反撃といこうぜ
「イダダダダダダダ――――ッ!」
すぐ側で聞こえた悲鳴に頭を下げていたレティシアは視線を向ける。
目の前にはレティシアを守るように背中を向けたクロトが制服のローブを傘代わりにして火属性魔術《ファイアーレイン》を防いでいたのだ。
もっともほんの少しだけ魔術耐性があるローブ程度では雨のように降る火の光を防ぎきれるわけもなく、そのほとんどがローブを貫通し、クロトに直撃していた。
レティシアは擦れた声を絞り出す。
「や、止めなさいよ。そんなことしても無駄よ。もう無理よ。諦めましょうよ……」
「う、うっせーよ! イダッ! …………だ、誰がこんな痛い思いを………ちょ、や、止めてストップ! …………だから止めろって! へ、変な快感に目覚るだろうがああああああああああああああああああああああああああああああ!」
クロトの絶叫が周囲の生徒をドン引きさせ、魔術の雨がいったん弱まる。
クロトは肩で息をしながらボロボロになったローブを投げ捨てると周囲を威嚇した。
「いいか! ちょっとだけ攻撃は待ってくれ! これ以上されると、目覚める! マジで! お、お前らだってビクンビクン痙攣しながら涎を垂れ流す俺を見たくはねえだろ!?」
凄い勢いで後ずさる生徒たちが首を縦に振りながら軽蔑の眼差しをクロトに向ける。
予想外な性癖を暴露したクロトに守られていたレティシアはあまりの恥ずかしさに顔を覆いたくなるほど頬を真っ赤にさせていた。
「い、言い方が具体的すぎるのよ! もっとオブラートに隠そうとは思わないの!?」
「こうでも言わないと攻撃止めてくれねえだろ!? お前が言えば逆効果だが、俺が言えば効果てき面なんだよ!」
「な……さ、サイテ―よ! わ、私がそんなこと言うと思ってるの!?」
「知らねーよ! 俺だってカミングアウトしたくなかったよ! い、言っておくが俺にそんな趣味はないからな! か、勘違いするなよ!」
「す、するわけないでしょ! このバカ!」
不毛なやり取りをしていたレティシアはボロボロのクロトの姿を直視して我に返った。
よく見ればいたるところ擦り傷だらけだ。
魔力を纏っていなければ基礎魔術でも十分に人に怪我をさせることができる。
クロトの怪我を見たレティシアは青ざめた表情を浮かべる。
「ね、ねえ、それより……大丈夫なの?」
クロトはフッと笑みを零すと目尻に涙を浮かべてゆっくりと口を開けた。
「…………痛いっす」
ただ一言。
それだけで二人の間に沈黙が生じた。
レティシアが居たたまれなくなって視線を逸らすとクロトがその脳天にチョップを叩きこむ。
予想外の一撃に頭を押さえてレティシアはクロトを睨んだ。
「ちょ、ちょっと! いきなりなにするのよ!」
「うるせー! 勝手に敗けを認めて諦めようとすんなよ! だいたいお前が馬鹿しでかさなきゃこんな連中余裕だったんだよ! それなのに…………俺に痛い思いさせた責任をとれ! っていうか、泣くな! 泣きたいのは俺なの! 怪我した俺なの! お家帰りたいよおおおおおおおおおおお!」
本気で泣き出したクロトにレティシアは慌てふためきながらほとんど無意識でクロトの頭を撫でてはじめた。
もちろん、そんな光景を目の当たりにしていた他の生徒もバツが悪そうに視線を逸らす。
同い年を泣かしてしまったという罪悪感がその場に立ちこめ、レティシアは競技もことも忘れクロトを宥めることに必死だった。
だからこそ、誰も――レティシアですら、クロトがニヤリと唇の端を吊り上げたことに気付く様子がなかった。
「あ、ちょ、ちょっとクロト!?」
いきなり頭を撫でていた手を掴まれたレティシアは呆気にとられていた。
クロトはそれまでの泣きじゃくりが嘘のようにピッタリと治まり、代わりに腰のポーチから魔術筆を取り出していた。
「く、クロト……?」
「いいから。時間がねえんだ! 手、動かすなよ……」
なんの躊躇もなくクロトは勢いよくレティシアの手の平に魔術筆を奔らせる。
手の平を魔術筆が撫でていくこそばゆい感覚に唇を噛みしめながらレティシアはその圧倒的な速度に目を見張った。
速すぎる――。
魔術式を描く速度が尋常ではない。
それに手の平に描かれていく魔術式も見たことがない形状だった。
レティシアたちが教わってきたのは壁や大きな紙や床を必要とする比較的大きな魔術式だ。
それはよりわかり訳す、かつ安定性を追求したもので、どの生徒も短縮させる方法を習っていないばかりか、教科書にすらその方法は記載されていなかった。
つまりはまだ誰も知る由がない魔術式の短縮化。
クロトはそれをなんの躊躇もなくレティシアの手の平に描きあげていく。
クロトの異変に気が付いた周囲の生徒たちが慌てて魔術を再発動させた。
襲いかかる魔術にレティシアは咄嗟に魔力障壁を展開しようとした――。
「止めろ! 今下手に魔力を纏うとコイツが暴発する!」
――が。
必死になって止めるクロトの激昂にレティシアは唇を噛みしめた。
「なら、どうするっていうのよ!?」
「――こうするんだよ!!」
魔術からレティシアを庇うように体勢を変えたクロトの背中に幾つもの魔術が直撃した。
「いっでえええええええ! 覚悟してたけどやっぱいてええええええええええええ!」
「く、クロト!?」
驚愕に満ちた悲鳴がレティシアから漏れる。
それも当然だ。
クロトは魔力すら纏わずにその身に魔術を浴びたのだ。
基礎魔術だから大きな怪我こそしないだろうが、それでも金属棒で殴られたような衝撃が全身を襲っているに違いない。
そんなことをすれば身体はもちろん、クロトの魔晶石もただでは済まないはずだ。
「いいから! ちょっと黙ってろ! この後、お前には大暴れしてもらうつもりなんだからああああああああああああああああ!」
悲鳴をあげながらそれでも手だけは休めることなくクロトは魔術式を描きあげていく。
そして――。
クロトの魔晶石の輝きが消えるのと同時に――。
レティシアの手の平には短縮化された光魔術《ライトボール》の魔術式が描かれた。
「さぁ、反撃といこうぜ」
クロトはレティシアの背中を優しく押し出すとニヤリと口を吊り上げたのだった――。