開闢の夢
――――――。
『クアトロ、これからどうするの?』
黒髪の幼い顔立ちの少女が一回りも二回りも身長の大きな青年に向けてにこやかな笑みを浮かべていた。
青年、クアトロ=オーウェンは青い空を仰ぎ見て、言った。
『そうだね……俺の大切な人に会いに行こうか。手伝ってくれるかい、エミナ?』
『うん』
少女――エミナ=アーネストは一緒にいられることがうれしいのか、満面の笑みをのぞかせて頷いていた。
―――――――――。
――――これは夢だ。
クロトはその光景を眺めながら理解していた。
まだ、学院も魔術の研究施設すらない。
人々はようやく魔術という異質な力の恩恵を知り始めたところ。
これから、人々は魔術を知り、その力を使って一つの国を作る。
これはその開闢の夢に過ぎない。
クロトの中に宿るクアトロ=オーウェンの魂の軌跡だ。
―――――。
―――。
クアトロ=オーウェンはこの国に訪れた時、隣に小さな女の子――それもまだ十歳くらいの小さな女の子を連れていた。
少女の名前はエミナ。
クアトロがとある経緯で出会った少女だ。
出会った時、彼女は名前以外の全てを忘れていた。
親の顔も、友の名も、住んでいた村も全てだ。
『アーネスト』とはその時、エミナがいた場所の地名からとった姓に過ぎない。
けれど、エミナはその名を、クアトロから初めてもらったその名をすごく気に入っていた(本当はクアトロと同じ姓を名乗りたそうにしていたが、それは丁寧に断らせてもらった)。
それから、クアトロは彼女に魔術という力を教えていく。
彼女がランクAの魔力を秘めていたこともあったがそれ以上にクアトロ自身が彼女と出会えた奇蹟に感謝していたからこそ、長年の努力の成果である魔術を彼女に手ほどきしていった。
一度目の奇蹟がそれだ。
高い魔力を持つエミナと出会えたこと。
クアトロがそう感じたのも仕方がなかった。
なにせ、彼女の黒髪が――黒い瞳があまりにも□□□に似すぎていたから。
エミナは少ない月日の中、驚くほどのスピードで魔術を吸収していった。
元から魔術との相性も良かったのだろう。
初めて教えた魔術でも数日のうちにはものに出来るほどそのセンスはずば抜けて高かった。
クアトロは彼女に『魔力装填』をはじめとした基礎にあたる魔術を教え、彼女の魔力と相性が良かった氷結系の魔術を教えていく。
そんな穏やかな旅の最中、クアトロは二度目の奇蹟を迎えた。
ウィズタリア王国に足を踏み入れたことだ。
魔術の存在しない国。
穀物や農家が盛んだった王国。
周囲は山に囲まれ、林業や農作物が取引の主流となっていた国だ。
その良質な木材で作られた家屋は頑丈で嵐が来ようとも崩れることはないと評判がたつ。
当時、石造りの城の主はエミナと同い年くらいの幼い王女だけで、王も后もいなかった。
突然の王の死に国は次の王の候補者を選ぶ真っ最中だったのだ。
主なき国。
クアトロがウィズタリアを訪れた時、その国に合うもっとも適切な言葉がそれだった。
『クアトロ、ここは?』
エミナが不思議な表情を浮かべて首をかしげていた。
普段は人里をあえて離れ、森林に住む魔獣と呼ばれる獣を相手に魔術の訓練をしてきたエミナだ。
これほど人が大勢いる場所に訪れた機械もほとんどなかったからその光景が新鮮だったのだろう。
クアトロはあやすように彼女の頭をなでる。
『えへへ……』
途端にエミナは表情を崩し、気持ちよさそうに頬を弛緩させる。
これが彼女のお気に入りだということを知って以来、彼女に何かをお願いするときは頭をなでるのが癖になってしまった。
『今日からこの国に住もうと思うんだ』
『家を買うの?』
『そうだよ。その為にまずは挨拶をしようか』
『挨拶? 誰に?』
『この国の王女様だよ。エミナと年も近いし、きっと良い友達になれると思うよ』
友達という言葉に首をかしげるエミナの手を引いてクアトロはまっすぐ城に向かった。
――夢はその場面を王城の謁見の間へと変わる。
次代の国王の選定は国を導ける力の有無と大衆からの信頼を得ることがもっとも重点を置かれていた。
その点で言えば、今の王女、ミレイナ=ウィズタリアは王の器とは言えない。
国王や后にたくさんの愛情を注がれた彼女にはまだこの国を導いていけるほどの力はなく、幼い彼女に誰も信頼をおくことは出来なかったからだ。
謁見したクアトロにも彼女に王としての資質がないことは一目見て理解していた。
甘やかされて育ったミレイナの瞳は不安で押しつぶさそうで、毎夜泣いてでもいるのか、その顔にはうっすらと涙の跡さえ見て取れた。
(何も期待されていない偽りの王、か……)
『それで……えーと……』
『お初にお目にかかります。私は――』
クアトロは自身の素性を明かしていく。
旅をしてきたこと。
多くの国を見てきたこと。
