英雄復活
全身から生命という名の魔力を根こそぎ奪われたレティシアはその場に崩れ落ちた。
ドサリと倒れ込む音。
ロクに受け身も取れず、体を打ちつけたレティシアは身に起こった現状を全く理解できず――。
それどころか、ここ一週間ばかりの記憶が曖昧でどうしてこの場所にいるのかすら自ら判断できなかった。
全身の痛みに加え、満足に呼吸も出来ない状況に目の前が真っ白になる。
ゴトン――。
「え……?」
その音は何か大きな物が落ちる音。
しかもただ落下したのではない。
直前に聞こえた音は何かが擦れる摩擦音。
そしてずり落ちるように落下した何か。
まるで重たい物を必死で押しのけたような音。
レティシアは動かない身体を懸命に動かし、やっとのことで視線だけを向ける。
「あ、あ…………」
何かの箱の淵に手を付き、上半身だけを起こした男が虚ろな瞳で周囲を見渡していた。
頬は青白く、血の気の失せた顔。瞳に生気は無く、唇は乾燥していた。
肩口まであるやや長髪な黒髪に中性的な顔立ちから見る人が見れば一瞬女性かと勘違いするかもしれない。
レティシアがその人物が男だと気が付いたのはひとえに彼が何も身に纏っていなかったからだ。
上半身は裸で痩せこけた身体は骨ばっている。
あれでは満足に歩くことすら困難そうだ。
けれど、レティシアが言葉を失ったのはもっと別のことだった。
似ている――。
体つきは全然違う。顔付きだって違う。
けれど似ている。
雰囲気、存在感、いや、もっと別の何かが似ているのだ。
彼を一目見たとき、レティィアはある人物を思い浮かべていた。
「お目覚めはいかがですか?」
「……?」
誰かの呼びかけに目の前の青年は周囲を見渡す。
首を動かせないレティシアはその聞き覚えのある声に困惑していた。
(どうして、ここに先生が……?)
そういえば。と。
レティシアは視界に映る部屋の風景に僅かばかり見覚えがあった。
ここはマーク=ネストの研究室だったはず。
なら、彼がここにいるのは当然なのかもしれない。
けどなぜ自分がここにいるのかが検討もつかない。
マークは青年の前に立つと頭を垂れた。
「貴方が再びこの地に降り立ったこと、この国を代表して厚くお礼申し上げます。どうか今一度、我らに貴方の知識をご教授願いたい。貴方なくしてこの国に未来はありません。どうかお力を――開闢の魔術師『クアトロ=オーウェン』様」
その名にレティシアの心臓は跳ね上がった。
ドクンと全身が脈打つ。
クアトロ=オーウェン。
この国を築き上げた開闢の魔術師。
現代に語り継がれる英雄。
魔術師ならば誰もが憧れる大魔術師。
けれど――。
彼は死んでいるはずだ。
間違いなく。
十八年前、この国を築き上げたと同じ年に彼は命を落としている。
目の前の青年がクアトロ=オーウェンだなんて到底信じられるはずがなかった。
クアトロと呼ばれた青年は身体を起こすとマークの前に立つ。
一糸纏わぬその姿にレティシアは顔を背けたくなったが、肝心の身体が言うこと聞かず、その体を余すこと無く目に焼き付けてしまった。
(キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!)
声に出せない絶叫の代わりに心の中でレティシアは甲高い悲鳴をあげていた。
年頃の少女には強すぎる刺激に頬が真っ赤に染まっていくのを嫌でも実感できてしまう。
顔を覆いたくても覆えない。
目を瞑りたいのに、彼の名前が気になって目を背けられない。
なにより、目を背けたいと思っていても熱くなった体がそれを許してくれなかった。
「クアトロ様、貴方が生前に身に付けておられた杖とローブを用意することは叶いませんでしたが、この国で一級品のローブと杖を代わりに用意させて頂きました。それにお召し替え下さい」
マークが差し出した青いローブと衣服を受け取るとクアトロはその場で身に纏っていく。
長めの髪を一房に括るとその姿は肖像画や教科書で見たことがある顔になった。
「あぁ……十八年前に初めて貴方を見たときのことを思い出せそうです。その貫禄こそ開闢の魔術師に相応しい。『黄昏の衣』にこの月の欠片で作られた『月の杖』――今日、この日に貴方は完全に復活するのです」
陶酔しきったマークから渡された白銀の杖をクアトロは一振りした。
ただの一振り。
その一振りが床を吹き飛ばし、壁に幾重もの亀裂を奔らせる。
ただ魔力を乗せて振るった杖がここまでの破壊を生み出すなんて到底信じられることではなかった。
それこそ英雄譚に語り継がれる物語そのものだ。
否応なく認めさせられる。
彼がクアトロ=オーウェンその人なのだと。
(けど、どうして……?)
レティシアの中から疑問が消えない。
どうして体に力が入らないのか。
どうして死んだはずのクアトロ=オーウェンが目の前にいるのか。
どうして彼に恐怖を覚えているのか。
どうして――。
どうして――彼を見て、クロト=エルヴェイトを思い浮かべてしまったのか……。
興奮冷めからぬマークの視線が横たわるレティシアに向けられた。
その表情は歓喜のあまり歪み、醜悪に染まっていた。
もはや教師の浮かべる表情ではなく、向ける視線も教師のそれでは無く、もっと別の欲望に飢えた視線だった。
「クアトロ様、アレが貴方の完全復活に必要な高魔力を持つ魔術師です。その魂を糧に生前の貴方の魂を取り戻してください」
「……たま……しい?」
虚ろな瞳がレティシアを捉える。
「ヒッ……!」
全身に奔る悪寒に加え、感情のない瞳を見た瞬間、レティシアは小さな悲鳴をあげた。
クアトロは拙い足どりでレティシアに近づくと、彼女の上に覆いかぶさる。
「た、タマシイ……ッ」
「い、イヤッ!」
必死に抵抗を試みるレティシア。
満足に力の入らない細腕ではいかに痩せこけた身体といえど一人の男性を押しのけることも出来ず――。
ビリビリ――と。その身に纏っていた赤いローブが引きちぎられた。
「や、止めて! せ、先生、お願い助けて!」
レティシアは必死にその手から逃れ、マークに助けを求める。
マークは驚いたように目を見開き、顎に手を当てた。
「これはこれは……私の施した催眠魔術が解けている。式に魔力を根こそぎ吸われた時か……『魔力装填』の時に打ち消したのか。成長しましたね」
一瞬だけ教師の顔をみせたマークはすぐに興味を失ったのかその視線はモルモットでも見るような視線へと変わり果てた。
そうしている間にもクアトロはレティシアのブラウスを引き千切り、ミルクのように白い肌が外気に晒される。
「い、イヤ……」
レティシアはこれから身に起こる悲劇を思い浮かべ、目尻に涙を浮かべた。
クアトロがレティシアの首筋に歯をたてる――。
「た、助けて……クロトオオオオオオ!」
その瞬間――。
レティシアの助けに答えるように無造作に扉が蹴破られ、汗をびっしりと浮かべたクロトが研究室内へと転がり込んできた。