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最低最強の英雄譚《リ・スタート》  作者: 松秋葉夏
第一章 最低最強の英雄譚
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希望の転覆

『よし、完成だ』


 クアトロは魔術筆ソーサリィを仕舞うとその出来映えに満足していた。

 大理石の床全面に描かれた魔術式。

 それは今日、この日のために時間をかけて描いた魔術式だった。

 その幾何学的な模様に歪な箇所は一つもなく、どれだけの心を込めてその魔術式を描いたのが容易に想像出来る。

 そして、一週間もの間、その作業を見続けてきたエミナは意外そうな表情でクアトロを見つめていた。


『珍しいね。クアトロが魔術を簡略化しないのって』

『そうだね』


 クアトロは笑って頷いた。

 クアトロが得意とする特技の一つに魔術式の簡略化がある。

 これは文字通り魔術の発動を短縮させる技術で、その技術は長々と唱える詠唱をわずか一言で終わらせたり、何日にも及ぶ魔術式をものの数分で同じ効果を持つもっとシンプルな魔術式へと置き換えることが出来る。

 その特技はクアトロの体に本来ではありえない十三にも及ぶ魔術を刻むことを可能にするほどだ。

 全ては魔術への造形、魔術の仕組みを深く理解出来ているからこそなせる絶技なのだが、皮肉にもその絶技はこの魔術を完成させるために身につけた副産物と言えなくものない。


『それだけにこの魔術が大切なものだってことだよ』


 簡略化された魔術は多少なりともその精度が本来の魔術に比べ劣るか、効果が不安定になることがある。

 それは本来、魔術を安定させるための術式がクアトロの魔術式から除外されているからに他ならない。

 手っ取り早く同じ効果の魔術を使うには何かしらのリミッターを外す必要がある。

 クアトロの見つけた打開策こそが術者を守るために描かれた魔術式を完全に無視したものだった。

 だからこそ、クアトロの得意とする重力魔術《グラビトン・フォール》は術者であるクアトロ自身をも巻き込んでしまうし、転移魔術に限っては全身が揺さぶられて乗り物に乗った時よりもひどく酔ってしまうことから乱発は出来ない欠点など、その身に刻んだ魔術にも当然のごとく欠点が存在していた。

