胎動する存在
「お帰り、レイジ」
転移魔術を駆使してレイジは世界の裏側――魔族の住まう『魔界』へと戻ってきた。
周囲は光の粒子が霧となって視界を遮り、『魔界』全体を薄らと覆っている。
日の光さえ遮る濃密な霧の正体は――純粋な魔力の固まりだ。
大気を満たす濃密な魔力は一呼吸で人間の魔力許容量を大幅に超え、苦痛を与える猛毒に等しい。
だが、この世界に馴れたレイジや目の前でとある作業に没頭する堕天使にしてみれば、ただの空気とさほど変わらない。
否、魔力が濃密な分、魔力の回復が速まるので、むしろ居心地がいいくらいだ。
レイジは周囲を見渡し、事もなげに呟いた。
「……調子はどうだ?」
「ぼちぼち、そっちは?」
「こちらも同様だ」
堕天使――エミリアは「そう」と呟くと目の前の作業に戻る。
レイジは傍らで彼女の『創作』を見ながら、知らずため息を漏らしていた。
その原因は独断行動の結果、人族に魔族の存在を知られたことだ。
レイジ一人だけが捕捉される程度ならまだ許せた。
だが、問題はリュウキが身勝手にレイジの後を追ってきてしまったことにある。
人間どもが魔獣と呼称する同胞は、この世界の外で生まれた意思のない魔族。
使える力も一つくらいなもので、エミリアたち魔族も使い魔程度にしか認知していない存在だ。
だが、エミリアたち魔族はその一線を凌駕した存在。
この世界で生まれ落ち、意思を持つもう一つの世界の住人。
人間たちより高度な魔術を使い、人間の上位種に当たる存在。
故に魔族の存在が表の世界に知れ渡ることはなんとしてでも避けなければならないことだった。
(あの馬鹿のせいで余計な面倒が一つ増えたな)
独房に叩き込まれた黄金の竜族を思い出し、さらに眉間にシワがよるレイジ。
ここに来るまで散々、『長』どもに愚痴を言われ続けた後だ。こちらも悪態の一つくらい思ってもバチは当たるまい。
そもそも、協調性のない『長』ども話は聞くだけ目障りな内容ばかりだった。
責任の押し付け合いから始まり、最後には魔術を使った乱闘騒ぎ。
同じ『長』としてレイジは恥ずかしくてならない。
(……だから俺は反対したんだ)
魔族の種族はエミリアのような天使や、リュウキのような竜族など実に多種多様。そして種族ごとに魔術もまた異なる発展を遂げ、その全容を知る者はもはやいない。
種族ごとに閉鎖的な生活を送り、多種族とは関わりを持とうしない魔族が多く、種族の壁を越えて手を結ぶなどまずありえなかった。
少なくとも、レイジが知る歴史の中で、これだけ多くの魔族が手を結び、一つの組織を作ったことなど一度もなかったはずだ。
たった一人の人間に為にこの世界の住人が一つになる。
それが意味することとは――彼らがそれ程までに本気だということだ。
人族の世界を幾度となく崩壊させてもあまりある力。その力をたった一人の『鍵』と称される人間の為に使うのだから正気の沙汰とは思えない。
だが、それも仕方のないことだとレイジは割り切っていた。
なぜなら、そうでもしないと世界が滅ぶ。
魔界も人間の世界も含めた全てが滅ぶ。
時間は余り残されていない。
限られた時間の中で打てる手は全て打つべきだ。
だからこそ、疑問が残る。
「エミリア、何故、クアトロを見逃せと言った?」
「ん? 何故って?」
レイジにとってクアトロは看過できない人物だった。元『鍵』で、何故か現行の『鍵』と関わりのある人物。
殺す必要性はあっても生かす必要性は微塵もない。
むしろ、今後のことを考えるなら、あの場で殺すべきだった。
なのに、リュウキの魔爪さえ止めさせ、見逃させたことにレイジは強い不信感を抱いていた。
納得出来る理由の提示を求めるのは当然と言える。
「……理由は簡単よ。『鍵』が彼の近くにいたから」
「それは生かす理由にならないぞ」
「レイジはこの世界に長く居すぎたのよ。人間というものをまるで理解してないわ」
途端に饒舌に話し始めるエミリア。普段の片言しか喋らない彼女が本性を見せることは実はかなり珍しい。
エミリアがこのような喋り方になる時は決まって機嫌が悪い時だ。
つまり、今のレイジの質問が何か彼女の地雷を踏んだことになる。
「人間は欲深く、罪深い存在よ。『鍵』の存在はもう向こう側にも知れ渡っているのよ? なら、防衛の手段を残すべきだわ」
「……」
