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重い現実(2)

 クリスタルコンパスがまだ生きる望みを捨てずに頑張っている頃、村重厩舎では分析や作戦担当として重要な役割を担っていたアキが、介護疲れの状態に陥っている旦那の手助けのため、善郎の許可を得た上で厩舎を一時的に離れることになった。

 とはいえ、事前に家に向かうことを伝えていなかったため、旦那はアキを見ると感謝するどころか、逆に「大丈夫だって言っているのに何で戻ってきたんだ!仕事はどうするんだ!」と怒りだしてしまった。

「そりゃ戻ってきますよ。仕事も大事ですが、家族を放っておけるわけないじゃない。」

 アキはそう言って、何とか旦那の役に立とうとした。

 すると2人の言い合いを聞きつけた父親が部屋に入ってきた。そして父親はアキを見るやいなや、険しい顔をしながら「何だ、この女は!」と言いだす有様だった。

(もう私の顔を覚えていないのね…。しばらく戻ってこなかったというのはあるけれど、こうなってしまうとこちらとしても辛いわね。)

 彼女は内心ではショックを受けながらも、できることをして何とか2人のサポートをしようとした。

 しかし父親は包丁を持ちながらアキのいる部屋に押し掛けてくると

「何しに来た、この怪しい女め!ここから出ていけ!殺されたいのか!?」

 と言い出す始末だった。

(この表情は本気だ。すぐに立ち去らなければ本当に殺される!)

 アキはただならぬ雰囲気を察するや否や、荷物も持たずに大慌てで部屋と出ていき、外へと飛び出した。

(まさかこれ程の状況になってしまうなんて。これは警察に相談するしかなさそうね。)

 彼女は気持ちを落ち着けるために深呼吸をした後、旦那に電話をかけてそのことを相談した。

 しかし旦那は「頼むからそれはやめてくれ!他人に迷惑をかけたくない。」と言い出すばかりで、結局相談することはできなかった。

 なお父親は家の門を出たところでしばらく辺りをキョロキョロ見渡していたが、しばらくすると家に戻っていった。

 そして持っていた包丁でアキのカバンを切り刻み、中に入っていた荷物を役に立たなくなる程メッタ刺ししていた。

 その後、アキはもう一度家には戻ったものの、父親の横暴な態度を目の当たりにして再び身の危険を感じたため、結局家に泊まることさえできないまま、仕方なく手ぶらで家を後にしていった。


 それから1週間後。紅君が泣きたい気持ちを必死にこらえながらクリスタルコンパスの件で野々森牧場に連絡をしている頃、アキの旦那の実家では、彼が父親と無理心中を図るという痛ましい事件が起きてしまった。

 その日の朝、アキは旦那から『もう限界だ。今までありがとう。君は厩舎で幸せに過ごしてくれ。』というメールを受け取った。

 それを読んだ彼女はただならぬ気配を感じ、すぐに思いとどまるように返信をし、さらに電話も何度かかけた。

 しかし待っても待っても返事は来ず、電話も虚しく発信音が響くばかりだった。

(このままではいけない。すぐに実家に帰って助けなければ!)

 意を決したアキは、急いで善郎達に事情を話して厩舎を後にし、実家へと向かうことにした。

 時を同じくして厩舎では愛馬を1頭失ってしまい、善郎をはじめとする誰もが気持ちが沈んでいる中で、彼女は厩舎を離れていくことになった。

 しかしアキの願いもむなしく、家の中で彼女を迎えたのは変わり果てた2人の姿だった。

 彼女は「目を開けて!お願い、起きて!」と泣き叫びながら旦那と父親の体をゆすり続けた。

 しかし反応はなく、ただ現場には悲鳴のような叫び声が響くだけだった。

 その後、彼女は机の上には1通の封筒が置かれているのを見つけた。

 アキは震える手でそれを開封し、内容を確認することにした。

 そこには旦那の筆跡で、次のように書かれていた。


 アキへ

 君がこれを読んでいるということは、僕はもうこの世にいないということになりますね。

 だから、口頭で直接伝える代わりに、この書面で君に伝えたいことを伝えます。

 1年半前、父親の介護をしていた君を厩舎に送り出した後、僕は会社を辞めました。

 それ以降、僕は父親の介護に専念しながら村重厩舎を応援していました。

 ライスフィールドがオールカマーで復活勝利を挙げた時には、大喜びをしている君の姿がテレビに映し出され、僕もうれしかったです。

 さらに、天皇賞(秋)でファントムブレインの連勝を阻止する勝利を挙げた時には、会場がどよめく中、してやったりの表情をしているアキの姿が最高でした。

 しかし父親の症状は徐々に深刻になっていき、僕は精神的に追い詰められていきました。

 それでも弟達とともに頑張っている君に迷惑をかけたくないという思いから、我慢をしてきました。

 だけど、その我慢も限界でした。

 最近では自分の身に覚えのないことで父親が因縁をつけ、「お前が悪いんだ。」と毎日のように言われ、挙句は「殺すぞ!」と言いながら包丁を取り出してくるケースが出てきました。

 そのせいで夜も眠れなくなり、いつ殺されるんだろうという恐怖にも襲われるようになりました。

 さらに君も包丁で襲われそうになったことを知り、僕としては大きなショックを受けました。

 このままでは君をはじめ、第3者にも被害を及ぼしてしまうことになるため、そればかりは嫌でした。

 そして自分の中では「いっそ…」と思うようになりました。

 これまで1年半、懸命に耐えてきましたが、もう限界です。

 君が一生懸命頑張っている時に申し訳ないですが、この度覚悟を決めることにしました。

 こんな僕を、どうか許してください。

 そして君はどうか、今までどおりに厩舎で仕事をして、ライスフィールドをはじめとする馬達を幸せにしてください。

 お元気で。


 この遺書を読んだ後、アキは悲しみの底に沈みながら警察を呼んだ。

 そして警察の人達の取り調べに協力し、話せることを全て話した。

 だが、この事件はニュースで報道されたため、もし厩舎に戻れば善郎達にも多大な迷惑をかけてしまうという状況に陥った。

 結局、戻る場所を失った彼女はお通夜と葬儀を終えた後、すっかり気力を失ってしまい、誰もいなくなったその家に一人で引きこもってしまった。

 現段階では到底厩舎に復帰など考えられない状況だったが、善郎達はアキと連絡を取り続けていた。

「姉さん、賃金は今まで通り支払うので、生活に関しては心配しないでください。」

「アキさんは何も悪くありません。どうか自分を責めないでください。」

「僕達はいつでも帰りを待っています。いつまででも待つつもりです。」

「後追いだけは絶対しないでください。旦那さんも生きることを望んでいるはずです。」

 善郎、道脇君、鴨宮君、紅君はアキを励まそうと電話で懸命に声をかけ続けた。

 そして彼女が復帰してくれるまで、自分達で何とか頑張ろうと意気込んでいた。


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