母に打ち明けた思い
2月。ライスフィールドは、約1年ぶりに生まれ故郷の野々森牧場に戻り、母親のカヤノキと再会を果たすことができた。
これまでの再会は休養のための一時的なものだったが、すでに現役を引退したため、これからは母親とずっと一緒に過ごせることになった。
『母さん、ただいま…。』
『お帰り、フィールド。話は聞いていますよ。よく無事で帰ってきてくれましたね。』
『うん…、何とかね…。』
『相当疲れているみたいだけれど、怪我はどう?痛くない?』
『まだ痛い。とりあえず2週間に1度は通院して経過観察が必要だって言われたよ。』
『そう。大変なことも色々あったようだけれど、もう大丈夫よ。これからは母さんとずっと一緒だから。』
『そうだね…。』
カヤノキは肉体的にも精神的にもボロボロになってしまった息子に対し、優しく声をかけ続けた。
母親の優しさに包まれたライスフィールドは、徐々に元気を取り戻していった。
その中で、彼は母親に去年の自分の心境について打ち明けた。
去年の春、フロントラインが突然自分の前から姿を消してしまい、彼女に裏切られたような気持ちになって一時は荒れすさんでしまったこと。
天皇賞(春)では僅差で届かず、ライバルのソングオブリベラにGⅠの勝ち数で追い越されてしまったこと。
安田記念の後、これまで経験したことのない程の倦怠感に襲われたこと。
夏場以降、休んでも休んでも疲れが取れず、さらにはレースがどんどん怖くなっていったこと。
天皇賞(秋)の時には競馬場に向かう時に脚が震え、逃げ出したい気持ちになりながら、それでも気力を振り絞って走り切ったこと。
その後はレコードタイムで激走した反動で体が動かなくなり、もはや理想とは程遠い走りしかできなくなったこと。
それでも「あともう1回だから」という理由で走らされ、もはや気持ちがバラバラで精神的に限界だったこと。
どうして人間はこんなに自分を苦しめるんだ。もう嫌だ。もう走りたくない。早く自由の身になりたいと思いながら、それを誰にも打ち明けられずに1頭で悩んでいたこと。
最後にはもし脚が折れたら、明日から走らなくて良くなるんだとまで考えていたことを打ち明けた。
『もう12月の時点では自分で自分をコントロールすることができなかった。厩舎で過ごすことに耐えきれなかった。人間から「頑張れ」って言われただけで背筋が寒くなったし、体が震えだした。心の中では連日「助けて」って叫んでいた。その後、本当に脚が折れて死ぬ程辛い思いをしたけれど、とにかく引退した以上はもう頑張らなくていいんだ。やっと自由の身になれた。本当にそう思っているよ…。』
『そう…。そこまで追い詰められていたのね。』
『うん…。』
ライスフィールドは今まで誰にも打ち明けることができず、ずっと心の中にしまいこんでいた苦しみを隠すことなく打ち明けた。
そうするうちに、彼の表情は徐々に穏やかになっていった。
カヤノキはそんな自分の仔の姿を嬉しそうに見つめていた。
そんな中、ライスフィールドは死の淵をさまよっていた時に体験したことを打ち明けるべきかどうか迷っていた。
(こんなこと言ったって誰も信じてはくれないだろう…。でも母さんならもしかして…。)
そう思う日々が何日か続いた後、彼は意を決して打ち明けてみた。
『フィールドはその場所でスペースバイウェイに会ってきたのね。』
話を聞いたカヤノキはまさかというような表情もせず、至って冷静だった。
『えっ?ってことは母さんも誰かと会ってきたの?』
『そう。私が3歳秋に大怪我をした時にはご先祖様に会いましたよ。』
『ご先祖様と?』
『はい。私はあの時、この脚をもう少し痛めつければもう苦しまなくていいと考えていて、生きることさえもあきらめようかと思っていました。でもそれを打ち明けたら「お前は将来凄いことを成し遂げるから、絶対に生きのびなさい。」って言われたんですよ。それが何を意味するのか分からなかったけれど、私はGⅠ馬の母親になれる逸材だということだったのね。』
『まさか…。嘘みたい。』
ライスフィールドは逆に母親から思いもしないようなことを告げられ、にわかには信じられずにいた。
『これを話すのはフィールドが初めてですよ。私も誰も信じてくれるとは思っていなかったから。』
『そうか。母さんも似たような経験をしていたのか。だったら、これを打ち明けても信じてくれるかな?』
『何ですか?』
母親からそう言われたライスフィールドは、意を決してマリーゴールドにも会ったことを話した。
そして自分が助かった代わりにマリーゴールドの魂は消滅してしまったかもしれないことを、恐る恐る打ち明けた。
『母さん…、もしスペースバイウェイさんが言っていたことが本当なら、もう2度とマリーには会えないんだ…。たとえ母さんが人生を全うした後に天国に行っても、マリーには未来永劫会えないんだ…。僕…、何てことをしてしまったんだろう…。僕が…痛みに耐えきれなくなりそうになったせいで…。』
そう話していくうちにライスフィールドの声はどんどん震えていき、動揺が鎮まらなくなった。
『母さん、本当にごめんなさい…。僕は生き残れたけれど…、マリーが…。』
『フィールド、それは違いますよ。』
カヤノキは優しい声でそう言い、泣きそうになったライスフィールドをなだめた。
『だって、マリーの魂は…。』
『大丈夫。彼女の魂は消滅したのではありません。あなたに乗り移ったのですよ。』
『えっ?僕に?』
『そう。マリーはそうすることでフィールドを救い、さらにはあなたの体を利用して私のもとに戻ってきてくれたんですよ。』
『そんなことって…。』
ライスフィールドは今までスペースバイウェイからの宣告を信じ切っていただけに、母親が言ったことが信じられなかった。
そんな中、カヤノキはライスフィールドの体に顔を当て、そっと目を閉じた。
『マリー、お帰りなさい。お母さんに会いたかったでしょう。私も会いたかったですよ。本当に、帰ってきてくれてありがとう。これからはずっと一緒に暮らせますね。どうかフィールドの心の中で、生き続けてくださいね。』
カヤノキが優しく語りかけるのを聞いて、ライスフィールドは少しずつ自責の念から救われていった。
翌日。すっかり冷静さを取り戻したライスフィールドは、遠目からマリーゴールドの花が供えられている場所をじっと見つめていた。
(マリー、本当に僕を助けてくれたのかな?本当に君の魂は消滅したんじゃなくて、僕に乗り移ったのかな?)
彼は何度もそう問いかけた。だが、いくらそうしたところで返事はなく、答は出てこなかった。
(正直、何が本当なのかは分からないけれど、母さんの気持ちが前向きになったんだから、僕もそう信じることにするよ。本当に、助けてくれてありがとう。この命、絶対に無駄にはしないから。どうか、僕や母さんを見守っていてくれ。そしてパーシモンやレインフォレストも無事でいられるように見守っていてくれ。)
ライスフィールドは弟や妹のことを気にかけながら、自分の馬房に戻っていった。




