語られる唯一の方法
「ク……ロト……?」
崩れた壁画、その傍らでピクリとも動かないマークの姿にレティシアは言葉を失くしていく。
『……殺す。しかないんだ』
クロトの脳裏にレティシアと交わした言葉、苦渋に満ちた決断が蘇える。
別れる前、クロトはレティシアに向けて禁呪を止める方法を口にしていた。
その一つがマークの殺害。
魔術を止めるには発動させた術者を殺せばいい。
とても簡単で、残酷な方法の一つ。
かつて――『死淵転生』は一度発動されたことがある。
目の前の英雄と呼ばれる最低魔術師『クアトロ=オーウェン』が発動させたその禁呪はクロトに深すぎる傷跡を残していた。
「――ッ」
かつての記憶を呼び起こしてしまったこと、そして、限界を超えた魔力の消費による全身の苦痛に膝をついて額に手を押し当てる。
視界が霞み、頭が真っ白になる。
だからなのか――。
思い出したくもない光景が走馬灯のようにクロトの意識を塗りつぶしていく。
『こんなはずじゃなかった……』
『俺は君を……君と……ただもう一度……だから……』
『ゴメン、□□□。そしてすまなかった……エミナ』
―――――――。
――ガンッ!
とクロトは勢いよく床に拳をうちつける。
拳の皮が裂け、血がにじむ。
痛みが記憶を、罪を、後悔を上書きしていく。
(倒れる……わけにはいかねえ……まだ、なにも解決してないんだ……)
ここで倒れることはクロト自身が許さなかった。
なにより――――大きすぎる罪の贖罪がクロトに立ちあがれと命じていたのだ。
「安心しろ。殺してない」
クロトは気力を振り絞って立ち上がると、マークによって弾き飛ばされた剣に近づく。
「ク……ハハハ……間違えていますよ……エルヴェイト君」
「せ、先生……」
剣の側までたどり着いたクロトに意識を取り戻していたマークが口から血を流しながらもその顔に醜悪な笑みを浮かべていた。
立ち上がろうと壁に手を添えたマークはズリズリと身体を起こし――その途中で膝から崩れ落ちる。
もう、立ち上がる力すら残っていないだろうに、マークは勝ち誇った笑みを絶やすことはなかった。
「君は殺さなかったんじゃあない。殺せなかったんですよッ! どうして君がアートベルンよりもはるかに練度の高い『魔力装填』を使えるのか……それはわかりません。けれど……魔力が底をついていた君の一撃が私を……魔術師を殺せると……自惚れるなッ!」
「……確かに、俺にはアンタを殺せない。殺せない理由が出来た」
「理由……ですか?」
「散々、そこの馬鹿に言われたんだよ。『魔術は人を幸せにするもの』だって。だから殺せないんだ」
「……ええ。その通りです。ですから私たちはクアトロ様の復活を願い、この魔術を――」
「違げえよ」
制服のシャツを脱いだクロトは力の入らない手で剣の柄を握り締めると、空いた手と歯を使ってシャツで剣と手を固定していく。
「クアトロがこの国にもたらした魔術はクアトロのためだけの魔術だ。クアトロは誰かの為だとかそんなことは考えてもいなかった。私利私欲のためにあいつはこの国に住む人を騙したんだ……」
「知った風な口を利くなッ! 君にクアトロ様の何が……わかるというのですか!?」
「知ってるよ……よくな」
クロトは固定して握った剣の切っ先をクアトロに向ける。
「だから俺はクアトロがこの国にもたらした魔術を否定する。こんな魔術に陶酔しきってるこの国の魔術師を嫌悪する。けどな……レティシア」
突然クロトに呼びかけられ、レティシアはビクリと肩を震わせた。
「……え? な、なに?」
「お前は魔術師としての才能はない。三流以下だって言ったの覚えてるか?」
「な、なによ……こんな時まで人を馬鹿にするの?」
「しないよ。あれ、一応は褒め言葉のつもりなんだぜ?」
「ど、どこがよッ! バカにしているとしか思えないんだけどッ!?」
レティシアの憤慨した言葉をクロトは笑って受け流す。
「俺が言いたかったのはクアトロが持ちこんだ魔術との相性が悪いってだけだ。けど、それでいいんだよ。クアトロの魔術はやっぱりこの国から消えてなくなるべきなんだ。この国はやり直す必要がある。そしてその時――」
クロトはレティシアに視線を向けると、ニッと笑みを浮かべて言った。
「お前が、この国の人たちを幸せにする魔術ってヤツを生み出すんだ。お前がなるんだ。クアトロが間違って背負った本当の英雄ってヤツに……。それを見守るために俺は……お前を守るッ!」
「クロト……」
レティシアは何かに思い悩むような表情を浮かべ、恥ずかしそうに頬を赤らめて俯いてしまう。
(無理もないか……)
余計な重荷を背負わせてしまった自覚はある。
けれど――。
レティシアならその願いを実現できると期待してしまったのだ。
魔術に希望を、夢を、幸せを願うレティシアならきっとクアトロには出来なかったことができると――。
そして、彼女を――彼女の夢を守るためならクロトは再びこの剣を握ると決意したのだから――。
「クハハハッ! 守る? どうやって? 魔術師でもない君がどうやって彼女を守るんですか?」
「そうだな……」
クロトは視線を彷徨わせ、ニッと唇の端を吊り上げる。
「まずはこのふざけた禁呪を止めてやるよ」
「止める? 君が?」
「ああ。そうだ」
「それこそ不可能だ。君は今、その唯一の方法を自らの手で捨てたのだからッ!」
「――?」
ピクリと眉を動かしたクロトより先にレティシアがその疑問を口に出してしまった。
「ゆ、唯一の方法?」
「ッ――待て!」
レティシアの方へと向き直ったマークは歪んだ笑みを剥き出しにして、クロトが口を挟む前にその事実を口にする。
「この術式を止めるにはエルヴェイト君は君を殺すしかないんですよッ!」
その瞬間――。
レティシアの表情は凍りつき、その蒼白の表情を垣間見たクロトはギリッと歯を噛みしめてマークを睨んだ。