最低魔術師のリ・スタート
「い、イヤだああああああああああああああ!」
魔歴十八年、魔術国家ウィズタリアの外れに位置する古めかしい屋敷から一人の青年の絶叫が響き渡った。
青年――クロト=エルヴェイトは藁にも縋りつく思いで窓際のカーテンに必死にしがみつく。
その姿は駄駄をこねる子どもそのもで、十六になろうとしている少年がするにはあまりにもみじめすぎた。
その姿を見た黒髪の女性はやれやれとため息を吐きながら諭すようにクロトに語りかける。
「なあクロト、私もそこまでヒドイことは言ってないじゃないか」
「なにがヒドイことは言ってないだよ! この悪魔! 鬼! 貧乳!」
「…………いい度胸だな?」
瞬間、室内の空気が凍りついた。
クロトが地雷を踏んだと気付いた時にはすでに手遅れだった。
女性の身体から青白い光――《魔力》が質量をもって彼女を覆う。
それを見たクロトは顔を硬直させ、後ずさるようにガラスに張り付く。
「じょ、冗談だよね? いくら人の意見も聞かない短気で直情バカなお前でもこんな密室――しかもこんな至近距離で魔術なんてぶっ放すわけが――」
「《氷壁の彼方より来たれり氷塊の剣よ、我が請いに従い――》」
「や、止めてええええええええええええ」
黒髪の女性が紡ぎだす魔術の詠唱をかき消すほどの大声量が二度屋敷を揺るがした――。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
「さて、弁解を聞こうじゃないか」
泣きじゃくるクロトを宥めること数十分、号泣するクロトに険を削がれた女性――エミナ=アーネストはハンカチでクロトの鼻を拭いてやると子どもをあやすように優しい笑みを浮かべた。
ズビビッと鼻をかむクロトはバツが悪そうにエミナから視線を逸らす。
基本、どこまでも子どもなクロトに手を焼かされはするがなんだかんだといってエミナはこのダメっぷりを気に入っている節があった。
「グスッ……その、貧乳とか言ってごめんなさい」
「そこじゃないだろ!? いや確かにそれもあるが……って私は貧乳じゃない!」
「そうだよな。お前のブラは確かにシー……」
「それ以上余計なことを漏らせばその眼を燃やすぞ?」
「……はい」
エミナの洒落にならないジョークに一瞬で黙りこむクロト。
その様子を見かねたエミナはやれやれと顔を手で覆う。
「わかってはいるんだ。確かにお前には荷が重いお願いだってことは重々承知しているさ」
「わかっているんなら取り消してくれよ。俺、学院に行くなんて絶対に嫌だよ!」
そう。クロトが必死になってまで拒み続けているもの、それは――この国きっての名門国立ウィズタリア魔術学院への入学だった。
今年で十六になるクロトはその学院に通うことの出来る条件を満たしている。
年齢だけは……だが。
学歴、魔術才能と入学に足る条件は実のところ何一つ満たしてはいない。
エミナと出会ってこの数年、クロトは何をするでもなく自由気ままに好きなことだけをするいわゆるニート生活を送っていたのだから仕方のないことではあった。
本来ならばクロトが名門である国立ウィズタリア魔術学院に入学できるはずがない。
その入学を可能にしたのが目の前の女性――エミナ=アーネストの存在だった。
歳はもうすぐ三十路を超えるだろうといったところ。
それでも見た目だけは二十代前半の彼女の夜を連想させる黒い髪には枝毛の一つもない。
丁寧に梳かされた長髪が重力に逆らうことなく流水のように流れ、黒真珠のような瞳は吸い込まれるような透明感がある。
加えて整った顔立ちは誰が見ても振り返る程の美しさを合わせ持ち、ミルクのように艶のあるきめ細かな肌にすらりと伸びる体型は女性として完成された美しさをもっている。
その美しさを際立たせているのが言うまでもなく彼女が身に付けている漆黒のドレスだろう。
魔術的なエンチャントが施されたエミナのドレスは身に纏うだけである一定以下の魔術を完全防御する。
それだけではなく外気温さえ調節し、適温を維持するという一級品だ。
魔術師としても完成されたその姿は彼女に『氷黒の魔女』の異名を与え、この国でも一、二を争うほどの魔術師として有名な人物だ。
この国が出来て十八年と少し、この魔術国家を建国したとされる大魔術師『クアトロ=オーウェン』の一番弟子にして彼の右腕だった女性。
あらゆる魔術を習得し、この国に魔術という新たな技術を根付かせた『開闢の魔術師』――その一番弟子である彼女の発言権はこの国では絶大で、その意見が通らなかった試しをクロトは聞いたことがない。
