表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
78/85

みんなの願い事

(僕は一体どうすればいいんだろう…。)

 世間では有馬記念が終わり、今年から新たにGⅠに昇格したホープフルSも終わり、もうすぐ新年を迎えようとしている中、ライスフィールドの心はさまよい続けていた。

(来た道を引き返せば現世に戻れる。でも本当に辛い、闘病生活の日々が待っている。このまま前進し続ければ痛みからは解放される。もしかしたら、幼くして亡くなったマリーゴールドに会えるかもしれない。でも、もう2度と引き返すことはできなくなる。本当に、どうすればいいんだろう…。)

 彼は来る日もそう考えていた。


 そんなある日、彼はふと自分の名前を呼ぶ牝馬の声を聞いた。

『誰ですか?誰かいるんですか?』

 ライスフィールドは驚いたように顔を上げ、声がした方を見た。

 すると1頭の牝馬がこちらに向かってゆっくりと歩きながら姿を現した。

『あなたですか?僕を呼んだのは。』

『はい、そうです。』

『あなたは誰ですか?』

『私はスペースバイウェイ。あなたの母、カヤノキの無二の親友であり、フロントラインの母親です。』

『フロントライン先輩の?ということは僕はもう一線を越えてしまったんですか?』

『いいえ。あなたは今、その境目にいます。現世で言うなら死の淵をさまようと言ったところでしょう。ちょうど、カヤノキも過去にこの領域に来たことがあるのですよ。』

『母さんが?ということは、母さんがまだ現役の競走馬だった時に?』

『はい。彼女が3歳の9月の時です。奇しくもあなたと同じく、レース前の最終追い切りのためにウッドチップコースを走っていた時に、あなたと同じ場所で故障を発生しました。一時は命さえも脅かされる状況になりましたが、彼女はどうにか一命を取り留めることができました。そして生き延びた結果、あなたは生を受けることができたんですよ。』

『はい。その話は幼い頃、母さんから何度も聞いたことがあるので、よく知っています。スペースバイウェイさん、オーバーアゲインさん、ヘクターノアさん達にずいぶん励まされたって。彼らがいなかったら、自分は生きることを放棄していただろうって言っていました。だから僕、厩舎に所属したばかりの頃、オーバーアゲインさんに結構感謝しましたし、フロントライン先輩にもそのエピソードを話したことがあります。』

『そうでしたね。その様子は私も見ていましたよ。』

『えっ?スペースバイウェイさんもですか?』

『はい。思えば私は自分が病気に打ち勝つことができなかったせいでフロントラインの世話を十分にすることができず、結果的に娘の心を閉ざしてしまい、荒れすさんだ馬にしてしまいました。あの時は本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。』

『そうですか。先輩も色々辛い思いをしていたそうですが、バイウェイさんも同じだったんですね。』

『はい。でもあなたは彼女の心を開かせようと、辛抱強く会話を重ねてくれました。何を言われてもあきらめることなくアプローチを重ねた結果、オーバーアゲインでさえできなかったことを成し遂げてくれました。ライスフィールド君。娘の心を開いてくれて、本当にありがとう。』

 スペースバイウェイはそう言いながら、深々と頭を下げた。

『どういたしまして。僕はただ、母さんを助けてくれた恩返しをしたいと思っていたから。スペースバイウェイさんが母さんの心を開いたのなら、僕にもできると思って、スペースバイウェイさんを見習っていただけです。バイウェイさん無しにはできませんでした。だから、こちらこそ、ありがとうございます。』

