魔術の真価
「な、なんだ、これは……」
白と黒に染まる世界。
崩壊したはずの神殿が崩れる直前の姿で現れていた。
それだけではない。
崩れた瓦礫は空中で停止し、落下することがない。
神殿の床も先ほどまでと異なり、かなりの強度だ。よほど力を込めないと床を砕くことが出来ないだろう。
だというのに、いたる場所に瓦礫の山がうずたかく積まれ、幾つものクレーターが穿たれている。
異質な空間。色もなにもない。モノクロの世界。
その世界の中で蒼い光を纏っていたクロトがゆっくりとした動作で剣を構えた。
「《反転世界》だ」
「……聞いたことのねえ魔術だな」
「だろうな。この魔術は俺が禁呪の一つを改良して創ったオリジナル。元の魔術は――《コドク》って呼ばれる呪術の一種だよ」
「その魔術なら聞き覚えがある。神獣を生み出す魔術だろ」
「そうだ。魔力を吸収する結界の中で、動物同士を殺し合わせ、残った最後の一匹に結界内で散ったすべての魔力を統合し、高次元の魔力を持った存在を作り出す。たちの悪い魔術だよ」
「そうか……《反転世界》とか呼ばれるこの空間がその結界だな? だが、それでどうなる? 《コドク》の性質上、負けた側の全魔力は勝者に与えられる。俺がお前に負けることなんてあり得ねぇぞ?」
「やってみなきゃわからねえだろ?」
クロトはそう言い捨てると、地面を蹴って剣を振り下ろす!
「そうだな! やって後悔しろ!」
リュウキが黄金の魔力を纏わせ、《黒魔の剣》の一撃を防いだ瞬間、かつてないほどの衝撃が《反転世界》を振わせた――
「どうした!? それが全力か!」
雷撃がクロトの頬を掠める。
雷が皮膚を裂き、噴き出した血を一瞬で蒸発させた。
雷撃魔術の特徴は光による『斬撃』と熱による『熔解』の二つ。
光で斬り裂き、熱で溶かす。
相手にすると非常に厄介な魔術だ。
まず光の速さで動く魔術の視認は困難。目で捉えようとしたら、魔術が起動した瞬間に体に穴が空く。
そして熱による攻撃も、金属すら溶かし貫く性質を持つ以上、《黒魔の剣》で防ぐことが出来ない。
まともに直撃すれば、体が跡形もなく吹き飛んでいるだろう。
(アイリの力がなきゃ、とっくにくたばっていたな……)
今、クロトは群青色の魔力を探知機のように使い、リュウキの一挙手一投足を捉えていた。
それは、アイリの『魔晶石』でしか出来ない芸当だ。
レティシアのランクSオーバーの魔力は、魔力量こそ膨大だが、それ故に制御が難しい。
その扱いの難しさはクロトの技量を持ってしても『魔力障壁』や『魔力装填』を応用した《イグニッション・ブースト》や《イグニッション・ブレイザー》にしか使用出来ないほど。
けれど、《完全魔術武装》は違う。
もともと魔力操作のセンスに長けていたアイリが魔力を込めた『魔晶石』だ。
一の魔力で十の魔力を必要とする魔術が使えるくらいに燃費がよく、その上、アイリ自身の魔力もランクB相当なので、レティシアと比べて飼い慣らしやすかった。
それはつまり――
魔術のマルチタスクが可能だということ。
クロトはリュウキの拳を交わしながら、《黒魔の剣》に炎を纏わせ、左手に氷で出来た剣を生みだした。
「《多重処理》――《炎帝》《ヒョウカイ》!」
クロトの中で炎熱魔術最強の火力を誇る|《炎帝》と氷雪魔術最強の《ヒョウカイ》を同時に起動させる。
《黒魔の剣》に纏わせた炎で雷撃を払いのけ、氷剣でリュウキの魔力障壁に刃をぶつける。
金色の魔力粒子が散り、リュウキが忌々しげに眉を歪めた。
属性の違う魔術を同時に使われるのはそれだけ厄介なことだ。
魔術を相殺する為には強力な魔術をぶつけるか、相性のいい魔術を使うしかない。
けれど、複数の魔術を同時に使われると一気に相殺が難しくなる。
その理由は、魔術が混じり合うから。
本来、魔術師は相性のいい魔術を扱う。
エミナなら氷属性。ノエルなら治癒系統といった具合だ。
だからこそ、異なる属性の魔術を同じ力量で使うことは出来ない。
この魔術のマルチタスクは、全ての魔術を同じ力量で行使出来る、無色の魔力にだけ許された特権。
誰にも知られることのなかった『魔術の真価』だ。
一人の魔術師が二つ以上の魔術を同時に使う時、その二つの魔術から相性の壁がなくなる。
炎と氷の魔術を同時展開しても、魔術の源となった魔力はクロトのもの。
《炎帝》と《ヒョウカイ》は反発しあうことなく、溶け合う。
その結果生まれたのが、炎と氷の魔術を融合させたオリジナル|《氷炎界》だ。
この魔術を打ち消すには、より強い魔術をぶつけるしか方法はない。
だが――
(魔力を溜めて無防備になった瞬間に斬る!)
