毒の孤島と守護天使
三章開始です!
遙か彼方まで続く水平線。周囲一帯が海で囲まれた孤島は見渡す限りどす黒い紫色の霧で覆われ、深夜である事も相まって、見る人が見れば、死の孤島にも見えただろう。
その表現は間違っていなかった。
島の浜には打ち上げられ、死に絶えた無数の魚の死骸。そして、島の中には仰向けになってピクピクと足を痙攣させ、または硬直したまま動かなくなった虫の残骸。そして上空を飛び交っていた野鳥たちは力尽きたかのように一匹、また一匹と地面へと墜落していく。たどる未来はどれも同じ――『死』だ。
まさに死が支配する島。
この島がほんの数時間前までは魔術学院の生徒達で賑わいを見せていたと言われても信じる人はいないだろう。
可憐な水着を着て、海で海水浴を楽しんでいた女生徒の一人は、島の奥にある宿舎で青ざめた顔色を浮かべ倒れている。口元からは泡だった唾液や胃液が逆流し、白目を剥いている程だ。昼間の元気ぶりからは想像もつかない急変ぶりにされど誰も手を差し伸べない。
それは当然のことと言えた。
その少女だけで無く、ラウンジにも食堂にも同じように土気色の生徒が倒れ、気を失っているのだ。
辛うじて意識を繋ぎ止めた生徒も、意識が朦朧とし、手足の一本も動かせない。
阿鼻叫喚の地獄絵図と化した国立ウィズタリア魔術学院の修学研修。
その中で腰まで伸びた青い髪を一房に纏めた少女が、壁に手をつきながらもつれる足を必死に動かしていた。
うめき声を上げるクラスメイトに手を伸ばし、容態を確認する。
(……たぶん、良くない)
医学知識はまるで無いアイリだが、それでも倒れ伏す彼らの顔色に、そしてこの島を包む『毒の霧』を見据え、妥当な判断を下した。
今、アイリに出来ることは多くない。
アイリ自身、大量の毒素を吸い込み、まともに体を動かせないのだ。
応急処置として体内で魔力を循環させることで、どうにか毒素を相殺出来ているが、それも時間の問題だった。
この魔術で作られた『毒の霧』を中和し続ける限り、アイリの体からは穴の開いたバケツのように魔力が消費され、そう遠くない内に目の前で倒れ伏す生徒と同じ末路をたどる事になるだろう。
そうなる前に探さなければならない。
あの子を――。
けど、その前に――目の前のクラスメイトを助ける方が優先だろう。
アイリは荒い呼吸を続ける生徒の肩に手を当てる。
「ちょっと我慢して」
倒れた生徒に魔力を流し込み、魔力の過負荷によるショック振動で生徒の意識を無理矢理覚ます。
魔力ショックで辛うじて意識を回復させた生徒は何度も咳き込み、その度に大量の毒素を体内に取り込む。
だが、アイリは呼吸を整えようとする生徒の口を無理矢理防ぎ、毒素の摂取を防ぐと、無表情のまま、顔を近づける。
「なにしてるの? 死にたいの?」
毒で満たされた空間で無防備に呼吸をするなど自殺行為だ。
アイリの鬼気迫る表情、そして周りで同じように倒れた生徒を見て、意識を覚ました生徒は涙ながらに首を横に振った。
「なら、言うことを聞いて」
なけなしの魔力でわざわざ助けたのだ。また倒れられては困る。助けた意味がなくなってしまう。
アイリは少なくともこれ以上、状況を悪化させない為に主人であるクロトから教わった解決策を伝える。
「いい? 辛くても我慢して魔力を纏って。それである程度はマシ……になると思う」
アイリの説明に間があったのは、クロトに言われたように魔力を纏っても体力が奪われる一方だとアイリ自身が身をもって知っているからだ。
クラスメイトに嘘を言うことに少し躊躇いがある。
彼らは新たな人格としてリ・スタートする事になったアイリを心よく受け入れてくれた人達なのだ。
たとえ、かつての記憶がなく、人格を失う前の交友が途絶えようと、新たに出来たこの絆はアイリにとっては大切なもので、だからこそ、騙すのが心苦しくあった。
