野々森牧場に来た馬達
3月上旬のある日。牧場に1頭の馬がやってきた。
カヤノキはその馬を見かけると、すぐにうれしそうな表情を浮かべながら『お帰りなさい。』と声をかけた。
『ただいま…、オカン。』
母親を「オカン」と呼ぶ馬と言えば、そう、パーシモンだった。
『パーシモン、どうしたの?そんなにモヤモヤしたような顔をして。』
カヤノキは息子が帰ってきてくれたことを喜びながらも、どこか悔しそうな雰囲気を見逃さなかった。
『オカン、僕…、クビになったよ…。』
『クビって?』
『ああ、競走馬をね。』
パーシモンがそう言った途端、彼はますます悔しそうな表情を浮かべた。
そして重い口調でそれまでのいきさつを話し始めた。
彼は1月初めに脚を痛めてしまい、リハビリ施設で過ごすことになった。
その中でレインフォレストとライスフィールドに会い、色々な話をすることができた。
特に、兄からかけられた『その(ライスフィールドの弟という)肩書きのおかげで生き残れるのなら、それでいいじゃないか。』という言葉は心に大きく響いた。
そのおかげで、それまで嫌な方向に考えることが多かった肩書きを前向きに考えられるようになった。
しかし、兄がGⅠ3勝を含めて重賞6勝、妹も重賞を制覇という実績があるのに対し、自分は条件馬に留まっている悔しさは消えてはいなかった。
そんな中、2月中旬には脚も良くなり、復帰への手はずは整いつつあった。
自分としては何とかもう一度活躍したいという思いを募らせている中、待っていたのは競走馬としての戦力外通告だった。
それを聞いた時、パーシモンは頭が真っ白になり、何も考えられない状態になってしまった。
彼はこれまで厩舎で多くの馬が戦力外になるのを見てきただけに、一体これからどうなってしまうんだという不安に襲われた。
幸い自分は野々森牧場に引き取られることになったため、生き延びることができたものの、名誉挽回のチャンスがついえてしまったことが気になっていた。
『そういうわけなんだ。幸い僕は助かったけれど、こんな形で引退したくはなかったよ。』
『でも助かったんならそれでいいじゃない。多くの馬達にとって戦力外というのはとても重い現実なんだから。』
『それは分かっているよ。僕自身、入れ替わりの激しい名門厩舎にいた時、数多くの哀れな馬達を見てきたからさ。』
パーシモン自身も現実は知っているだけに、助かったことが喜ばしいのは分かっていたが、やはり心の中には晴れない気持ちがあった。
カヤノキはそれをしっかりと受け止めた上で、優しい言葉を送り続けた。
それから1週間後、パーシモンがライスフィールドとカヤノキと一緒に過ごしていると、牧場にある一報が入った。
それはテレビ番組の企画で、馬と人間が競争をしたらどちらが勝てるかというものだった。
もちろん走る距離は同じではなく、それぞれが30秒で走れる距離を計算した上で競うもので、それを番組の出演者が予想するものだった。
その時、どの馬に出演してもらおうかという話になり、番組スタッフが根室那覇男さんにこの企画を持ちかけてきた。
「それならパーシモンはどうでしょう。兄はあのライスフィールドですから話題性もあると思いますよ。」
彼はそう言って現役を引退したばかりのパーシモンを勧めてきた。
「なるほど、ライスフィールドの弟ですか。それなら注目も集まりそうですね。」
番組スタッフもそれを聞いて納得し、野々森牧場に連絡をして蓉子達と交渉をした。
「それはいいですね。分かりました。喜んでパーシモンをお貸しすることにしましょう。その企画が終わったらまた牧場に戻してくださいね。」
蓉子は2つ返事で同意した。
「パーシモンがテレビに出られるんだ。すごーい。」
「これでパーシモンも有名になれるな。」
「パーシモンがんばれぇー!」
葉月、太郎、米太もこの企画に大賛成だった。
『パーシモン、あなたが望んでいた名誉挽回のチャンスがやってきましたね。』
『行ってこい、弟よ。そして今までに積もり積もった悔しさを晴らしてこい。』
カヤノキとライスフィールドは喜びながらそう声をかけた。
『分かった、オカン、アニキ。絶対に有名になってやるから、応援してくれよ。』
パーシモンはそう言うと、闘志をみなぎらせながら牧場を後にしていった。
