魔術の真似事
今回は、幕間という形で、短い内容となっています。
エミナが退職したその日、授業を振り返ったレティシアの心境をご覧下さい!
「なんて事なの……」
夜更けのウィズタリア住宅街。その一角には小さな明かりが灯っていた。
窓から漏れるランプの光量に誘われるように小さな虫が窓に貼りつく。
だが、その部屋の住人はカーテンを閉め切っており、窓に貼りつく虫には一向に気付く気配がない。
少女――レティシア=アートベルンはパタンと分厚い参考書を閉じると、ギシ……と音をたて、背もたれに体重をのせた。
皺の寄った眉間をもみほぐしながら、レティシアはコーヒーに手を伸ばす。
砂糖を少し、ミルクも入れ(味の好みはどこかの最低魔術師と一緒だった)一息つくレティシア。
机の上に置かれた小さなランプに照らされた彼女の表情は憔悴しきったものだった。
普段、徹夜や夜更かしに慣れていないせいもあるだろう。疲労が見え隠れしている。
時計の針を見れば、既に日付が変わっている。親も周りの家も寝静まり、シン……とした静寂が彼女の心境を幾ばくか寂しくさせた。
人の気配が感じられないのは苦手だ。
背筋をゾクリとなで回すような悪寒。知らず粟立つ肌をさすりながら、ネグリジェに身を包んだレティシアは開いていたノートに視線を落とす。
そこには、今日の授業で、エミナ=アーネストが黒板に板書した魔術式の数々がメモられていた。
レティシアにはその内容の全てを理解する事が出来ない。
だが、帰宅してからずっと机に貼りつき、ノートを解読した結果、彼女は途方に暮れるしか無かったのだ。
「アーネストさん、『これ』が基礎だって言ってたわよね……」
今日の別世界とも呼べるエミナの授業は基礎魔術の復習と銘打ったものだった。
授業では誰もエミナの提示した魔術式を理解する事が出来ず、気まずい沈黙が教室を支配していた。
放課後になり、エミナの書いた魔術式がどうしても気になり、学院の図書館でレティシアが借りる事の出来る魔術書を可能な限り、借りて、類似する魔術を探した結果、見つけた術式が――この国では最上級魔術と呼ばれる魔術だったのだ。
しかも、少し似ているだけで、複雑さで言えば、エミナの術式の方が難解に見える。
基礎、初級と順に修練を積めば、いつか最上級魔術を使えるようになる――参考書を読む限り、その確信はあるのだが……エミナの術式はその理論の埒外にあるように思えてならない。
「魔術を制限している――とは聞いていたけど」
かつて、クロトからこの国の魔術体系を聞いた事があった。
この国はクアトロが禁呪で蘇った『カザリ』という少女が、なんの疑いも抱かれず、迎え入れられる為に、その為だけにクアトロが創った彼女為だけの国だ。
ウィズタリアの王女もその為に、クアトロの口車に騙され、エミナ=アーネストも利用され、様々な悲劇があり、不安定ながらも建国したのが、この国だ。
その時、クアトロは教授する魔術に制限を加えていた。魔術国家でありながら、発展途上――加えて、使える魔術も陳腐なものばかり。クアトロはあろう事か、その魔術を最先端の魔術として、この国に伝え広めたのだ。
そして、十八年間、誰もその事に気付くことなく、魔術の研鑽を行って来た。
「これじゃあ、まるで……」
レティシアはそこまで言いかけて口を噤んだ。
『まるで、子供の玩具だ』
今のウィズタリアの魔術を一言で表すなら、まさにそれだ。魔術を真似ただけの魔術もどき。魔術師の真似事にすぎない。
今日の授業で、その一端を垣間見た。
『氷黒の魔女』が隣国へ睨みを効かせいるせいで、隣国との接点が無かったのが仇になった。
なまじ、強大な力持つ『氷黒の魔女』の存在が、他国にウィズタリアの魔術レベルを誤認させていたのだろう。
今にして思えば、アイリの言葉も何か引っかかりを覚えた。彼女はクアトロを侮辱する言葉を呟きながら、この国の魔術レベルの低さを訴えていたようにも思う。
これは――他国の魔術レベルを知っているから出た言葉では無いのか?
この国が上級魔術だと認識していた魔術が、他国では基礎にも劣る劣化魔術――
その事実を知ってしまったレティシアは深いため息と共に、力尽きたようにベッドに身を投げる。
「こんなの……どうしろって言うのよ……」
誰もが幸せになれる魔術――レティシアのその夢を叶えるには、この国の魔術はあまりも陳腐にすぎるのだった。
「外の魔術――知りたいなぁ……」
ポツリと愚痴のように漏らしたレティシアの囁きは、思いの外、速く実る事になる――
新たな教師と共に唐突にもたらされた遠征学修によって――