還ってきた相棒
「い、痛てえよ! もうちょっと優しく出来ないのかよ!?」
「うるさい。お前にはこれくらいがちょうどいいんだ」
エミナの住む屋敷でクロトが涙声で悲鳴をあげるとエミナは盛大に肩を落とした。
そして無遠慮なまま傷だらけのクロトの背中に薬を染み込ませた布を押し当てる。
ビクリと体を震わせ、痛みにクロトは唇を噛みしめた。
そのまま抗議の眼差しを黒髪の女性に向ける。
「だから、どうして魔術で治してくれないんだよ? 治癒魔術なんてエミナには朝飯前だろ? どうしてわざわざこんな面倒な手当をしてるんだよ! ぶっちゃけものすごく痛いから魔術でさくっと治してください。お願いします、エミナ様!!」
クロトは泣き寝入りするかのようにエミナに頭を下げ、それをまじかで見たエミナはまさに呆れ果てた様子で盛大にため息を吐いた。
「だいたいなんだ。泣きながら帰って来たかと思えば背中は傷だらけ。学院にも治療施設くらいはあるだろ? なぜわざわざ家に帰って来たんだ?」
「だってよ……あんま見せたくないじゃん? 痛がって号泣する男の姿なんか。しかも治療施設の先生はかなりの美人だって話だし、余計に格好悪い姿を見せたくない。見せるならその先生を落とすくらいの格好いい姿がいい――って痛いって! 地味に染みるんだよ、その薬!」
「はぁ……なんだその言い訳は? 私になら子どものように泣き喚く姿を見せても問題ないとでもいうつもりか?」
「え? 当たり前じゃん」
その言葉を聞いたエミナはピクリと眉を吊り上げると一番怪我の酷い場所に薬をグリッと押し付けた。
手足をバタバタと動かし、声にならない悲鳴をあげるクロトに八つ当たりのようにエミナは手を休めることなく薬を塗りつけていく。
「や、止めて! ちょっとタンマ! い、痛い! お、お願い! 止めてえええええ!」
クロトの必死の訴えは聞き届けられることなく、背中の治療が終わるまで悲鳴が止むことはなかった。
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「うう……ひどい。あんまりだ……」
「あぁ……その、なんだ……すまなかったよ」
治療を終え床に突っ伏すクロトに申し訳なさげにエミナが頬を掻いた。
クロトの周りの床には爪で引っ掻いたような跡や、ヨダレ、汗などその時の惨状を色濃く残し、クロト本人も顔はグチャグチャになるまで泣き腫らしていた。
エミナはハンカチを取り出すと鼻水と涙で汚れたクロトの顔をふき取り、丁寧に包帯を巻いていく。
「だいたいお前も悪いんだ。いつまでたっても私のことを女としてみようとはしないし、他の女には格好悪い姿を見せたくないだとか、お前こそ私の気持ちを傷つけていることを理解しているのか?」
「だって俺とエミナの仲じゃん。今さら泣き顔の一つや二つ見せたって恥ずかしくないよ。っていうか、エミナ以外にこんな姿は見せたくない」
「む……そう言われて悪い気はしないが……」
「ま、そんなわけでチョロイから頼りやすいんだよ」
「お、おい! それはどういう意味だ!?」
エミナからの追及を逃れるようにクロトは制服の袖に腕を通すと勢いよく立ちあがって――顔をしかめた。
エミナがやれやれといった様子でクロトの背中を突いた。
「いきなり動くヤツがあるか。せっかく治療してやったというのに……」
「う、うるせえ……だったら魔術で治してくれよ……」
「それは出来ない。わかっているだろ?」
「そ、それは……」
バツが悪そうにクロトは視線を逸らした。
エミナはクロノの背中に頭を預けると囁くように呟き始めた。
「お前がウィズタリア魔術学院に入学して暫くたったがクアトロの足取りは掴めたのか?」
「悪い。まだ影すら見つかってねえ。それよりも本当にあの英雄の遺骨が学院に運び込まれたって話は本当なのかよ? そんな気配は一切なかったぞ?」
クロトは入学前にエミナから聞かされた話を思い起こした。
神殿から盗まれた『クアトロ=オーウェン』の遺骨が学院にある可能性が高いという話を。
こればっかりは今でも半信半疑だった。
第一この考えはエミナの推理に他ならない。
ただ可能性があるとするならこの国で一番魔術の研究に携われ、尚且つ秘匿性の高い場所――国立ウィズタリア魔術学院だというだけの話。
魔術を研究できる施設も同じ敷地内に建てられ(もっとも学院からは距離があるが)卒業生、教師が魔術の研究に力を注げるようになってもいる。
国から目の届くところに魔術機関を設け、分散しないようにすることで魔術の秘匿性を高めるのと共に魔術師を一か所で監視できるようになっている。
だからこそだ。
国の目が行き届いているなら逆に悪用できるような場所じゃない。少なくとも隠し通すことは不可能なはずだ。
そのことはエミナも重々承知のはずだが……。
「あくまで可能性の話だ。他の魔術師がやった可能性ももちろんある。だからこそ私も一応は策を用意しているが……何もこの考えを抱いたのは私だけじゃない」
「は? こんな馬鹿げた話を考えたアホが他にもいるっていうのかよ?」
「当たり前だ。そもそも彼女も同じ考えに至らなければお前は学院に入学すら出来なかっただろうよ」
「おいおい……まさかそいつって……」
クロトの脳裏にある人物が思い浮かんだ。
「ああ。この国の女王も同じ考えだ。だからこそ私の弟子として紹介したお前のことを見込んで学院への入学を押し進めてくれたんだぞ」
「まさかあの姫まで絡んでいるとは驚きだよ……」
クロトは額に手を当てると盛大に落ち込んだ。
ずっと不思議に思っていたことが一気に解消された気分だ。
いくらエミナの存在が大きいといっても魔術師として適性がまったくないクロトを入学させることなぞ不可能だったはずだ。
それを可能にした――マークが言うところの上の方っていうのがようするにこの国のトップだったわけだ。
それならクロトの不正極まりない入学にも納得ができるし、エミナの眉唾な推理にももしかしたら――という可能性もなくはない。
この話の真偽を確かめるためにはやはりもう少しあの学院にいるべきなのかもしれない。
「わかったよ。もう少し頑張ってみる。つってもぶっちゃけもう学院に戻る気がなかったから盛大にやらかしちまったのがいてえな……」
「やらかしたって?」
「いや、なに……ちょっとあぶなっかしいヤツがいてな。そいつの面倒を見ちまった」
「まさかとは思うが正体がばれるようなことをしたのか?」
「そこまで大げさなことは何もしてねえよ。せいぜい魔力操作と短縮魔術式を見せただけだ」
「お、お前ってヤツは……後先考えなさすぎだろ……まあ、いい。そこまでしたならコイツを渡したところで対して変わらないだろ……」
そういってエミナが投げ渡してきた細長い棒状の包みを受け取ると手に馴染んだその重さと形状にクロトは顔をしかめた。
「エミナ、コイツは……」
「もしお前にまた守りたいものが出来た時、それを守れるだけの力が必要だろ? それはその為の力だ。確かに返したぞ」
クロトは無言でその包みに納められた懐かしい相棒をしっかりと見つめた――。