Stay Alive
ライスフィールドの故障の一報が入って以降、野々森牧場の人達は相当なショックを受けていた。
さらにニュースや新聞でも大きく報道され、競馬をあまり知らない人達の間でも広く知れ渡り、大勢の人達が驚いていた。
しかし、最もショックを受けていたのは他でもない、村重厩舎の陣営だった。
あの光景を目の当たりにした後、善郎はその場で崩れ落ちるようにへたり込んでしまい、動けなくなってしまった。
そして道脇君と紅君に抱えられながら、やっとの思いでウッドチップコースを後にしていった。
調教の後、鴨宮君はライスフィールドから下馬した後、同馬が馬運車に乗って運ばれていくのを見て、近くにいた人に「死にたい…。」と言い出してしまう状況だった。
その度に周りから「シン!はやまるんじゃない!」止められていた。
善郎達が厩舎に戻った後も、動揺は収まっていなかった。
道脇君は自身も大変なショックを受けながらも、冷静沈着がモットーだったアキを見習って、何とか冷静さを保とうとした。
しかし善郎や鴨宮君達の姿を見ていると、やはり冷静ではいられず、思い切ってアキと連絡を取り、状況を説明した。
「姉さん、お願いします!どうか村重厩舎に戻ってきてください!ヨシさんが死にそうなくらい落ち込んでいるんです!このままじゃ本当に死んじゃいますよ!」
「シンもライスフィールドを故障させてしまった罪悪感で、精神的に大変な状態なんです。どうか彼らを助けてやってください!」
道脇君は必死になって電話越しにアキにお願いをし続けていた。
そんな中で、いよいよ有馬記念が行われる日がやってきた。
ライスフィールドの離脱により、当初は除外対象だったシドニーメルボルンが繰り上がりで出走権を獲得し、レースは16頭のフルゲートで行われることになった。
レースはグリーンレジェンドが先頭に立ち、クリスタルロードが2番手。シルバーサイレンスが3番手、すぐ後ろにシルバーリリー。トランクロケットは6番手。
中段にはソングオブリベラにホタルブクロ。後方にはフォークテイオー、最後方はシドニーメルボルンという展開になった。
ソングオブリベラ騎乗の久矢君はこの有馬記念が引退騎乗で、さらに1番人気に推されたため、何が何でも勝とうという気持ちだった。
半年前にホタルブクロで涙の安田記念制覇を成し遂げた弥富さんは、その後同馬を降ろされてしまい、クリスタルロードで有馬記念制覇を目指すことになっただけに、打倒ホタルブクロに燃えていた。
そのホタルブクロに乗っている網走騎手はソングオブリベラをペースメーカーにしているかのように、きっちりとマークしていた。
それぞれの騎手の思惑を背負いながら、各馬は3コーナーを回り、4コーナーを回り、最後の直線に姿を現した。
グリーンレジェンド、シルバーサイレンス、クリスタルロードが坂で失速して馬群に呑まれていく中、シルバーリリーとホタルブクロ、そしてフォークテイオーはスルスルと伸びていき、残り100mの時点で先頭争いはその3頭に絞られた。
ソングオブリベラは伸びてはいるものの、先頭争いをしている3頭と比べると伸びはいまいちで、先頭にはもはや届きそうにない状態だった。
トランクロケットは馬群に沈んでしまい、シドニーメルボルンは後方のままなかなか順位が上がらずにいた。
レースはホタルブクロが見事に先頭でゴールして有終の美を飾り、後方から猛然と追い込んだフォークテイオーが2着、シルバーリリーが3着になった。
ソングオブリベラは5着で、同馬のラストラン、さらには久矢君のラスト騎乗を勝利で飾ることはできなかった。
トランクロケットは7着、シドニーメルボルンは9着、シルバーサイレンスは10着、クリスタルロードは12着、グリーンレジェンドはシンガリの16着に終わってしまった。
ホタルブクロ鞍上の網走騎手は、先頭でゴールしてもガッツポーズ一つしなかった。
場内からは「ホタル!ホタル!」のコールが巻き起こる中でも、彼はそれが全く聞こえていないかのように冷静に引き上げ場に向かっていた。
