最低魔術師が動いた動機
少しばかり言い過ぎたかもしれない……。
アリーナの片隅で呆然と練習風景を眺めていたクロトはレティシアの後ろ姿を見つめて頭を掻いた。
「なにも泣くことはないだろ……」
むしろ泣きたいのはクロトの方だった。
頬を叩かれて心に響かない男などそうはいない。
そしてレティシアの涙のダブルパンチ。
さすがのクロトでも良心の呵責が刺激された。
それでもまともに授業を受けないのはクロトらしかったが……。
(やっぱ、俺に魔術は無理だよ……)
クラスメイトの練習風景を見てクロトは少しばかり昔を振り返った。
まだ魔術に希望を抱いていたころの馬鹿な男――。
そしてそれから間もなく魔術に絶望した自分。
そんな経験を経たクロトがもう一度、魔術に関わる羽目になったのもすべてあの大英雄と名高い『クアトロ=オーウェン』のせいだ。
あの男は死してなお、大勢の人の意志を巻き込んでいる。
魔術をこの国に根付かせたこと。
目の前の少女を含め、多くの人間の運命を捻じ曲げてしまったこと――。
どれをとって見ても彼の行いが本当に正しかったのか、クロトにはまだその答えが見つけられていなかった。
いや、そんなことよりも大勢の人間が『クアトロ=オーウェン』を目標にしていることが釈然といかなかった。
そんな男を目標にするな――といったところで、この国にとってそれは異端の者の言葉となってしまう。
彼を目標として、もし彼と同じ境地にたってしまったならそれはもう悲劇としか言えない。
(やっぱ、そんなのは見たくねえな……)
この国で唯一『クアトロ=オーウェン』に届き得る可能性を秘めた少女が間違った夢を胸に必死に魔術に取り組んでいる。
その光景に胸を締め付けられながら、クロトは小さな笑みを零した。
「けど、まったくなってねえな……」
今、このアリーナで行われている授業は『魔力運用』と呼ばれるものだ。
魔術は魔力をエネルギーとしている。
魔力を自在に制御できなければいくらたってもまともな魔術一つ扱うことは出来ない。
それはランクSオーバーの魔力量をもつレティシアも例外じゃない。
いくら魔力があってもそれを制御できなければ意味がないのだ。
その点でいえば、レティシアは魔力運用がかなり……雑と言わざるを得ない。
肩に力が入りすぎてまったく魔力を操作できていなかった。
それは周りのクラスメイトにしても同じだが……。
この魔力操作だけはセンスがものを言う。
習得するのに一時間もかけない者もいれば数日、数年とかかる者もいる。
レティシアの才能は恐らく後者だ。
他の生徒もまあ、それなりにヒドイがノエルに限ってはあと一時間もすればモノにするだろうし、他の生徒も一週間もあれば十分だろうとクロトは考えていた。
魔術師として一番、成長が遅いのはむしろレティシアだ。
レティシアの性格的にそのことを思い悩むことは目に見えていた。
不真面目なクロトに毎日といっていいほど説教をしてくる少女だ。
人一倍、責任感とプライドが高いのだろう。
今はクロトが足を引っ張っているという現状がレティシアの脆いプライドを支えているのかもしれない。
だが、魔術の才能が人よりもないことを知れば……?
ランクSオーバーという大層な肩書にいつか押しつぶされるのでないか?
また、あの涙を見ることになるのか……。
クロトはまだ痛む頬で頬杖をつく。
(もし、そうなっとしても俺には関係ない、な……)
できることなら、早くこの学院を立ち去りたいクロトにとってレティシアの問題なぞとるに足らない問題だ。
だから関係ない。
レティシアがどれほど後悔しようと、魔術に絶望しようともクロトには関係ない――――はずだった。
(さすがは女の涙。どんな魔術よりも強いな)
クロトは面倒くさそうに立ちあがると未だにクロトに背を向けて黙々と魔力操作に取り組んでいたレティシアに近づいていった――――。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
レティシアは一度練習を打ち切ると、荒れた呼吸を整えた。
どうにも上手くいかない。
教科書に載っていた方法通りにやっても一向に魔力を纏えないのだ。
魔術師は魔力をその身に纏うことで魔術を扱える。
この前出会ったクロトの母親らしき人――エミナにしてもそうだ。
一瞬だけその身に青白い魔力を纏い、魔術を発動させていた。
呼吸をするように魔力を纏えるようにならないとより高度な魔術を習うことは難しいだろう。
レティシアはこの授業が始まる前までは、魔力操作くらいは余裕で出来るものだと思っていた。
魔術適性もありそのランクは是大未聞のランクSオーバー。
それほどの素質があるのだ。ものの数秒で魔力を纏えると信じていた。
だが、ふたを開けてみれば――。
レティシアをはじめ、ほとんどの生徒が魔力操作に難色を示していた。
ただノエルだけは先ほどから落ち着いた様子で汗一つ流さずに魔力をほんの数秒だけだが纏っている姿を何度か目撃していた。
一瞬見たノエルの魔力の色は綺麗な白銀だった。
身に纏う魔力は魔力を纏う人によってその色が異なる――という話をマークから聞いていた。
白やそれに近い色の魔力は支援、補助、治療の魔術と相性が良く、
黒に近い色は攻撃や異常系、儀式魔術と相性がいいらしい。
他にも赤は炎、青は水や氷との相性がいいなど、魔術師一人一人に相性のいい魔術が存在するのだ。
たしかそれを《魔力属性》とマークが言っていた。
マークの魔力は黒に近い紺色の魔力だった。
それをマークは流動的な特性をもつ魔術との相性がいいと語っていた。
それは水であったりまたは魔力の流れそのものであったりと自然の流れを操作できる儀式魔術と相性がよく、実際にマークの使った魔術は水を操作するものだった。
その相性でいえばきっとノエルは聖魔術と呼ばれる治癒や加護の魔術と相性がいいのかもしれない。
レティシアは意識を切り替えるともう一度魔力操作を試みようと――。
「お前、意外と雑な性格だろ?」
したところで、耳障りな声がレティシアの集中を掻き乱した。
「…………いきなりなによ。もう放っておいてくれる? そしたら私もあなたにあれこれ言うのはもうやめるから。だから私の視界の前から消えてくれないかしら?」
視線を合わせることなくレティシアはクロトを拒絶する。
クロトは自分から魔術に関わる人ではない。レティシアがクロトを放置すれば、彼は魔術の講義に出ることさえなく、そのまま雲のように学院に来なくなるだろう。
そうなればパートナーのレティシアの評価も下がることになりかねないが、不登校になったクロトの代わりにもう少しまともな人とペアを組み直させてもらえるかもしれない。
口に出さずともレティシアはもうクロトという最初のパートナーを見限っていた。
「散々な言われようだな。お前がいつも真面目に授業を受けろって口を尖らせていうもんだからせっかく真面目にやろうとしてたのにさ」
「…………は?」
レティシアは驚愕の表情を浮かべ、クロトに向き直る。
一生耳にすることはないだろうと思っていたセリフをクロトは確かに口にしたのだ――。