レイジから反論の言葉は出てこない。
なにせ『鍵』の存在がレイジのせいで人間どもに明るみに出てしまったからだ。
どこかの良識ある人族が『鍵』に対し強力な封印を施していた。
人族が持つ魔術の中でも最上級に位置する《ヒョウカイ》で『鍵』が放出する魔力を意図的に押さえ込んでいたのだ。
『鍵』がこの世界に生まれ落ちてからずっと維持されてきた封印。
その封印をレイジが破壊してしまった。
不可抗力という言い分けを使うつもりはない。
軽はずみに《ヒョウカイ》を打ち消したレイジに全ての責がある。
だが、その責の一端を担うのは目の前の少女も同じ。
彼女がレイジに《ヒョウカイ》の中枢に封印されていた少女を連れてこいなどと言わなければそもそも《ヒョウカイ》を破壊することもなかったのだ。
「そもそも私達が『鍵』の居場所を捕捉出来ればこの子は必要なかったのよ?」
「だろうな」
レイジは冷ややかな視線をエミリアの目の前で横たわる少女に向ける。
エミリアがこの『カザリ』と呼ばれた少女を求めたのは魔族でさえ捕捉不能だった『鍵』をいぶり出す駒として使う為だ。
だからこそ『鍵』の居所が知れた今、カザリの利用価値など一片たりともない。
レイジはそう判断していたが、どうやらエミリアは違うようだ。
これも彼女がいう『人間の欲深さ』に関係するのだろう。
「……問題は時間ね」
「どういうことだ?」
「あの馬鹿な連中が重たい腰を上げるまでの時間よ。『鍵』の居場所がわかっても連中が準備を整えるのにまだ時間がかかるわ。なにせようやく一つの組織になったところなのだから」
エミリアのいう「あの連中」とは曲がりなりにもこの集団を支える『長』どものことだ。
この魔界なら無類の強さを誇る彼らでも人間の領域に足を踏み入れる覚悟を持つのにまだ時間がかかる。
人間達とは異なり、外の世界では長く生きられないのが魔族の欠点であるが故に。
もちろん例外はある。その一人がエミリアだ。
彼女は元々『人族』の守護を担った守護天使だった。
だからこそ、大気中の魔力が薄い人族の世界でもある程度は活動出来る。
だが、他の魔族は違う。
向こうでは魔力回復の手段がほとんどない為、魔界で大量の魔力を貯蔵する必要があるのだ。
それが整うまで人族に魔族の存在――そしてその目的を知られるわけにはいかない。
先ほどレイジが『長』どもに言われていた内容と被る。
「本当なら、こちらの準備が整ってからこの子をけしかける予定だったのだけど……事情が変わったわ。人間は恐らく、『鍵』を狙って動き出す。この子が完成するまでに『鍵』を守る盾が必要なのよ。だから生かした。それが理由よ」
「完成するのはいつだ?」
「さあ? 少なくともそう長くはかからないわ。クアトロの腕とこのカザリって子の親和性は思っていた以上に高いの。この子が自我を確立して目を覚ますはそう先の話じゃないってことよ。それに――」
エミリアはコホンと咳払いをすると感情を落ち着けたのか、普段の口調に変りはじめる。
「私も、出来れば速くクアトロを殺しておきたいから……」
「何故だ?」
「視たのよ」
エミリアの翡翠の瞳がレイジを射貫く。
彼女が視たと口にするのはこの先に起る『未来』だ。
守護天使の力の名残なのか、彼女は『人類』にとって最良となる選択を行う為の技能として『未来視』と呼ばれる特別な力がある。
堕天した為、その性質は少々複雑になっているが、彼女の目にした『未来』は何も手を出さなければそのまま現実に引き寄せられる性質を持つ。
そして彼女の口にする『未来』が人間にとっては最良でも『世界』にとっては最悪となるケースも多々ある。
今のエミリアの口ぶりから察するに、今回の『未来視』は最悪の可能性が極めて高いだろう。
レイジはその先の話を一言一句聞き逃さずにエミリアの視た未来を聞くのだった。
漆黒の剣を携えた少年が『鍵』呼ばれる少女を貫き殺す、最悪の未来を――。
やや、後味の悪い展開となりましたが、この話で第二章は終わりを迎えました。
次回は幕間などを挟んで、第三章へと進んで行こうと思います。
封印の解かれた『鍵』を巡っての争いが本格化する予定となっています。もちろん、新キャラやお馴染みのキャラにスポットを当てた作品を書いていく予定です!
次回はアイリの幕間『アイリのお使い』を予定しています!