはある推測を立てた。


「…………表に停めていた魔導器はお前のか?」

「へぇ。あれが魔導器だって気付いたのか?」


 少年は唇の端を吊り上げ、どこか挑発めいた笑みを浮かべる。

 その顔に苛立つものを感じなくはないが、エミナは平静を装って少年に向き直る。


「微かだが魔力を感じたからな。ただお前を見るまであれが魔導器だという確信はなかった」

「ん? どうして?」

「簡単な話だ。あれほどの技術を保有した魔導器なんて聞いたことも見たこともないからな。あの乗り物はこの大陸にはない技術だろ?」

「乗り物だってことには気付いていたわけか……」


 少年は顎に指先を添え、なにやら考え始める。

 エミナが少年の魔導器『ウィーク』を乗りも物だと断言出来た根拠はただあの魔導器に車輪と椅子があったからだ。

 馬車か何かと思っていたがあながち間違いではなさそうだ。

 黙り込んだ少年に興味をなくしたエミナは店主へと向き直った。


「で? このガキは?」

「お前さんに会いに来たって言ってたぞ」


(――私に会いに?)


 なぜ? という疑問が尽きない。

 この国の周辺にはエミナを敵視する国がないわけではないが、こんな魔導器を保有する国――この少年とはなんの面識もなかった。

 そもそもあれが本当に魔導器なのかすら疑わしい。

 なにせ、これまで見てきた魔導器とは次元が違い過ぎる。

 興味本位で見てみたがあの魔導器の技術はこれまでの魔導器と根本からそのあり方が違うのだ。

 エミナの知る魔導器とは魔術師を補助する道具――つまりは『杖』や『ローブ』といった魔術品か、この国で開発された大衆向けの《インスタント魔術》くらいだ。

 表に停めていた魔導器はどちらかと言えば後者の様だが、それにしたってその技術力は今のこの国を軽く超えている。

 完全に魔術を度外視したこの技術はある意味で《インスタント魔術》の完成系といってもいい。

 けれど、そんな技術を持った国の存在をエミナ=アーネストが知らないはずが……。


(まさか、このガキ……)


 ある考えがエミナの中に芽生えた。

 この考えが確かなら彼の素性に納得出来る。



 遙か東の海に存在する未踏の島国。



 もし彼がそこの出身者ならあの魔導器の出所も理解出来るだろう。

 だが――。

 だからこそ疑問が尽きない。


 なんの用件でエミナ=アーネストのところに訪れたのか――。


 こればかりは直接聞かないとわからないことだ。


「お前、私になんの用だ?」

「ん? あぁ、悪い。考えごとしてたわ」


 何食わぬ顔で謝る少年にエミナは微かな怒りを感じた。


 似ている――。


 あのバカに。


 ちょっとした仕草もそうだが、何より、人の話を聞かずに途中で考え事をする癖なんてとくに――。


「確認だが、アンタがエミナか?」

「……そうだ」

「そっか。俺は――」


 と、名乗ろうとした所で少年は言葉を詰まらせた。


「どうした?」

「いや、どう名乗ったものかと……こっちの名前を出すか? それとも……」

「いいから名乗れ。さもなければ帰るぞ。これでも忙しいんだ」


 エミナが席を立とうとした直前、


「――また、魔獣狩りか?」


 その一言がエミナをその場に縫い付けた。


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