決闘の行方
「あ、ありえねえ……」
魔力の残滓が漂う中、初級魔術《レインスピア》を放った取り巻きの一人が無傷のクロトを視界に捉え、驚愕に目を見開いた。
それもそのはず。
魔力は魔術を起動させるためのエネルギーでしかない。
多少の防御壁にはなるが完成させた魔術そのものをあっさりと打ち砕けるほどの質量は本来備わっていないのだ。
魔力が術式によって形を得たものが魔術であり、魔力そのものに魔術を超える力はない……はずだった。
けれど、目の前の現実を見て果たしてその話が真実だったのか、もう誰も信じることができずにいた。
クロトは魔術の余波で立ちこめた霧の中から出てくると無色に輝いていた魔力を解除した。
「魔力を一点に集約させるとその密度は跳ね上がるんだ。それこそEランクの魔力量しかない俺でもインパクトの瞬間だけはランクAオーバー相当の魔力に跳ね上がる程度にはな」
その言葉を聞いた誰もが一瞬我を失った。
ランクAオーバーの魔力量。
その言葉を聞いて思い浮かぶ名は一つだけだ。
開闢の魔術師『クアトロ=オーウェン』
ランクAオーバーの魔力を誇り、この国を築きあげた英雄。
誰もが思いもしなかった。
たった一瞬ではあるものの、クロトの魔力はあの英雄と並び立つほどの実力を備えていたのだ。
そして誰もが納得した。
それほどの魔力があれば初級魔術程度なら魔力だけで打ち消せることも――
そしてそれほどの魔力を一瞬ではあるが纏える最低魔術師にこの場の誰も敵わないことを。
周りにいた上級生たちが一歩、二歩とクロトから距離を空ける。
クロトは彼らに目を向けることなく、拳を握ると緩やかに構えた。
「で? まだやるのか?」
向けられた先にいたのは上級生のリーダー格である男。
男はギリッと歯を食いしばると悔しさを覗かせる表情を浮かべ、クロトに頭を垂れた。
「俺たちの……負けだ」
弱弱しく呟いたその一言が波乱に満ちた決闘に終わりを告げた。
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「行くぞ……」
重々しい雰囲気を醸し出しながらリーダー格の男が吐き捨てる。
「待てよ」
去りゆく背中を止めたのはクロトの険のとれた声だった。
先ほどまでの研ぎ澄まされた意志が嘘のように気の抜けた表情でクロトは恥ずかしげに視線を彷徨わせる。
「なんだ? まだ何かあるのか? 約束通り禁書も渡しただろ?」
男の言うことももっともではあった。
クロトの手には何ページにも及ぶ分厚い本――禁忌とされた魔術が記載された『禁書』が握られ、すでに決闘の要求が呑まれた後だった。
もう関わることはないと踵を返した男は呼び止められたことに怪訝な表情を覗かせていた。
「用ってほどじゃないけど……その……あんま気にすんな。先輩らだってもう少し魔術を磨けばすぐに俺なんか超えるよ」
「慰めているつもりか? あんな化け物じみた実力を見せつけた後に?」
「本音だよ。あんなのはただの技術だ。慣れれば誰にだってできる。それにあの技は一瞬だけ一か所に魔力を集めるだけでそのまま魔術には転用できないんよ。だから俺の適性がEランクで魔術が使えないって事実は変わりはしない。けど先輩らはこの先も魔術師として進むことができるんだ。俺とは違うんだ」
クロトの言葉に嘘はなかった。
最低ランクの魔力が意味するのはただ一つ。
魔術師でありながら魔術が一つも使えないことだ。
魔力が纏える。
小手先の技術で魔力の密度を飛躍的に上げる。
そんな芸当ができようと魔術師としてのクロトに未来はない。
クロトは最低魔術師であり、そしてその最低はクロトが魔術師になれないことを意味している。
魔術が使えない魔術師など魔術師ではないのだ。
それを一番に理解しているからこそ、クロトはこの学院に自分は不釣り合いだと理解していた。
上級生の男たちは何か思う所があったのか、クロトに何を言うでもなく、早々と中庭を後にしていった。
「さて……と」
その場にレティシアだけが留まったのを確認するとクロトは倒れ込むように噴水の壁にもたれ掛った。
「く、クロト、大丈夫なの?」
「……魔力ってのは……生命力そのものみたいなもの…………だろ? 限界以上に引き出したから本当のこと言うと立ってるだけでも辛い。もしあのまま決闘が続いていれば間違いなく俺、負けてたよ」
「さっきの魔力を一か所に集めるのってそんなに辛いものなの?」
「……集める量によるな。俺の場合、もともとの魔力が低いからちょっとでも調整をミスるとすぐに枯渇するんだ。んでもって、さっきの蹴りで予想以上に魔力を使っちまった。つまりは魔力切れってヤツ」
魔力切れとは文字通り体内の魔力をすべて使いきること。
魔術師にとって魔力は生命エネルギーそのものともいえる。
使いきってしまえば魔術師自身の命を削ることになるのだ。
クロトの血の気の失せた白い肌に額に浮かぶ汗。
上下する肩に胸を抑えて蹲る姿はレティシアに心配を抱かせるには十分すぎる光景だった。
「ちょっとヤバい……吐きそう……」
「だ、大丈夫? 何か私に出来ることある? なんでも言っていいから」
「な、なんでも?」
「え、ええ」
一瞬クロトの瞳が怪しく輝いたような気がしないではないが、辛そうな姿に変化はなく、時折聞こえる呻き声がレティシアから些細な違和感を吹き飛ばしていく。
「な、ならさ……お願いがあるんだ」
「うん。言ってみて」
「…………き………キス」
「え?」
「だ、だから……キスだよ。たぶん一発で回復するから。頼む」
そのあまりにも真剣な表情にレティシアは毒気が抜かれたように膝をついた。
キス――口づけ――接吻。
行為の意味を理解するとドクンと心臓が跳ねあがり、熱でもあるんじゃないかと疑うほど顔が真っ赤になっていく。
「へえ~そっか……」
レティシアは虚ろな視線をクロトに向けるとわなわなと震えた唇を熱にうなされたまま動かし、同時にゆっくりと片腕が上がっていく。
「し、心配した私が馬鹿だったってことね…………この変態魔術師ぃぃぃぃぃ!!」
パチンと乾いた音は噴水の音にかき消されたのであった。