死にたくない理由は沢山ある
「あぅ……!」
突然放り出されたレティシアは地面に顔を打ちつけると涙を堪えて鼻を抑える。
身もだえするレティシアに向かって近づいてきた男は二度と顔を見たくない相手だった。
「お帰りなさい。アートベルンさん。転移移動なんて珍しい体験はそうできるものではありませんよ。いい経験が積めてよかったですね」
「……マーク先生……」
目に焼き付いた景色に軽い吐き気を覚えていた。
地面に描かれた魔術式にそこかしこから漂ってくる薬品の香り。
間違いなく、ここはマークの研究室だ。
レティシアは尻込みしながらマークから距離を離す。
「きゃっ!」
視線をマークだけに向け、背後をロクに気にしていなかったレティシアは後ろに控えていた誰かとぶつかった。
誰か――などと表現したくなったのは、レティシア自身が背後にいる彼の存在を認めたくなかったからだ。
慌てて後ろの人物からも距離をとる。
奇しくもマークと彼――クアトロ=オーウェンの中間地点でレティシアはとうとう身動きが出来なくなった。
「ま、マーク先生ッ、どうして……」
レティシアは考えがまったくと言っていいほど纏まってはいなかった。
ただ今は少しで長く、それでいて興味の引ける話をしなければすぐにでも死んでしまう。
それだけは本能で理解していたのだ。
「どうして……こんなことを?」
「? こんなこと、とは……?」
「……どうしてこんな魔術を発動させたんですか……?」
「ああ。そのことですか」
ポンと軽く手を叩き、納得が出来たように、にこやかな笑みを浮かべるマークにレティシアは身震いする。
「それは散々言って……とは言っても貴女には直接話していませんでしたね。全ては貴女の後ろにいる彼、クアトロ様復活のためですよ」
「ど、どうしてですか? どうして!?」
「私こそわかりません。なぜ、貴女はクアトロ様を復活させることに疑問を抱くのですか?」
「え……?」
その一言がレティシアの思考を冷やしていく。
なぜ、疑問を抱くのか……。
それがなぜなのか根本的な不満を即座に用意できなかったからだ。
「そ、それは……死者を弄ぶなんて……ひ、人として間違っている……からです」
「そうですね。人としては間違っている。けど魔術師としては? この国にとってみればどうですか? 間違っていますか?」
「そ、それは……」
クアトロ=オーウェンが残した魔術は彼が知る中でもごく一部だけだという伝承がある。
彼は魔術国家こそ創りはしたが、彼の持つ魔術知識はそのほとんどが伝授されることはなかった。
基礎、初級、中級、上級とこの国の魔術は分けられているが、その中に英雄譚で彼が使った魔術――それこそ『転移魔術』などは存在しない。
クロトの使った『魔力装填』にしたってそうだ。存在こそ知られているが具体的な体得方法は知らされていない。
眉唾だった噂話がある。
クアトロ=オーウェンは意図してすべての魔術を教えなかったのではないか?
そんな話が時折り、魔術議論の題材として挙げられていた。
もちろん明確な回答はない。
確かに彼の知る魔術の全てが語り継がれたわけではないが、彼が若くして亡くなってしまったのだから仕方がない――。
我々の成長を信じて基礎に当たる魔術しか教えなかったのだ――。
魔術知識を独占するつもりだった――。
いくら議論しても明確な回答は出てこなかった。
レティシアたち学生には『すべての魔術を教える前に彼は命を落とした』などと教え、その真相を曖昧にしてきたのだ。
だからこそ、この国やこの国にいる魔術師たちにしてみれば彼の知識は喉から手が出るほど欲しいわけで、彼の復活を望む声があるのも納得できる。
そしてその計画が国が一丸となって取り組んでいることであるなら、なおさら間違った行為だと言えないのではないのだろうか。
もし、それがレティシアにとって関係のない世界で起こった出来事であるならレティシアだって彼の復活を喜んでいたかもしれない。
けど――。
レティシアは刻印の浮かんだ胸に手を当てる。
(今、私は無関係じゃない。私は今、この場所にいるんだから……ッ!)
「わかりません」
「わからない。ですか」
「はい。これが魔術師にとって、国にとって本当に正しいことなのか私にはわかりません。もしかしたら正しいのかもしれません。けど、だからって私は……彼を、クアトロを復活させるためだけの駒になりたくありません。わ、私はまだ死にたくないです!」
「死にたくない……か」
「はい。私にはやりたいことも夢だって沢山あります。クアトロのような英雄に憧れています。彼のような魔術師になりたいって夢もあります。子どものころはケーキ屋さんとかお姫様にも憧れていました。恋だってしてみたい。沢山夢があるんです」
「…………」
押し黙ったマークにさらにレティシアは思いの丈をぶつけていく。
マークの表情が怒りに染まっていこうとレティシアはその変化に気付かずに数々の想いを口に出していった。