それと並行して、番組スタッフはパーシモンに乗る人として、久矢大道君に白羽の矢を立てた。
彼は去年の有馬記念での騎乗を最後に引退して以降、妻の咲さんが経営する英会話スクールでスタッフとして働いていた。
この話を聞いた当初、彼はもう馬に乗ることに未練はないとして難色を示していた。
しかしカヤノキの仔に乗れるということが分かると、次第に気持ちが変化していき、咲さんに相談を持ちかけた。
「ふーん、そうなの。私としては大道が乗りたいのならgreen light(※ゴーサインのことです)を出してあげるわよ。ただし留守にしている間の賃金は差し引いておくから、しっかりと出演料を稼いできなさいね。」
彼女は少し厳し目の言い方で出演をOKしてくれた。
「ありがとう、サキ。絶対に勝ってくるから、応援してくれよ。」
久矢君はうれしそうな表情で咲さんにお礼を言った。
3週間後、野々森牧場の人達と久矢夫妻はテレビで放映された番組に釘付けになった。
結果はきわどい差で馬の勝利となった。
「やったーーっ!パーシモンが勝ったーっ!」
「これでパーシモンにも新たな勲章ができましたね。」
「久矢君もお見事っ!ナイス騎乗だ。」
葉月、蓉子、太郎はテレビの前で大喜びだった。
「Great job, Hiromichi!You did it!」
事前に結果を知らされていなかった咲さんは、レースを見た後、久矢君に向かってウィンクをし、さらに右手の親指を上に立てながらそう言った。
「ありがとう、サキ。それでね、実はこの収録の後、負けた人がもう一度戦いたいって言ってきたんだ。」
「Oh, did he?」
「そう。だからまたテレビ出演で留守にするかもしれないけれど、いいかな?」
「OK, I got it. Do your best once again when the opportunity comes.」
「分かった。」
久矢君と咲さんはお互いニッコリと笑いながら会話をしていた。
放送後、野々森牧場にはパーシモン目当てのお客さんがやってくるようになった。
これまではライスフィールド目当ての人達がほとんどだったが、今ではパーシモンにも注目が集まるようになり、同馬の表情は目に見えて明るくなった。
そして競馬ファンの人達との記念撮影にも気軽に応じ、牧場でも人気者になることができた。
その後、パーシモンは普段は牧場で過ごし、何かのイベント出演の依頼が来た時に出かけるという生活を送ることになった。
同馬は2回目の出演以降、テレビカメラの前に立つとカメラ目線で笑いながら『オカン、アニキ、見てる?』と言っているかのような仕草を見せるようになった。
その光景が視聴者にもウケたため、パーシモンの人気はますます高まっていった。
4月。ライスフィールドが定期健診のために、そしてパーシモンが3度目のテレビ出演のために牧場を空けているある日、野々森牧場に1頭の栗毛の馬がやってきた。
カヤノキはその馬に気づくと脚を止め、『こんにちは。どなた様ですか?』と声をかけた。
『こんにちは。私、フロントラインと申します。あの…、あなたは?』
『私はカヤノキ。ライスフィールドの母親と言った方が分かりやすいかもしれませんね。』
『えっ?じゃあ、あなたがフィールド君の母親なんですか?あっ、あの、初めまして。』
『こちらこそ初めまして。あなたがスペースバイウェイの娘さんなんですね。』
『はい、そうです。あの、この度はフィールド君が大変お世話になりました。』
『こちらこそ。フィールドは牧場に帰ってきた時、よくあなたのことを話してくれましたよ。特に2歳時はあなたの心を開かせたいという一心で、私に色々聞いてきましたから。』
『そうでしょうね。私も彼が「母さんが言っていたんだ。」と口ぐせのように言うのを聞いていましたから。ただ、私がなかなか心を開けなかったせいで、彼には本当に迷惑をかけました。さらに、私が引退する時には彼に会ったらますます別れにくくなるからと勝手に思ってしまい、何も言わずにいなくなってしまいました。悪気はなかったんですが、あれは本当に反省しています。本当に申し訳なかったです。』
フロントラインは過去に自分がやってきたことを思い出し、恐縮しきりだった。
