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最低最強の英雄譚《リ・スタート》  作者: 松秋葉夏
第一章 最低最強の英雄譚
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教師の夢

「し、失礼しま~す」


 扉にノックをした直後、レティシアは緊張した面持ちでクラスの担任であるマーク=ネストの研究室に足を踏み入れた。

 レティシアたちの学院と同じ敷地に建てられた魔術研究施設。

 その内の一室がマークに与えられた部屋――つまりはマークの魔術工房というわけだ。

 学院からの距離もあり、まず一般の学院生はこの施設に足を踏み入れることはない。

 そもそもこの場にいるのは国に認められた上級魔術師だけだ。

 先ほどからすれ違う人たちがレティシアに怪しい視線を向けることもあってその場違いな雰囲気に呑まれてしまったレティシアはこの部屋に来るまでに完全に畏縮しきっていた。

 そもそもマークが学院に残っていればこんな場所まで足を運ぶ必要もなかったわけなのだが……。

 けれどそれを言っても仕方ない。

 そもそも学院の教師は誰もが専門の魔術を研究しているものだ。

 そのため、放課後まで残っている教師というのは稀で、大抵はこの研究施設に足を運ぶか草々に帰宅して魔術研究に没頭するのがこの学院の日常だった。

 今、学院に残っているのは警備員か新米教師でまだ研究題材が見つかっていない教師くらいだろう。

 それかあまりにも教育熱心な教師だろうか……?

 自分の魔術に没頭する魔術師の性なのかそんな熱心な教師を未だかつて目にしたことはないのだが……。

 マークの研究室を訪れたレティシアはその広さにまず目を奪われた。

 広い。

 レティシアの実家のリビングよりも広い間取りだ。

 所せましに置かれた魔術書に床に転がったメモ紙。

 そして沸々と沸騰するフラスコには濃い青い液体が湯気を上げている。

 天井にも、壁にも殴り描かれた魔術式。

 そのどれもがレティシアにとっては見慣れない光景で、まさに魔術師の部屋といった感じだ。


「おや? どうかしましたか?」


 部屋の奥からひょっこりとマークが顔を覗かせてきた。

 何かの作業中だったのだろうか、眼鏡をかけ、頬には少し煤のようなものが付着していた。


「あ、えっと……」


 どう告げたものかと言い悩むレティシアの胸元に視線を向けたマークは僅かに顔を強張らせた。


「アートベルンさん、その本をどこで?」


 マークの視線が赤い表紙を捉え、レティシアは問題の本の成り行きを話しだす。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「なるほど……そんなことがあったのですか」

「……はい」


 さすがにクロトの戦い方は口を濁したが、それでも大まかに何があったかは説明したつもりだ。

 説明している最中、身に起こったことを思いだし、徐々に元気を失っていったレティシアは全てを言い終える時にはもう視線はマークから自分の膝元へと下がっていた。

 その様子に只ならぬ出来事があったことは容易に想像することができ、マークは優しい口調でレティシアに話しかける。


「よく頑張りましたね」

「え……?」


 予想もしていなかった言葉にレティシアは目をまんまるに見開く。

 まるで褒められるようなことをした覚えがなかったのだ。

 言葉の意味を理解出来ずに困惑しているとマークはクスクスと笑みを浮かべた。


「なにを驚いているのですか? 私は当然のことを言ったつもりですよ?」

「で、でも、私は何も出来なかったんですよ。ただ怖かっただけで……私はただ泣いているだけで、なにも出来なかったんです」

「それでいいんですよ。あなたは魔術の恐ろしい側面を知ることができた。それはとても素晴らしいことだ。その経験が明日のあなたを成長させるきっかけになるでしょう」


 その言葉にレティシアはポカンと口を開けた。

 困惑したレティシアにマークは小さなマグカップを手渡すとそれを飲むように促してくる。

 レティシアは言われるがままにそれを口に運び、温かい熱が喉を通って胃に落ちていく感覚を味わう。

 味もさることながらホッと人心地つけたことに混乱していた思考が落ち着きを取り戻していくのを感じる。


「落ち着きましたか?」

「はい。ありがとうございます。あの、このお茶は?」

「私のオリジナルですよ。私の魔術適性は流動的なものと相性がいいという話はしましたね? これはその応用みたいなものですよ。口に含んだ人の心情を僅かながら操作する類の効力があるんです。これを飲むと私も落ち着くことができるのでいつも飲むようにしているんです」

「す、すごい……」


 確かにさっきまでの動揺が嘘のように冷静になれた。

 これも魔術の恩恵の賜物だというのだから魔術がもたらす幸福をレティシアは改めて認識した。

 これほどまでに魔術は人の心を豊かにすることができるのだ。

 クロトの言っていた人殺しの技術なんてきっと大げさに言ってみせただけに違いないはずだ。

 それだけでも確認することのできたレティシアは胸のつっかえが取れたような晴れ晴れとした気分になった。


(やっぱり、あんな魔術嫌いの言うことなんか真に受けちゃダメだったのよ)


「そう言ってもらえると嬉しいですよ。私はこの国をより素晴らしいものにしたい一心で魔術を研究してきましたから。誰かに喜んでもらえる研究が出来ていたことを知れて私も嬉しい限りです」

「そ、そんなこと……先生はとっても立派な魔術師です。私、すごく尊敬しました!」

「ハハハ……恥ずかしいですね。生徒にそう言ってもらえると。アートベルンさんは私の自慢の生徒ですよ」

「あ、ありがとうございます!」


 褒められたレティシアの表情はまんざらでもなかった。

 頬を紅潮させたレティシアは心を落ち着かせようとお茶を口に含む。

 本当になんていう温かさだろう。

 心が洗い流されるとはまさにこんな感情のことを指し示すのかもしれない。

 レティシアはお茶を飲み終えると手元にあった禁書をマークに手渡した。

 マークはその禁書を受け取ると表紙を一撫でして本をめくる。

 その何気ない仕草に不自然さを覚えはしたもののその違和感の原因をレティシアは掴むことができなかった。


「ふむ。『禁書目録 十三番』ですか……」

「……先生はその本に書かれた魔術のことをご存じなんですか?」

「ん? ええ。そうですね。以前、研究の参考にと目を通したことがあるんですが、この魔術は誰にも発動することができないんですよ」

「え? そうなんですか?」

「ええ。決定的に足りないものがありまして……それはそうとアートベルンさん」

「は、はい?」

「こんなことがあった後で聞くのも失礼なんですが……あなたは今でも魔術に、魔術師に誇りを持っていますか?」

「え……?」


 どうして突然そんなことを? と疑問に思った。

 けれどマークの表情は真剣そのもので、これが軽々しく答えていい質問ではないことを容易に伺い知ることができた。

 レティシアは今日までのことを振り返り、そして首を縦に振る。


「はい。魔術師であることは私にとって譲れない誇りです」

「今でもこの国をより素晴らしいものにしたいと思っていますか?」

「はい。私は『クアトロ=オーウェン』のようにみんなを幸せにできる魔術師になりたいです!」

「……そうですか」


 マークは破顔した笑みを覗かせると、レティシアの耳元でそっと囁いた。


「なら、アートベルンさん、私の魔術研究の助手をしてみませんか?」


 その甘言の前にレティシアは我を忘れてしまったかのような表情を浮かべ、首を縦に振っていた。


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