 けれど、別にそれでも良かったのだ。

 クアトロの体に刻んだのはあくまでその場しのぎ。

 本命の魔術を発動させるための時間稼ぎ程度の認識しかないのだから。


『それに……《黒魔の剣》まで持ち出すなんて』


 エミナは意味深な視線をクアトロの手元に向けていた。

 鞘に収められたそれはクアトロの杖――《黒魔の剣》だ。

 実のところ、クアトロが《黒魔の剣》を使った姿をエミナはほとんど見たことがなかった。

 目にしたのは初めてエミナを拾った時や、クアトロがこの国に来て魔術のデモンストレーションを行った時くらいだろうか……。

 後は、この国の重鎮に顔を会わせる時に剣の力を借りて《ローブ》を形だけ作っていた記憶しかない。

 しかもそのどれもが一度も鞘から刀身を抜くことがなかったのだ。


『――――』


 険しい表情でクアトロが握っていた柄に力を込める。

 シャン――と綺麗な音を立て、エミナの前で初めてその漆黒の刀身が姿を見せた。

 確かに《黒魔の剣》と呼ばれる由縁となるほど、その刀身は夜のように綺麗な漆黒の色をしていた。

 けれど、その名前が本来の名前でないことをエミナは知っていた。

《黒魔の剣》はクアトロがその刀身の色からつけたあだ名だ。

 正しくは《刻魔の剣》と言うそうだ。



 ――――新たな魔術を刻む剣。



 そんな話をクアトロから一度だけ聞いたことがあった。

 《黒魔の剣》は刀身の根元にあるくぼみに魔力が込められた魔晶石をはめ込むことで魔力の持ち主の特性を付与した外套ローブを創る。

 それはクアトロに新たな力を付与する力。

 その名の通り新たな魔術をクアトロに与える杖なのだ。

 初めて見る抜き身の刃に目を奪われたエミナは目の前の魔術式がどれほどクアトロにとって大切なものなのかをようやく理解した。

 なにせ、今まで抜かれることのなかった剣が抜かれるほどなのだ。

 失敗が許されない魔術であることは誰にだって理解出来る。

 クアトロはポケットから一つの魔晶石をはめ込む。

 刀身にはめ込まれた魔晶石は紺色の輝きを放ち、その特性に見合った《ローブ》を創っていく。


『クアトロ、その《ローブ》……』


 エミナが出来上がった《ローブ》を見て言葉を詰まらせる。

 エミナが見たことのある《ローブ》は一つだけ。

 それはクアトロの『無色』の魔力から創られた黒いロングコートのような《ローブ》だ。

 だが、今クアトロの纏っている《ローブ》は今までのものとは違った。

『紺色』の魔力を帯び、その《ローブ》はまるで神官のようなイメージをエミナに抱かせるデザインだった。

 杖がその特性に見合った《ローブ》を創るのならこの《ローブ》の特性は間違いなく生や死といった生命の円環に関係する何かに特化した《ローブ》なのだろう。

 困惑するエミナの頭をクアトロは優しい手つきでなでる。


『これで俺の準備は整った。エミナ、悪いけど力を貸してくれるか?』

『クアトロ……』


 実のところ、エミナはただならぬ不安を抱いていた。

 床一面に描かれた魔術は芸術品と呼べるほど丹念に描かれていて、思わずため息が出そうだ。

 初めて目にするクアトロの杖にも興味が尽きない。

 だが、それよりも――。

 そんなことよりも――。

 エミナは魔術式の中心に置かれた装飾の施された棺に寒気を覚えていた。

 クアトロが丸一日国を離れ、持ち帰ってきた棺。

 その中に何があるのかエミナはここに来るまで一度も聞くことはなかった。



 なにせ、クアトロの向けるその表情が最愛の人を見るそれと同じだったのだから……。



『うん……わかった』


 エミナは背筋が凍るような不安を押しのけて頷いた。

 だって、クアトロがエミナの頭をなでる時、それは絶対に大丈夫だといつだってエミナを安心させてくれる優しい温もりだから。


『ありがとう、エミナ。絶対に成功させるよ』

『うん。頑張ってね』


 不安を必死に無視してエミナは魔術式のそばに立つ。

 クアトロはそれを見届けると魔術式へと手を添えた。

 クアトロの《ローブ》から魔力が噴き出す。

 呼応するように魔術式が淡い輝きを放ちだした。


『エミナ、そこからでいい。ありたっけの魔力を出してみてくれないか?』

『うん』


 エミナは青い魔力を身に纏わせる。

 密度のあるそれは普段のエミナの最高出力だ。

 けれど、その最高出力を突破する技法をクアトロから教わっていた。

 一瞬だけ魔力を膨れあがらせる技術『魔力装填』

 魔術に使えるような安定した魔力ではなく、ほんの一瞬だけ何倍にも魔力を跳ね上げるリミットブレイク。

 それがエミナの文字通りありったけの魔力だ。

 クアトロに言われた通りにエミナは魔力を放出させる。

 その瞬間――。


『あ――――』


 ズキリと胸が痛み、体中の魔力が魔術式に無理矢理奪われていく。

 ガクリとその場で膝をついたエミナは発動した魔術式にこれ以上ない恐怖を覚えていた。

 その視線は助けを求めるようにクアトロへと向かっていく。

 だが――。


『――え?』


 クアトロの表情をみたエミナは絶句した。

 目の前の存在が今まで一緒にいた人と同じだとはとても思えなかった。

 何かにとりつかれたように嗤う口も。

 嬉しそうに涙を流すその目も。

 破顔し、狂気に染まった笑みを浮かべるその男性はエミナの大好きな人とは全くの別人だった。

 ズキリ――。


『やった! これで……ようやくこれで……』


 ズキリ――。

 と胸が執拗に痛む。

 はだけた胸元へと視線を下げ、エミナの表情は凍り付いた。

 胸に浮かんだ幾何学的な模様。

 それは床に描かれた魔術式とあまりにも似すぎていた。


『いや――』


 その刻印を見た瞬間、魔術に詳しかったエミナは全てを理解してしまった。

 ここまで何かを理解してしまったことが悲しかったことなど一度もないほどにエミナは瞳から涙を溢れさせた。

 知りなくなかった。

 知りたくなかった。

 知りたくなかった。

 知りたくなかった――――。

 エミナは必死にその考えを否定するように頭を振る。

 けれど、胸の刻印が。

 クアトロの狂乱した笑みが全てを物語っていた。


 このウィズタリアという国も――。

 エミナも――。

 

 全てこの魔術――『死淵転生』のために用意された駒に過ぎないのだと――。


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