 ライスフィールドは照れながら頭を下げた。

 そうやって会話をしているうちに、ライスフィールドとスペースバイウェイはすっかり気が合い、まるで親子水入らずのような時間を過ごしていた。


 それからどれだけ時間が経ったのだろう。ふと、2頭の背後から『ママ。』という幼い馬の声が聞こえてきた。

 ライスフィールドにとっては聞いたこともない声だったため、彼は(誰だろう?)と思っていると、傍らからは

『えっ?マリー!?』

 と言う声がした。

『あっ、ママだ。やっと見つけた。』

『どうしてここまで来たの?おとなしく向こうで待っていなさいと言ったはずでしょ!』

『だって…、寂しかったから…。』

 マリーと呼ばれた仔馬は、しゅんとしながら答えた。

 一方、ライスフィールドはこの状況が理解できず、ただきょとんとするばかりだった。

 スペースバイウェイはやがて気持ちが落ち着くと、この馬はマリーゴールドで、カヤノキの4頭目の仔であり、ライスフィールドにとっては1度も顔を見ることなく生き別れになってしまった自分の妹であること。そして今は自分が母親代わりになり、マリーゴールドがいつの日か現世に生まれ変われる日まで大事に面倒を見ていることを教えてくれた。

『そうか、マリー。向こうの世界で幸せに過ごしているんだね。』

『うん、お兄ちゃん。私のことは心配しないで。それからね、私、お兄ちゃんに一目会うことができてうれしかった。』

『僕もだよ。』

 ライスフィールドは6歳、一方のマリーゴールドは生後数ヵ月の姿をしているため、見た目的にはとても兄妹には見えなかったが、それでも2頭は微笑みを浮かべながらお互いを見つめあっていた。


 ライスフィールドにとって、スペースバイウェイとマリーゴールドに会えたことはある意味幸せなことだった。

 できることならこのまま時間が止まってほしいとさえ、彼は考えていた。

 しかしこの世界においても、時間は容赦なく過ぎていった。

 最初はうれしそうだったスペースバイウェイも、段々表情は変わっていった。

『さあ、ライスフィールド君。私達はいつまでもこの境界の領域に居続けることはできません。もうすぐ生きるかどうかの決断の時がやってきます。あなたはどうするつもりですか?』

 彼女は真剣な表情をしながら問いかけた。

『できることなら生き延びたいです。母さんだってできたのなら、自分にもできるって思っていますから。でも、またあの痛みと闘うとなると、正直、怖くて脚がすくみそうなんです。』

 ライスフィールドはどうしても最終的な結論を下すことができず、そう言うのが精いっぱいだった。

『そうですか。では、現世にいる馬達があなたのことをどう思っているか、それをお見せしてもいいですか?』

『見せるって、そんなことができるんですか?スペースバイウェイさん。』

『はい。』

 スペースバイウェイはそう言うと、早速その様子を映し出してくれた。


(カヤノキ)『お願いします…。どうか私の息子をお助けください。マリーゴールドに続いて、ライスフィールドまで亡くなったら、私はもう生きていけそうにありません…。もし命を助けるために、誰かがいけにえになる必要があるのでしたら、私が喜んで名乗り出ます。私の命はどうなっても構いません。どうか、息子の命だけはお助けください…。』


(パーシモン)『アニキ。今まで僕はライスフィールドの弟という肩書を前向きに考えられずにいた。このせいで嫌な思いを何度もしたし、正直、アニキを恨んだこともあった。でも、アニキだって、色んな期待やプレッシャー背負いながら、必死で走り続けていたんだよな。それを理解しようとせずに、今まで勝手なことを言ってすまなかった。本当にごめん。』


(レインフォレスト)『お兄ちゃん。私、ライスフィールドの妹ということで肩身の狭い思いもしたけれど、それでもお兄ちゃんは一番身近な目標だった。私もお兄ちゃんのような立派な競走馬になる。私が大きなレースを走る姿を見てほしいの。だから絶対に生き延びてね。死んじゃだめだからね。約束よ。』


(フロントライン)『フィールド君…。今まで勝手なことをしてしまって本当にごめんなさい。私が母のことで心を開けず、これまで何度もひどいことを言ってしまった。勝手に目の前からいなくなったりもした。だけど、今はそれらを本当に後悔しているの。できることなら謝りたい。もしそれができるのならフィールド君にどんなに怒られたっていい。どうか死なないで。お母さん、彼を助けて。お願い…。』