クロトに教えられたのは毒素を打ち消す方法じゃない。正確に言えば、毒素の効果を遅延させるものだ。だからこそ、時間が経てば確実に命を落とす。それに今さら魔力を纏ったところで寿命がほんの少し伸びる程度だ。
けれど、使わないよりはマシ……それも真実。
その数分で、もしかしたら救われるかもしれない。
アイリの言葉に従って、目の前のクラスメイトは体を震わせながら魔力を纏う。
涙ながらに魔力を纏い、そして毒素を打ち消す為に魔力が急速に失われていく事に青い表情を浮かべた。
「いや……いや! まだ、死にたくないよ……」
震える声で霧散していく魔力を必死に繋ぎ止める生徒にアイリはされど、非情な事を口にした。
「誰だってそう。まだ死にたくないって思ってる。だから助けてあげて」
「え……?」
「今から私が言ったことを実行して欲しい。上手く出来れば皆助かるから」
アイリが彼女に伝えた事は三つ。
一つは気絶した生徒に魔力を強引に流してショックを与える事。
そして、もう一つは目を覚ました生徒に魔力を纏うように促す事。
どうしても目を覚まさない生徒には基礎魔術の治癒でもいいから治癒魔術をかけ続けること。
以上の三点だ。
だが、それを聞いた生徒は血の気の失った顔を浮かべ、「無理」だと告げると縋り付くようにアイリの腰にしがみついた。
(どうしよう……)
アイリは毒で痛む頭を押さえ、必死に打開策を考える。
本音を言えば今すぐにでもクロトからお願いされた『レティシア捜索』に走り出したかった。
だが、このまま生徒達を放っておけば間違いなく大勢のクラスメイトが命を落とすことになる。
(こんな時、どうすればいいの……?)
毒素の霧がさらに深まり、僅かな猶予すら失われていく中でアイリは一人、絶望の中に取り残されていくのだった。
◆
毒に覆われた島の遙か上空で二つの影が交差した。
一人は群青色の魔力と青い外套《完全魔術武装》を纏ったクロト。
そして、もう一人は白銀の魔力を噴出させ、白銀に輝く翼を靡かせた『天使』だった。
腰まで伸びた銀色の髪が夜風に揺れ動く。
魔力で構築された鎧のような純白の霊装や白銀の槍がクロトの返り血で赤く染まっている。
白い肌には傷一つなく、澄んだ瞳はクロトに対し、僅かばかりの興味も抱いてはいなかった。
ただ見つめるは遙か下に位置する毒で包まれた孤島だけ。
自分に対し、牙を剥いた島を滅却せんとその瞳は怒りに満ちている。
体の至る所から血を流し、それでも『天使』の無慈悲な力を阻止しようとこれまで無謀とも呼べる戦いに身を投じてきたクロトはこの僅かな戦闘の間に何度も言葉を交わし――それ以前にも一度だけ交流のあった天使に再度呼びかける。
「まだ、馬鹿なこと考えてるんじゃないだろうな……?」
「馬鹿なこと、とは?」
「この島を、生徒全員を含めて吹き飛ばしてやるって事をだよ!」
「無論、変りない。私の心境に微塵の変化もありはしない」
「ッ! あそこにはお前のダチだっているんだろ! それを平然と見殺しにするつもりかよ!?」
「……私の友ではない。何度言えばわかる? あの場にいるのは私にとって何の関係もない人間だ」
「レティシアはどうするつもりだ?」
「……それが『鍵』の最後ならそれもいいだろう。私にとって『鍵』はその程度の価値しかない」
「ふざけんなよ、このクソ野郎が!」
「……それが友に向ける言葉とは思えんな」
「お前はそれを否定したばかりだろうが……ノエル!」
クロトは《黒魔の剣》を構え飛びかかると同時、白銀の槍を構えた『天使』――ノエル=ディセンバーもまた神速の突きを放つのだった――!
魔術師と天使の戦い――物語の始まりは数日前に遡る。
次回の更新は未定ですが、なるべく間を開けずに投稿したいと思います!