関係ないと思っていたらいつの間にか巻き込まれていました
レティシアの反応を見ながら「そうか、そうか」と納得したように頷くエミナにレティシアは身の危険を感じて徐々に声のトーンを落としていく。
絶対によくないことが起こる。
確信めいた予感にレティシアは目を伏せ、汗をダラダラと流す。
(ああ、もう! どうして今日に限ってこんな目に合うのよ……)
興味本位で立ち止まらなければよかった。
心の底から後悔しているレティシアの心境なぞ知るわけもなく、エミナは上機嫌でレティシアの肩に手を置いた。
「いや~よかったよかった! この学院の生徒と会えるなんてね」
今、首を締め上げている人もこの学院の生徒では? と冗談めいた突っ込みすらする気にもなれず、レティシアは「は、はぁ……」と相槌をうつだけ。
「君、何年生?」
「い、一年です……」
「今日は入学式とクラス振り分けだけなのに、随分と早いじゃないか」
「えっと……その、学院に行くのがすごく楽しみでしたので……」
レティシアの話に耳を傾けていたエミナの腕が振るえた。
そっとエミナの顔を盗み見るとなぜか目尻に涙を浮かべている。
「あ、あの?」
「え、偉い! 偉いぞ! まさに優等生じゃないか!」
ガシガシと頭を撫でまわされ、レティシアは予想外の出来事にもう思考がショート寸前だ。
(え? え? な、何!? 本当になんなの!?)
気分をよくしたらしいエミナはにこやかな笑みを浮かべてクロトの頭をバシバシと叩いた。
「いや、この子も今日からこの学院に入学するんだけどね、朝になってやっぱり行くのは嫌だ! とか言いだして部屋から出てこなかったんだよ」
「は、はぁ……」
「それで、何とか部屋から引きずりだすことには成功したんだけど、その後がもう大変でさ。着替えようとしないこの子を無理矢理着替えさせて、駄駄をこねるこの子を担ぎ上げてここまで来たってわけさ」
「ああ、それで……」
それでこのクロトいう少年の制服は着崩れているのか。
話を聞いているとどうしてそんなダメ人間がこの学院に入学できたのかレティシアは不思議でならなかった。
今のご時世、ただ魔術適性が高いだけではこの学院に入学出来ないはずだ。
学力もその人間の人となりも重要視されている。
……だが、どう見てもこのクロトという少年、レティシアから見てとてもじゃないが魔術師として必要な誠実さにかけてるような気がする。
ならば彼はそれ以外の面、まさにこの国が放っておかないほどの魔術適性か、もしくは有名な魔術師の弟子だというのだろうか?
レティシアは目の前の女性の顔を食い入るように見つめる。
(う~ん、どう見ても若すぎる)
この国に住む魔術師の平均年齢は凄く若い。
それはこの国に魔術が根付いてまだ二十年も経っていないからだ。
だからこそこの国には有名な魔術師など数えるほどしかいない。
『開闢の魔術師』と呼ばれる『クアトロ=オーウェン』と共に魔術を根付かせた者たちだ。
もっとも『クアトロ=オーウェン』の逸話が有名過ぎて、他の魔術師たちの話はあまり聞いたことがない。
それでもレティシアが知っている魔術師といえば、クアトロの右腕――エミナ=アーネストだろうか?