「ちっ! よくもこれだけ……」
クロトの攻撃に対し、リュウキは明らかに防戦一方になりつつあった。
リュウキの魔術は確かに強力だ。
竜の持つ強大な魔力に体力。そして竜属性の雷撃。
どれをとっても一級品。ただの魔術師では到底敵わない。
本来、竜と呼ばれる魔獣を倒すには数百人の魔術師を必要とし、それに加え、武術に長けた戦士も必要になる。
それだけの戦力を使ってようやく勝てる相手が竜だ。
まして、リュウキはその種族の中で人型。恐らくこれまで確認されてきた竜の中でもっとも上位に位置する存在。
この男を倒す為にはさらにその数倍の戦力がいるはず。
けれど、それはただの魔術師の話なら、だ。
この《反転世界》で戦うなら話は別。
リュウキは《反転世界》を《コドク》の一種だと勘違いしている。
確かに《反転世界》は確かに《コドク》を改良して創った魔術だ。
だが、《反転世界》には勝者に空間内の全魔力を付与する特性が排除されている。
この魔術の真の意味は《コドク》のように高次元の生物を生み出すのではなく、その高次元の生物を捕らえることにのみ力を注いだ魔術だ。
この世界はクロトが《空間凍結》の魔術を使った際、その空間の『影』を丸々写し取ったものにすぎない。
《空間凍結》で固定し、その間に魔力を浸透させて空間の影を写し取る。
写し取った魔力を結界として構築したのが、この黒と白の世界だ。
この世界で放出されたすべての魔力は《反転世界》の維持の為に全て回される仕組みになっている。
故に勝者に回される魔力は存在しない。
魔術を使えば使うほどの結界の強度は強くなり、魔力を放出し続ける限り、結界から抜け出すことは出来ない。
「なら……コイツでどうだ!」
クロトの攻撃に苛立ちを見せたリュウキが両腕を突き出す。
黄金の魔力が構えられた両手に収束され、巨大な竜の顎となって再構築される。
その魔力量はクロトの《氷炎界》を軽く上回っている。
人間の次元を超えた魔術――
抗う術なぞ存在しない。
けれど――その一撃を前にクロトは口元を吊り上げていた。
(その一撃を待っていたぜ!)
《反転世界》は閉じ込めることだけに全力を注いだ魔術。
つまり、手に負えない格上の相手を想定した魔術。
当然、強力な魔術にも耐えうる工夫を凝らしてきた。
それこそがこの結界の切り札――!
「な……!」
リュウキが雷竜の顎を解き放とうとした瞬間、崩れ堕ちるように顎が霧散していく。
目を見開いて、言葉を無くしたリュウキにクロトは一息で詰め寄る。
ここだ。
ここが最初で最後の勝機!
接近したクロトに気付いたリュウキが魔力障壁を体に纏わせる。
だが、遅い!
クロトは、障壁の薄い場所に狙いを絞って、《黒魔の剣》に白銀の魔力を纏わせる。
禁書目録1番に記載された禁呪。
一刀一撃の魔剣――
「――《絶刀》」
クロトの魔剣がリュウキの体を袈裟懸けに斬り裂いた。