そう。簡潔に言えば、クロトの名門への入学はこのエミナの七光り以外に他ならなかった。
「そういうな。魔術の才能がからっきしなお前を魔術の名門へ押し通すのにはさすがの私でも苦労したんだぞ?」
「そう言うんなら最初からこんなことしなきゃよかっただろ? 今からでも遅くないって。ほらエミナが『やっぱこの子は才能零でした~』って言えば問題ないよ。俺の入学だってなかったことになるって!」
「そんなこと言えるわけがないだろ? 私のメンツに関わる」
「このロクでなし!!」
「それとは別にだ」
エミナは口の端を軽くつり上げ、皮肉めいた笑みを浮かべる。
それを見たクロトは居心地が悪そうに視線を逸らした。
「私は、お前が実はまったく才能零じゃないことを知っているんだよな~」
「零だよ。俺は間違いなく、な」
魔力値が一般レベル。その事実は二人の共通認識だ。
一般レベル――それは魔法を扱う才能が零であることを指差す。
魔力を駆使して魔術を扱うことが不可能である証拠だ。
エミナの言ったことは矛盾している。
クロトには何をどうあがいても魔術を駆使することなんて出来ないだろう。
「どうだか。お前がどう思おうと私はお前こそが最強の魔術師だと思うけどね。昔も今も変わらずに」
「……ふん」
どうもこの話になるとエミナに変な熱が入ってしまう。
もう夢見る少女って歳でもないだろうに……。
口が裂けても言えないセリフを心の中で呟くクロト。
ぼりぼりと頭を掻くとクロトはエミナの書斎におかれたパンフレットに目を向ける。
国立ウィズダリア魔術学院。創立十六年あまりの新設校だが、その内容はまだどこの学院でも取り入れられていない魔術関連がふんだんにある。
魔術が徐々に人々の中に浸透していくことで魔術の普及とあらたな魔術技術の開発に貢献することを目的と学院だ。
今ではこの学院を卒業することでようやく一人前の魔術師として認められる風潮すらあるほどの名門中の名門。
卒業した学院生らの活躍も魔術に興味の欠片がないクロトですら耳にするほどだ。
現にこの屋敷にも魔術による恩恵は色濃く出ている。
暖炉の種火は魔術によるもの。しかもそれは一般人が簡単に使用できるように大衆化され自身の魔力を使用せずに使うことの出来る《インスタント魔術》
この《インスタント魔術》も学院の卒業生が開発したもので発表された当時はそれはすごい反応だった。
今でこそ種火だけでなく、ランプの光や冷蔵の冷気管理など様々な場面で利用され、クロトも例外に漏れることなくその恩恵にあずかっている。
ようするに、そんな超一流が巣食う学院にこのエミナは強引にねじ込もうとしているのだ。
クロトにはその学院生活がまったく想像できない。想像したらしたできっと落ちこぼれの無能なダメ生徒が一人出来上がってしまう。
そんな現実、ニートであるクロトに耐えられるわけがない。不登校まっしぐらだろう。
「やっぱり考えなおしてはくれないか?」
「嫌なものは嫌だ」
「仕方ないな」
立ち上がったエミナは面倒そうにため息を吐く。
エミナの向かった先を見て怪訝そうにクロトは眉をひそめた。
エミナの入った場所。そこは普段クロトが自室にしている空き部屋だった。
当然、中にあるのはほとんどがクロトの私物。エミナが気に入るようなものは当然おいてない。
ボンッ――――
という爆発音が部屋から響き渡り、ようやくエミナの意図を察したクロトは慌てて部屋へと向かった。
「ちょ、ちょっと待て! なにしてんだよ、エミナ!」
「なにってしれたこと……この部屋はいらないから壊しているんだよ」
「ここ、俺の部屋! 俺の聖域なの! 勝手に爆破するんじゃねえ!」
「お前こそ何を言っている? ここは私の屋敷、私の家だ。この家のものは全て私の物だ」
「理不尽だろ! ってちょっと待って! それだけは燃やさないで!!」
ベッドを吹き飛ばしたことで明るみに出たクロトの秘蔵コレクションの数々。それは決して誰にも知られてはいけないクロトだけのメモリアル。
それを見つけてしまったエミナの表情が凍る。ジト目でクロトと夜を過ごしてきたであろう数々の女の写真に手の平を向けた。
「どうして、私という女性が目の前にいるというのにお前は……」
「だって、だって! 見た目は可愛くても三十路近い女性に欲情なんか出来なし、それに胸が――って本当に止めて! わかった。学院でもなんでも行くから、頼むからご慈悲を! ご、ごめんなさああああああああい!」
その日、クロトの泣きじゃくる声が屋敷から途絶えることはなかった。
こうしてクロトは不承不承ながら魔術学院へと足を踏み入れることとなった。