クアトロの死と同時に表舞台から姿を消した女性。
彼女に関する情報は少なく、レティシアも彼女の駆使する魔術の特徴からついた『氷黒の魔女』という異名くらいしか知らなかった。
同性同名。最初は彼女こそがあの大魔術師エミナ=アーネスト本人ではないかと一瞬疑った。
けれどその飛躍しすぎた推論はすぐにレティシアの頭の中から消え去った。
まず、エミナ=アーネストは一度も弟子をとったことがないと聞いたことがあった。
それに彼女の年齢はもう三十に近いか超えているはずだ。
目の前の女性のような二十代前半か十代後半の容姿をしていることはまずないだろう。
従って、彼女が『氷黒の魔女』の異名で知られるエミナ=アーネストではないと判断したわけだが……。
「それで、ここからが問題だ。この学院は魔術を扱うこともあってセキュリティもそれなりのものだ」
「ええ、そうですね。見習い魔術師が集まる場所でもありますから、少しでも周囲への事故を防ぐことと、魔術に対する秘匿性を高めるためだと聞いています」
大衆化された《インスタント魔術》など誰でも扱える魔術というものは確かに存在する。
だが、誰でも使える魔術というのは言い換えれば誰もが使えるようになるまで分析、研究され、危険性がないことを判断されたのちにようやく出回るようになった魔術のことでもある。
この学院で学ぶほとんどの魔術は大衆化される前の魔術の原点とも呼べるもの。
扱うことにそれなりの危険性が伴うことが多いのだ。
その上、魔術適性値のある魔術師しか扱えない魔術がほとんどを占めている。
だからこそ、この学院は学院外への魔術に対する漏えいを極力避けるために魔術師以外の来訪を禁止している。
この学院の門を跨げるのはこの学院の生徒、教師、そして国からの認可が下りた魔術師だけなのだ。
「だから私はこの学院の敷地は跨ぎたくないんだ」
「そ、そうですか……」
レティシアにはもう嫌な予感しかしなかった。
せめてその予感が的中しないことを祈るばかり。
「でも、クロトも誰に似たのか頑固者でな。意地でもこの先に進もうとしない。だから――」
「お、おい、ちょっと待て、エミナ…………その笑顔はな、なんだ?」
「後でわかるさ」
嫌な予感を感じたのは首を絞められていたクロトも同様なのか、脂汗を滲ませて、「へ、変な気を起こすなよ?」と言いたげな苦笑いを浮かべる。
そしてクロトの挙動不審な視線はレティシアを捉えた。
「お、おい、そこのアンタ、俺に構わずさっさとここから立ち去ってくれ…………頼む!」
「う、うん」
それはレティシアにしてみれば思ってもみない助け舟だった。
立ち去れるなら早々に立ち去りたいレティシアはクロトの頼みに素直に頷く。
が――。
「おっと、なに格好いいこといってうやむやにしようとしてるん……だ!」
「グギッ!?」
レティシアが立ち去るよりも早く、エミナがクロトの首を締め上げ、その意識を奪い取った。
ガクンと垂れさがったクロトの姿にレティシアは肩を震わせ、青ざめた表情を浮かべる。
「おおっと、しまった~ これでは誰かが学院にコイツを連れて行くしかないな~ けど私はこの学院に入れないしな~ どうしたものか~?」
その視線がチラチラとレティシアに向けられる。
レティシアはしどろもどろになりながらも、最後の抵抗とばかりに声を震わせた。
「わ、私は、お、男の子なんて運べる力は、あ、ありませんから……」
「む? それなら心配いらないぞ?」
エミナはキョトンした表情を浮かべると空いた手の平をクロトに向ける。
そしてエミナの身体から一瞬魔力が噴き出したかと思えば、彼女の手の平には幾何学的な紋様――『魔術式』が展開されていた。
レティシアはその幻想的な姿に不覚にも目を奪われた。
遠くから魔術を見たことはこれまで幾度となくあった。
だが、これほど間近で、しかもこれほど鮮やかな『魔術式』を見たことはこれまで一度としてなかったのだ。
その魔術はすぐに消え、もう少し見ていたかったとその余韻に浸るレティシアにエミナはクロトを掴んだ手を差し出した。
「え?」
「持ってみろ。驚くほど軽いぞ?」
「あ、は、はい」
レティシアは差し出されたクロトの体を抱きかかえると、そのあまりの軽さに固唾を呑んだ。
ほとんど教科書を詰め込んだ鞄と変わらないくらいの重さにレティシアは魔術の神秘を垣間見た気がした。
「これは単純にコイツに降りかかる重力を魔術によって相殺しただけなんだが、凄いだろ?」
「は、はい、凄い、です! こんな魔術見たことがない……」
「あはははっ! そうか、喜んでくれたなら何よりだ――――じゃ、クロトは任せたからな」
「…………え?」
クロトを抱きかかえたまま呆然とするレティシアを置き去りに「じゃ!」と手を挙げて走り去っていくエミナ。
その場に取り残されたレティシアは気絶しているクロトを見て、ジワリと目尻に涙を浮かべる。
「どうして今日に限ってこんなことばかりなのよおおおお!」
その場で泣き叫ぶレティシアを登校してきた生徒たちが驚いた様子で見つめていた――――――。