毎日ごはんを作ってください
「あ、待ちなさいよ!」
授業の終わりと同時にレティシアの声が教室に響き渡った。
クラスメイトが「また、いつものか……」と呆れた視線を送る中、クロトは面倒そうな表情を浮かべ、教室の扉から手を離した。
「なんだよ……」
「え、いや……」
聞き返されたレティシアは口を濁した。
ただ何となく話をしたかっただけで特に内容を決めていなかった。
とはいえ、このままクロトのことを何も知らないまま夏季休暇に突入してしまっていいものなのか? と焦燥感ばかりが膨れ上がっているのも事実だ。
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
レティシアはクロトに背を向けるとポケットから一枚のメモ用紙を取り出した。
そこにはクロトに聞きたいアレやコレやらを大量に書き綴った乙女の秘密がつまっていた。
――とは言うものの……。
質問一『どうしてそこまで魔術を毛嫌いするの?』
答えるわけがない……。
質問二『魔術に詳しいのはなぜ?』
言うわけがない……。
質問三『す、好きな人とかいるの?』
何が聞きたいんだ? 私は!
――と、会話の切り口にしてはあまりにも不向きな質問の数々にレティシアは額を抑えた。
どうしてもっとまともな質問がないのよ!
こう、誕生日とか好きな食べ物とかいろいろあるでしょ!?
……っていうかそれを聞けばいいんじゃない! 私のバカアアアアアア……。
「誕生日……」
「は?」
「だから誕生日! クロトの誕生日を教えなさいよ!」
「え? なんで?」
………………………。
…………。
……。
なんでだろう?
実際に特別聞きたいわけでもない。
ただのきっかけ作りの一環。それ以上の意味はない。
それ以上の意味を求めてしまったらまるでこの最低魔術師に恋でもしてしまっているみたいではないか…………。
――――――――――――――――――――――――――――――――
レティシアが一人黙って苦悶している姿にクロトはわけがわからず頭を掻いた。
完全に自分の世界に入ってしまったレティシアに呆れた視線を向け、教室を出ようとしたクロトに様子を見かねたノエルが気さくに声をかける。
「クロト君、最近なんだか疲れてそうだね?」
「ん? ディセンバーさん? 珍しいね。俺に声をかけるなんて」
「ノエルでいいよ。それにクラスメイトに話しかけるのは普通のことだよ」
「それもそっか」
「うん」
にこやかな笑みを浮かべるノエルにクロトは恥ずかしげに頬を掻いた。
天真爛漫というよりは天使……いや、母性に近い感覚を抱かせるノエルの微笑みにさしものクロトも頬が赤くなるのを覚えた。
クラスでノエルが人気なのも納得できる。
お嫁さん……お母さんにしたい人ナンバーワンに影ながら選ばれたノエルの魅力は年上派を自称するクロトの心を思わず揺れ動かすほどだ。
「俺に毎日ごはんを作ってください」
「え? と、突然どうしたの?」
「あ、いや、悪い……最近まともな食事をとってなくて思わず口にしちまった。忘れてくれ」
「全然忘れられないよ。ご飯を食べていないって……、最近顔色が悪いのと関係があるの?」
クロトは歯切れが悪そうに視線を逸らすが、ノエルの心から心配する視線にあっさりと観念したクロトは恥ずかしげに事のあらましを口にした。
「いや、家が爆発しちまって文無しなんだよ……」
一瞬呆気にとられたノエルだったが、クロトの口ぶりから冗談の類ではないことに気が付き、顔を青ざめさせる。
「だ、大丈夫なの? ご家族の方は?」
「あ~それは大丈夫だろ。殺しても死にそうにないヤツだし。それに一応は仮の寝床も確保できたんだけど……」
「そ、そうなんだ……何か困ったことがあればすぐに教えてね。私でよければ力になるよ。それと、ちょっと待ってね……」
ノエルは自身の机に駆け寄ると鞄から包みを一つ取り出し、それをクロトに差し出した。
クッキー?
内包されていたのは可愛らしい動物の形をしたクッキーだった。
まさかそれをくれるというわけではないだろう……。
「よかったらこれ食べて」
「え?」
クロトの予想を裏切りクッキーはクロトに手渡された。
「本当はレティと一緒に食べるつもりだったんだけど、よかったらどうぞ」
「わ、悪いって。確かにありがたいが、受け取れないって……」
「それって私の手作りが食べられないってことかな?」
ノエルはぷくぅと頬を膨らませ、見るからに機嫌を悪くした。
それが演技だということは当然わかっているのだが、遠巻きに成り行きを見ていたクラスメイトの男子の視線は「なに、俺たちのノエルちゃんを怒らせてんだ!」の一言に尽きる。
(コイツは断れば刺されかねないな……)
そもそも空腹で今にも倒れそうなのは事実だ。
くれると言うなら遠慮なくもらっておくのも悪くはない。
「手作りか……そうなれば話は別だ。ありがたく食べさせてもらうよ」
「うん。よければぜひ感想を聞かせてね」
「もちろんだ。スゲー美味かったって自慢するよ!」
「アハハ……美味しいことは断言するんだ」
苦笑いを浮かべたノエルにクロトは笑顔を見せて感謝を告げると軽い足どりで教室を後にした。
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「だからそういうのじゃないのよ! って、クロトは……?」
レティシアが正気に戻ったのはノエルがクロトを送り出してから数十秒後のことだった。
ノエルは残念そうに微笑むとクロトが帰宅したことをレティシアに伝える。
「え? 嘘!?」
「本当だよ。レティってよく混乱すると周りが見えなくなるから……」
「う……」
確かに考えすぎて周りが見えなくなってしまったのは事実だ。
それにしてもパートナーであるレティシアに一言も挨拶なしで帰るのは淡泊すぎるのではないだろうか?
そもそもまだレティシアの話は終わってないばかりか始まってすらいないのだ。
「ま、待ちなさいよ! クロト!」
レティシアがクロトを追いかけることはノエルを含めたクラスメイトの大半が予想していた。
クラスメイトたちが「またか……」と呆れた視線を送る中、親友のノエルだけはいつまでも優しい視線で親友の背中を見送っていた――。