そんな中、カヤノキは終始笑顔で接していた。
そしてフロントラインは会話が一区切りつくと、『あの、本題に入りますが、フィールド君はいますか?』と、質問をした。
『フィールドは今、治療に行っていて留守にしていますよ。まだ脚が完治していないから。』
『そうだったんですね。あの、助かったとは聞いているんですが、重症だったんですね。』
『そう。お医者さんも一時はだめかもと思っていたくらいだから。でも、ある日を境に奇跡的な回復力を見せて生還し、彼らを驚かせましたけれどね。』
『そう…ですか…。』
フロントラインはそう言ったきり、それ以上は何も言えなくなり、うつむきながら黙り込んでしまった。
『まあとにかく、あなたと私がこうやって会えたのも何かの縁ですから、馬房の中へどうぞ。2頭でゆっくりと色々話をしましょう。』
カヤノキは何とか雰囲気を変えようと、そのように切り出した。
『そうですね。では、お言葉に甘えて。』
フロントラインは恐縮しながらも、カヤノキに続いて馬房に入っていった。
そしてお互いの思い出話をしながら、2頭で水入らずの時間を過ごしていた。
そうしているうちにフロントラインの心は次第に和らいでいき、少しずつ表情に明るさが戻っていった。
翌日。定期健診を終えたライスフィールドが野々森牧場に戻ってきた。
すると、彼はカヤノキから今牧場にフロントラインが来ていること、なぜ彼女がここに来たのかという理由、そして彼女が引退後にどんな気持ちで日々を過ごしていたのかなどを告げられた。
そして彼女を恨んでいないか、本当に会う意思があるのかを確認した。
『大丈夫です。会います。一時は僕も先輩のことを必死に忘れようとしたことがあるけれど、レインのおかげで立ち直れたし、それに、やっぱり僕、先輩のおかげであれだけ頑張ることができたから。』
『そう。それなら私、今から彼女のところに行くわね。そして今フィールドが言ったことを伝えて、彼女から同意が得られれば一緒に戻ってくるから、ここで待っていなさい。』
『はい。』
ライスフィールドがそう答えると、カヤノキはその場を離れていった。
しばらくすると、カヤノキがフロントラインを連れてライスフィールドのところに戻ってきた。
『先輩。』
『フィールド君。』
2頭は久しぶりの再会を喜びたかったが、それ以降、顔を赤らめるばかりで何を言えばいいのか分からなくなってしまった。
『さあ、フィールド。男なら自分の気持ちに素直になりなさい。そして気持ちをはっきりと口に出して言いなさい。』
カヤノキはそう言って、事態を打開させようとした。
『はい、母さん。あの…、フロントライン先輩。僕、これまで色々あったけれど…、僕は恨んでいません。あの、えっと…、僕…、だから…、先輩に会えてうれしいです…。』
『そう。』
『だから、その…。』
『その、何?』
『えっ?あ、その……、はいっ!えっと…、僕と…、あの…、僕と結婚してくれますか?』
ライスフィールドは顔を真っ赤にしながらどうにか言い切った。
『本当にいいの?』
『はい。お願いします!』
『分かりました。私もフィールド君とそういう関係になれたらいいなと思っていたから。フィールド君、よろしくね。』
フロントラインは優しい表情で承諾をしてくれた。
『やったあっ!って、いてててっ。』
ライスフィールドはガッツポーズをしながら喜ぼうとしたら、途端に痛めている脚に痛みが走ったため、顔をゆがませるハメになってしまった。
『フィールド君、大丈夫?せっかくいい雰囲気だったのに壊さないでよ。でも、まじめにやっていて何かそそっかしいところが私は好きなんだけれどね。』
フロントラインは少し苦笑いをしながらも、願いがかなったことを素直に喜んでいた。
『先輩、ごめんなさい。でも、僕も先輩がそうやっていじってくれるところが好きです。』
ライスフィールドも負けじと返しながら、やはり素直に喜んでいた。
2頭が笑いながら見つめあっている光景を、カヤノキもうれしそうに見つめていた。
(スペースバイウェイ、見ていますか?親友だった私達の仔達が、今まさに結婚しようとしていますよ。どうか遠い世界から祝福してください。)
そう思いながら、彼女は白い雲の浮かんだ青空を見上げていた。