(ソングオブリベラ)『ライス、お前とは本当に親友同士だった。でも、秋天でお前にグランドスラムを阻まれた時には、悔しさのあまりに縁を切ろうとまで思った。実際、その後しばらくの間、お前とは口も聞かなかった。あいさつをされても無視していた。それでもお前は優しく接してくれた。お前の心の広さには負けたよ。僕が間違っていた。本当にすまない。許してくれ。』


(ファントムブレイン)『ライスフィールド。君は関東勢に希望をもたらしてくれた馬だ。そして僕の時代を変えさせてくれた馬だ。僕を倒した秋天での走り、実に見事だった。負けたのは正直悔しかったが、後を託せる馬が出てきたと思い、少しうれしくもなった。そんな君がみんなに悲しみを届けることになってしまったら、本当に残念だ。ぜひとも喜びを届けてほしい。』


(ライスパディー)『フィールド。僕は今、障害で新しい可能性を見つけ出したんだ。まだ障害重賞すら勝っていない状態で言うのもなんだけれど、段々手応えはつかんできたよ。必ずいつか障害GⅠを勝ち、君と肩を並べる存在になってみせる。その姿は、どうか現実の世界で直接見てほしい。間違っても天国から見るんじゃないぞ。』


 他にも、パースピレーションやフシチョウ、ホタルブクロ、トランクゼウスなど、今までしのぎを削ってきた大勢のライバル馬達が自分の無事を願っていた。

(みんな…。本当に僕のことを思っていてくれたんだ…。僕はこんなにみんなから愛される存在になっていたんだ。)

 彼らの姿を見て、ライスフィールドの心は大きく揺り動かされた。

 これに応えるには痛みを乗り越え、無事に生還を果たすしかない。

 それは簡単なことではない。でもやってみるしかない。

 そう考えるうちに、ライスフィールドの心は段々決まっていった。

『スペースバイウェイさん、マリー。僕、決めました。来た道を引き返します。そしてもう一度闘病生活と真っ向から向き合ってみます。』

 そう言ったライスフィールドの心には、もはや迷いはなかった。

『分かりました。ライスフィールド君。必ずこの試練を乗り越えてくださいね。』

『お兄ちゃん、もしもの時は私が力を貸してあげるね。』

 スペースバイウェイに続いてマリーゴールドがそう言うと、スペースバイウェイの表情が変わった。

『マリー。そんなことをしたらあなたの魂は消滅してしまいますよ。そうなったら2度と現世に生まれ変わることはできなくなります。それに、いつかカヤノキやあなたのお兄さん達、そしてお姉さんが往生しても彼らと会えなくなります。当然、私とも未来永劫会えなくなりますよ。』

『大丈夫よ、ママ。ちょっと言ってみただけ。私、お兄ちゃんのこと信じているから、心配しないでね。』

『それならいいけれど…。』

 マリーゴールドの発言に驚いたスペースバイウェイは、ほっとしながらも不安げな表情を隠せなかった。

『大丈夫です、スペースバイウェイさん。自力で助かってみせます。どうか、マリーゴールドが生まれ変われる日まで、大切に面倒を見てあげてください。』

『分かりました。じゃあ、あなたの心が決まった以上、私達は元の場所に戻ることにします。必ず生還してくださいね。』

『お兄ちゃん、ファイト!』

 スペースバイウェイとマリーゴールドはそう言うと、ゆっくりと体の向きを変えて、ライスフィールドに背を向け、一緒に歩きだした。

 やがてその姿は小さくなっていき、段々と見えなくなっていった。

(さあ、僕はこれからまたケガとの闘いだ。絶対に現世で母さんやパーシモン、レインに会ってやる。フロントライン先輩にも会いたい。そのためには何があっても乗り越えなければ…。)

 ライスフィールドは高まる緊張感の中、一歩ずつ現世に通じる道を進み続けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