絶望の選択
一瞬、クアトロは目の前の光景に涙を流しかけた。
念願の魔術――『死淵転生』を無事に成し遂げた開放感か、
あるいは□□□ともう一度会えるからか。
どちらにせよ、クアトロは感極まったように嗚咽を漏らしていた。
魔術式の中心に置かれた棺がゆっくりと開けられる。
中から出てきた少女にクアトロはずっと目を奪われていた。
その夜を連想させる流星のように長い黒髪に、
雪のように白く、そしてシルクのように柔らかかった肌に、
彼女のその全てに見惚れていた。
―――。
――。
何度も思った。
彼女より美しい人はこの世界にはいないのだと。
クアトロが生涯愛するのは彼女しかいないのだと。
告白した。
ずっと一緒にいる。
君のいない人生など考えられない。
俺は君が好きだと――。
想いは届いた。
けれど――。
クアトロの想いを世界は否定した。彼女の死という結果で――。
憎んだ。壊れて、狂って憎しみ抜いた。
世界を、彼女を幸せに出来なかったクアトロ自身を――。
だから決めた。
あの最後の涙をぬぐってあげたい。
生きたいと願った彼女の願いを叶えたいと――。
それが――。
それがようやく叶う。
『ああ…………ああッ……』
起き上がった少女を前にクアトロはとうとう涙を流した。
今まで積み重ねてきた想いがクアトロの理性を押し流す。
聞きたい。
二度と聞けないと絶望した彼女の声を――。
触れたい。
昔のように彼女の温もりを強く抱きしめて――。
クアトロは立ち上がると一歩、前へと踏み出す。
『…………?』
最初に言うことは決めていた。
長い眠りから覚めた彼女に向ける一言を。
クアトロは駆け足になりながら□□□に近づく。
強く抱きしめて耳元で囁くんだ。
――『おはよう』
その一言を――。
クアトロの存在に気づいた□□□はその瞳をクアトロに向ける。
瞳が交差した。。
クアトロは自然にその足を止めて、喉を震えさせた。
『なんだ? これは……』
口から出た言葉は言いたかった言葉ではない。
そればかりか、目の前の少女を人として向けた言葉ですらなかった。
もっと別の――。
おぞましい何かを目の前にしているような……。
『あ、あ、あ……』
クアトロの口から言葉にならない喘ぎ声が漏れる。
彼女が人ではない。
その真実を知ってしまった瞬間――。
『ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!』
クアトロの心が音を立てて崩壊していく。
目の前に呆然と立ち尽くす少女は泣きながら狂い叫ぶクアトロをその虚ろな瞳で見続けていた――。
――――――。
――――。
――。
何がいけなかった?
クアトロは億劫になりながらもその原因を探ろうと半ば無意識で思考を巡らせていた。
魔術式に何かミスが?
泣き崩れ、目線だけが術式へと向けられる。
霞んだ視界に映った魔術式に間違いの痕跡はなかった。
ならば、手順に不備が?
それとも……。
クアトロは壊れた人形のように首を動かし、□□□の姿を探す。
彼女は横たわるエミナに近づき、エミナの頭と腕を押さえつけ、首元に顔を近づけていた。
人柱として選んだエミナの魂を喰らうつもりなのだろう。
エミナの魔力は生前の□□□よりも多い。
エミナの魂を取り込むことでその魂と同化――つまりは一つの生命として蘇り、『死淵転生』に分け与えられた仮初めの命から一人の人間として解放される。
この様子を見る限り、人柱の人選に誤りはないだろう。
術式も、人柱も、手順も全てにおいてミスはない。
(ああ。なるほど……)
クアトロは嗤っていた。
その真実に気づいて、それが可笑しくて、そんな簡単なことにすら気がつけなかった自分をあざ笑っていた。
簡単なことだ。
何もかもに間違いはなかった。
魔術に間違いはない。
間違いがあるとすれば、それは――。
魔術なんかに希望を抱いていたことだ――。
『や、やめ――』
エミナの声がクアトロを現実へと引き戻す。
エミナは力の入らない腕で必死に抵抗していた。
涙を流し、懸命に声を上げる。
『く、クアトロ……』
呼んでどうするんだ?
おぼろげにそんなことを思っていた。
どうすればいい?
何を求めているんだ?
クアトロは悲痛な叫びを耳にしても動くことが出来なかった。
動く理由がなかった。
夢も希望も全て潰えた。
目の前にあるのは絶望だけ。
……こんなことは夢であってほしい。
実は全部幻で、目が覚めたらまた□□□が笑顔を向けてくれればどれだけ良いか。
『た、助けて……ッ』
『っ……』
助けて、だと……。
それは、その言葉は今、クアトロ自身が一番口にしたい言葉だ。
助けてくれ。
この絶望から救い出してくれと……。
叫びたい。
エミナのように乞いたい。
けれど……。
誰に?
エミナはクアトロに助けを求めた。
けど、クアトロは誰に助けを求めればいい?
こんなのは全て身勝手に、浅はかに魔術に夢を見てしまったクアトロ一人の責任だ。
クアトロを助けてくれる『誰か』なんて存在しない。
(それに……助けられるわけないだろ?)
エミナを助けるということは□□□をこの手で殺すことだ。
そんなこと出来る訳がない。
彼女を手にかけるくらいなら――。
『助けて……クアトロッ!』
『――ッ!』
見たくない。
□□□の変わり果てた姿を――。
『オ、アアアアアア……』
聞きたくない。
彼女の狂った言葉を――。
なら簡単だ。
クアトロは手にしていた《黒魔の剣》を逆手に持ち替えると強く握りしめる。
もう何も聞きたくない。
見たくない。
誰も絶望から救い出してくれないなら……。
いっそ全てを捨てて逃げ出してしまえばいい。
クアトロは震える腕を振りかざし、胸元へと《黒魔の剣》の切っ先を突き立てた――。
それが開闢の魔術師と呼ばれたくそったれな英雄の最後だった――。