クッキーのお礼
「ねえ、クロト君……」
「ん? 何か用?」
授業が終わり、帰り支度をはじめていたクロトをノエルが呼び止める。
不安げな表情を浮かべたノエルにクロトはある出来事を脳裏に思い浮かべ、ポンと手を叩いた。
「この前はクッキーありがとうな。あれ、スゲーうまかったぜ」
「え? え? う、うん。ありがとう」
釈然としないノエルの態度にクロトは首を傾げた。
てっきりクッキーの感想を求められているものだとばかり思っていたのだ。
今から一週間くらい前だろうか。
ノエルが空腹のクロトに手作りのクッキーをくれたのだ。
それもかなりうまいクッキーで店で出せるんじゃないかと思うくらいの出来栄えだった。
すぐにでも感想を言おうとは思っていた。
思っていたのだが。
結局、今日この日までクロトは感想を伝えるのをすっかり忘れていた。
別の案件がクロトの頭の中を占めていてそれどころではなかったのだ。
とはいってもきちんとお礼をしたかったのは確かだ。
「お礼と言っては何だけど、もし俺の手が必要なら何でも言ってくれ。力になる。…………あ、けど金銭的なお願いと魔術的なお願い、それに力仕事に勉強と料理、あとは家事とかは力になれないと思う」
「え、えっと……それって何も力になれないってことだよね……?」
ノエルは困った表情を浮かべ、うっすらと汗を流した。
クロトはそんなことはないと首を振る。
「いいか、ノエル。俺は同い年か年上の女性が好みだ」
「え? そ、そうなの?」
突然のカミングアウトにノエルは目をまんまると見開いて苦笑いを浮かべる。
「だが、俺はノエルのお菓子を食って目が覚めた。別に年下も悪くないって」
「私とクロト君って確か同い年だよね? どうしてクッキーを食べてそう思ったのかな?」
「まあ、そこは適当に流してくれ。とにかくだ! 前にもいったと思うけど、マジで俺に毎日ごはんを作ってくれ」
「え、えっと、それって……つまりは……」
僅かばかり頬を紅潮させ、ノエルはモジモジと前髪を弄った。
「ああ。たぶんノエルが思っていることは当たっているよ」
つまりはノエルの料理の味見役。食客として全力で力になる。
家の無くなったクロトにしてみれば今できる最善のお礼だ。
ノエルのような家事も出来そうな女の子の飯が食べられる上に、寝床も確保できる。
それにクロトの好みの点から言ってもノエルに性的な視線を送る可能性は限りなく少ない。
ようするにノエルにしてみれば人畜無害なクロトが味見も兼ねてノエルのスキル向上に手助けしてくれ、クロトにしてみれば現状の問題であった寝床の問題が解決できる。
まさに一石二鳥な提案だ。
ノエルは紅く染めた頬で引きつった笑みを浮かべる。
「え、えーと、すごくうれしいんだけど返事はもう少し待ってもらってもいいかな?」
「ああ。もちろん」
「あ、けど、力になってほしいことはあるよ」
「ん? そうなのか?」
「うん。さっきクロト君が言った条件に当てはまらないお願いが一つあるんだ」
「へえーそれは興味があるな」
わりと散々なことを言った自覚があったからこそ、ノエルの言うそのお願いにクロトは好奇心を抱いた。
(もしかして付き合って欲しいとかか? けどなぁ……)
悶々と悩むクロトにノエルは遠慮がちに口を開く。
「レティのことなんだけど……」
「――ッ!」
彼女の名前を聞いた途端、クロトの顔が僅かに強張った。
そう。今クロトが悩んでいた案件こそ、ここ最近のレティシアの様子だった。
クロトは動揺を隠すと何事もなかったかのように平然さを装った。
「ん? あいつがどうかしたのか?」
クロトは空席になった隣の席に視線を向けた。
騒がしい声をここ最近聞かなくなり、クラスもどことなく元気が薄れたような気がする。
「……もう帰ったみたいだけど?」
クロトは呆れた様子で頬杖をついた。
近頃、レティシアは何か用事があるのか授業が終わるとすぐに教室を出ていってしまうのだ。
それは放課後だけに留まらず、昼の休憩時間ですら姿を見かけなくなった。
その上、登校する時間はギリギリで、しかも日をおうごとにかなり疲れ切った表情を浮かべるようになっていた。
親友のノエルでなくとも誰もが心配するレベルだった。
「うん。先週ね、今日新作のケーキを一緒に食べに行こうって約束してたの。レティ、甘い物が大好きだからすごく楽しみにしていたの。それが……」
「なら、待ちきれなくて先に食べに行ったんじゃないのか?」
「レティはそんな性格じゃないよ。それに鞄もまだあるから帰ったわけじゃないと思うの」
「それもそうか……」
もっともな意見にクロトは押し黙った。
「それでね、クロト君にお願いしたいのはレティの様子を見てあげて欲しいの。きっと何かに悩んでいると思うの。もしその悩みがクロト君の力で解決してあげられそうなら力になってあげて欲しいかなって……ダメ?」
「ダメってわけじゃないけど……それってノエルの力になるってことじゃなくてレティシアの力になってあげてほしいっていうお願いだよな?」
「あはは、そうだね。けどレティのためなら私にはしてもらえないことでもできると思って。だってクロト君は私の力になる時は魔術的なお願いとか力仕事が無理なだけなんだよね?」
それを言われたクロトはバツが悪そうに頬を掻いた。
「なんか見事に上げ足をとられた感じだな」
「そんなことはないよ。レティが困ってると私も悲しいから。だからクロト君、レティの力になってあげて?」
「……そ、そうだな。ノエルがそう言うんならあいつに力を貸してやってもいい。けど、い、一応、言っておくけど仕方なくだ。ノエルに頼まれたから仕方なくってことにしてくれ」
「うん。それでいいよ」
ノエルは晴れ晴れとした表情で首を振った。
まるで二の足を踏んでいたのが見透かされたような表情にクロトは渋面を浮かべる。
背中は押してあげたから頑張ってきてねと言いたげな表情にクロトはあからさまに渋々といった感じのため息を吐いてみせた。
「んじゃ、ちょっくら行ってくる」
「いってらっしゃい。頑張ってね」
「…………おう」
廊下に出たクロトは人目がないのを確認すると全力で廊下を駆け抜けた。