劣勢の関東勢
村重君が調教師免許取得に向けて一生懸命に勉強し、1歳のライスフィールドが野々森牧場の所有馬として競走馬としての道を着実に進めている頃、競馬界は極端な西高東低の状態にあった。
GⅠレースでは関東でさえ、関西馬が出走馬のほとんどを占めており、まして中京を含む関西でのGⅠでは、出走した馬が全て関西馬になってしまうことも珍しくはなかった。
さらには関東で行われるレースでも関西馬が何頭も出走し、上位を独占してしまうといったことまで起きていた。
この状況は2~3年前から顕著になっており、馬主の人達は有力馬を次々と栗東の厩舎に預けるようになった。
有力馬でなくても、1円でも多く賞金を稼いでくれることを期待している人達は、こぞって栗東の厩舎の人達と連絡を取り、所有馬を預けてくれるように交渉をした。
そのため、多くの厩舎が上限いっぱいの馬を預かり、調教師や調教助手、厩務員の人達は忙しい日々を送っていた。
一方、関東では有力馬がなかなか来ない状況が続いてきた。
たとえそのような馬が来ても、関西で空き馬房ができればデビュー前にそちらに引き抜かれてしまうことがあった。
結果、厩舎によっては有力馬どころか馬自体が集まらずに閑古鳥が鳴いているところもあった。
「もうこの状態を変えることは不可能かもしれないな…。」
「これが未来永劫続くんだろうか…。」
「この厩舎もいつまで持つかなあ…。」
関係者の間では、そのような声が響いていた。
そんな状況はGⅠレースの勝利数にも表れており、この年の平地GⅠは、これまで21レース行われて関西馬19勝に対し、関東馬は2勝だった。
そんな中で、世間ではいよいよこの年の最後に行われるGⅠレース、有馬記念を迎えようとしていた。
レースはフルゲートとなる16頭が出走した。
その中で関東馬は3頭しかおらず、残りの13頭が関西馬だった。
注目馬は次の通りだった。
ファントムブレイン(Phantom Brain、関西馬)… 最優秀3歳牡馬の最有力。
プリマドール(Prima Doll、関西馬)… 最優秀4歳以上牝馬の最有力。
ユーアーゼア(You Are There、関西馬)… 最優秀3歳牝馬の最有力。
トランクトニージャ(Trunk Tony Jaa、関東馬)… 最優秀4歳以上牡馬の最有力。
人気はファントムブレインとプリマドールが下馬評どおり1、2番人気を争い、離れた3、4番人気にユーアーゼアとトランクトニージャがつけていた。
有馬記念当日。単勝倍率はファントムブレインが3.2倍、プリマドールが4.0倍となり、離れた3番人気にはユーアーゼア(8.6倍)が続いた。
前売りでは3番人気だったトランクトニージャは当日になるとどんどん人気を落としていき、最終的に9.4倍の4番人気になった。
ネットや競馬場にやってきた競馬ファンの間では
「関東馬はやっぱり消しだな。」
「トランクトニージャは2着だった前走(マイルCS)から一気に900m距離が長くなるし。」
「トニージャ鞍上の坂江陽八騎手は前日勝っていないからなあ。」
という声が飛び交い、それが人気を下げる結果になった。
レースは人気薄のサバイバルヒーローが先頭に立った。
有力馬4頭のうち、ユーアーゼアが6、7番手につけ、トランクトニージャが中段、ファントムブレインとプリマドールが後方3、4頭目辺りにつけ、レースは中間ペースになった。
レースはそのまま淡々と流れ、動きを見せたのは2週目の3コーナーだった。
『先頭はサバイバルヒーロー。しかし、リードが小さくなってきた。』
『後方のプリマドールとファントムブレイン、ここで外に持ち出した。』
『少し遅れてトランクトニージャも動き出した。』
アナウンサーがそのような解説をしているうちに、前と後ろの差はみるみる縮まり、団子状態になってきた。
『4コーナーの途中でサバイバルヒーローは馬群に飲まれていきそうだ。』
『さあ、いよいよ最後の直線。ここでユーアーゼアが先頭に立った!』
すでに場内からは割れんばかりの大歓声がこだましていた。
『先頭はユーアーゼア。外からトランクトニージャがやってきた!』
『さらに外にはファントムブレイン、ぐんぐん順位を上げてきた!』
『プリマドールはまだ中段!ここから届くか!?』
『残り200m!ここでトランクトニージャが先頭に立った!先頭はトランクトニージャ!』
『外からファントムブレイン!さらに外にはプリマドール、すごい脚だ!』
『残り100m!トニージャ粘る!ファントムブレインが2番手までやってきた!』
『プリマドールも来た!ファントムブレインに並びかける!』
『先頭はトランクトニージャ!ファントムブレイン!プリマドール!』
『3頭並ぶか!?並んでゴールイーーン!!』
アナウンサーの絶叫と共に、3頭はほぼタイム差無しで決勝線を駆け抜けた。
場内からは歓喜や悲鳴など、様々な声がこだました。
そしてユーアーゼアが5番手、サバイバルヒーローがシンガリでレースを終えた後、いよいよゴールシーンのリプレーが映された。
そして、トランクトニージャの鼻先が真っ先に決勝線にかかった映像を映し出した。
「うわーーーーっ!なんてこったーーーっ!」
「キャーー!当たったわ!やったやった!!」
「何とか当てた!でももうけはほとんど無しだ。」
「ぬあーーーっ!ワイドで買っておくべきだった!」
1着トランクトニージャ、2着プリマドール、3着ファントムブレインということを知ったファンの人達は大絶叫を挙げていた。
レースはそのままの順位で確定し、トランクトニージャが見事に優勝した。
同時に、関東馬は平地GⅠでの連敗を10で止めた。
鞍上の坂江騎手は勝利インタビューの時、言葉にこそ出さないものの、関東馬が勝てたことを心の中で喜んでいた。
これから調教師となって厩舎を開業する村重善郎は、その様子をテレビで見ていた。
(僕もこれから自分の馬を大レースで優勝できるように、やってやるぞ。頑張ろう!)
彼は心の中でそう言い聞かせながら自分に気合いを入れた。
しかし、この後関東勢を待ち受けていたのは、出口の見えない迷路であった。
そんな状況の中で、厳しい勝負の世界に挑まなければならないことを、善郎は知る由もなかった。