ホタルブクロを網走騎手に取られた上に、目の前で勝たれるという光景を目の当たりにした弥富さんは、複雑な気持ちだった。
(悔しいけれど、でもホタルブクロがラストランを勝利で飾れたのは良かった。これからどんな種牡馬生活が待っているか分からないけれど、どうか幸せになってね。)
彼女はそう思いながら引き上げ場に入り、クリスタルロードから降りた。
現役最後の騎乗を勝利で飾れなかった久矢君は、涙を見せることもなく、やり切ったという表情でソングオブリベラから降りた。
そして大勢の関係者の人達に握手をしながらお礼を言っていき、最後にソングオブリベラにお辞儀をして、その現役生活にピリオドを打った。
網走騎手は勝利ジョッキーインタビューになっても笑顔一つ見せようとはしなかった。
「勝ったのはもちろん嬉しいですが、それ以上にホタルブクロが無事に競走馬生活を全うしてくれて、馬主さんの元に帰ることができるので、それが1番嬉しいです。」
彼は今年の秋華賞で勝利を上げているが、その時に乗っていた馬が次のエリザベス女王杯で故障を発生して予後不良となってしまった。
故障を完全に防ぐことはできないとはいえ、彼は未だに罪の意識を抱えていた。
さらにGⅠ制覇もその悲劇以来初めてとなるため、上記のようなコメントが出るのも無理はなかった。
それに加えて彼はライスフィールドが調教中に故障を発生したことも気にしていた。
(どうかライスフィールドには助かってほしい。活躍した馬の死はもうたくさんだ。何としても頑張ってこの危機を乗り越えてほしい。とにかく生きて帰ってきてくれ。)
彼は最終レースのハッピーエンドカップが終わって仕事が終わると、すぐにライスフィールドが治療を受けている施設に電話をし、状況を確認することにした。
そんな中、村重厩舎はあの時以来、まるで時が止まったような状況だった。
有馬記念当日にはレインフォレストがフェアウェルSに出走する予定だったが、善郎がとてもそんな心境ではなかったために回避となってしまった。
厩舎が内部崩壊してしまいそうな状況の中、アキが旦那と父親の遺影や思い出の品を持って、戻ってきてくれた。
「姉さん!本当に姉さんなんですね!」
道脇君はその姿を見るなり、驚きながらそう言った。
無理もないだろう。彼女の体は離脱前の時よりやせており、顔もやつれていたため、アキだと理解するのに少し時間がかかってしまった。
「はい、アキです。私も今まで皆さんには本当に迷惑をかけてきました。」
アキは深々と頭を下げながら謝った。
一方、道脇君は聞き覚えのある声を聞いてはっきりと本人だと確信した。
すると絶望の中に希望を見出したかのように、とても救われたような心境になった。
「姉さん、もう立ち直ったんですか?」
「いえ。未だに深い傷は抱えています。正直、泣いてばかりの日々もありました。そんな中でもヨシ達には本当に励まされました。特に秋天の時にみんなが私の持ち物を持って表彰式にのぞんでいた光景は心に残りました。正直、涙が止まらなくなる程嬉しかったです。ありがとう。」
「いえ、僕達はただ姉さんに元気になってほしかったから、ああいうことをしたまでです。」
「確かにあれは生きる希望になりました。ですが今考えれば、あの時私が厩舎に戻る決断をするべきでした。そうしていれば今回のことを未然に防ぐことができたかもしれません。本当にミチをはじめとする皆さんは迷惑をかけました。ごめんなさい。」
「姉さんは何も悪くはないです。それより、ヨシさんを何とか助けてあげてください。未だに深い傷を抱えたまま、食事ものどを通らなくなり、夜も眠れない状況なんです。」
「分かりました。早速、弟のところに案内してもらえますか?」
「はい。」
道脇君はそう言うと、アキを連れて善郎の部屋へと向かっていった。
(姉さんが戻ってきてくれたのなら、ヨシさんはもう大丈夫だろう。あとはライスフィールドだ。ライスフィールドが助かってくれれば…。)
アキが善郎に対して色々声を掛ける中、道脇君は必死でそう願い続けていた。