そして、この国に腰を据えて魔術の研究をしていきたいこと。
誇張も少し踏まえながらクアトロは幼い少女に夢物語のように言い聞かせていく。
中でもミレイナが一番興味を持ったのは魔術についてだった。
『ねえ、クアトロ様、魔術ってなんですか?』
『魔術とは人を幸せにする力ですよ』
クアトロは満面の笑みを被って言った。
『幸せに?』
『ええ。だから私はこの国に来ました』
どういうこと? と長い銀色の髪を揺らしながら、ミレイナは問いかけた。
『君を助けたいと思ったんだ』
『え……?』
クアトロはそれまでの丁寧な口調からいきなり砕けた口調へと変え、純粋な少女の心に働きかける。
『君を助けたい。君を不安にさせるもの。君を泣かせるもの、その全てから君を助け出す。それが魔術というものだよ』
『クアトロ様、それは、どういう意味ですか?』
困惑した少女が疑いの眼差しをクアトロに向けていた。
信じていないのだ。
彼女は今、誰の言葉も信じていなかった。。
そして――。
この国の誰も彼女に期待などしていない。
誰も彼女が誰かを幸せにすることなど出来ないと思い込んでいるのだ。
読心の魔術《マインド・リード》を駆使して彼女の――この国の国民の心を覗き見たクロトにとってその本心を知るのは赤子を泣き止ますことよりも簡単だった。
幼い彼女は孤独を恐れていた。
ならばなろう。彼女の騎士たる存在に。
この国の国民は彼女を信頼してはいなかった。
ならば信頼させよう。彼女の剣となり、盾となって。
クアトロは誓いを捧げるように胸に手を携えるとこう口にした。
『私は君を否定しない。君こそがこの国を統べる者にふさわしい。だからそのために私は私の持てる全てを使って君の力になる。それが魔術であり、この国に息吹く新たな力の恩恵だ』
終始困惑していたミレイナではあったが、それでも何度かクアトロと顔を合わせていくうちに徐々にその心を開いていき、クアトロが彼女の従者になるまでそう時間はかからなかった。
クアトロは言葉通り、彼女の剣となった。
空を自在に飛び回り、雲を切り裂いた。
魔獣の被害に苦しんでいた国民を魔術の力で解決した。
国民が魔術を――。
魔術国家を誕生させようと働きかけたミレイナに賛同する声が大きくなっていく。
『ねえ、クアトロ』
『ん? なんだい、エミナ?』
城の一室にあてがわれたクアトロとエミナの寝室でベッドに横になりながら退屈そうにエミナが呟いた。
『どうしてこんなことしているの?』
『もしかして退屈かい?』
エミナは不機嫌そうに頷いた。
『だって、クアトロ、この国の人たちに魔術を教えている』
『うん。そうだね』
『それ、すごく嫌だよ』
『どうして?』
『だって、クアトロに魔術を教わるのは私だけなんだから……』
ふてくされたように漏らした一言にクアトロは「プッ」と噴き出しながら、彼女の頭に手を置いた。
『わかってくれ。この国が魔術国家として生まれ変わること。それは俺にとって大事な目的の一つなんだ。それにエミナに教えたような魔術は彼らには教えない。それだけは約束するよ』
『本当に?』
『ああ。本当だ。だからもう少し我慢してくれ』
『うん。わかった――』
――夢の場面が変わる。
それは全ての準備が整ったあの日へと遡っていた。
魔術国家の基盤は出来上がった。
それはクアトロにとって最低限必要な条件の一つだった。
魔術のなかった国に魔術を根付かせる。
それはこれから目を覚ます□□□がなんの障害もなく受け入れられるために必要なことだった。
彼女の存在が魔術による恩恵なのだと錯覚させるため。
彼女のためだけの国が必要だった。
だからこそ、クアトロは探した。
魔術に相性が良く、かつ、魔術が根付いていない国を。
それがウィズタリアだった。
魔晶石が多く眠る土地はこれから先、□□□の生活を助けるために有効利用出来るだろう。
そしてなにより――その国の王女は純粋で騙しやすかった。
ひどく心が不安定で、優しい言葉を連ねるだけで心を開いていく。
全てが魔術による恩恵なのだと騙し、□□□のことも当初の想定より受け入れやすくなったはずだ。
第一条件の国は確保した。
そして、もっとも重要な人柱も用意した。
『エミナ=アーネスト』
クアトロが拾った少女。
クアトロにだけ心を開いた少女。
□□□と同じ髪の色を持つ少女。
□□□を超える魔力を持った少女。
クアトロにとって、エミナという存在はその日までただの生け贄以上の意味合いはなかった。
魔術を教えたのも、より確実に儀式を成功させるために魔術に慣れされるために過ぎなかった。
最も――。
その容姿に愛着が沸いていたのは事実だが……。
『ウィズタリア』に『エミナ=アーネスト』
クアトロの前に二つの奇蹟がそろったその日――。
その日を最後にクアトロ=オーウェンは背負いきれないほど大きな罪を背負うことになる――。