年明け以降の村重厩舎
ライスフィールドが休養している間も、村重厩舎に所属している馬達はレースに出走していた。
その中で、フロントラインは1600万条件の身ながら、中山金杯(GⅢ、中山、芝2000m)に出走した。
格上挑戦のため、斤量は50kgと少なかったが、それでも16頭立ての15番人気と、評価は低かった。
1番人気は59kgを背負ったトランクミラクルだった。
「ダービー馬がハンデGⅢに出走かい!」
「すっかりこの馬も地に落ちたわね。」
ファンの人達から心無いヤジを投げかけられたり、白い目で見られながらも、陣営はダービー以来の勝利に燃えていた。
(たとえGⅢといえども、今は勝つことが大事だ。勝てば一気に変われる可能性だってある。現に朝日杯の後1年9ヵ月勝てなかったライスフィールドは、オールカマーの勝利で一気に生まれ変わり、ファントムブレインの天皇賞4連覇を阻止した。だったらこの馬だってできるはずだ。)
鞍上の逗子一弥騎手は陣営の切なる願いをひしひしと感じ取っていた。
レースはシリコンヒルが必死に逃げ粘る中、後ろから鴨宮君騎乗のフロントラインが懸命に並びかけてきた。
しかし最後の直線入り口で、外からトランクミラクルが上記の2頭をまとめて交わし、先頭に立った。
するとその後は差をつける一方で、坂の途中ではすでにセーフティーリードをつけているような状況になった。
(よし、もういいだろう。)
逗子騎手は残り100mで手綱をしごくのを止め、あとはゴール板を通過するだけの状況になった。
結果、トランクミラクルはこれまでの不振が嘘のような走りを見せ、4馬身差で歓喜のゴールに飛び込んだ。
その後ろではフロントラインとシリコンヒルがデッドヒートを繰り広げており並んだままゴールに飛び込んでいった。
トランクミラクルの久しぶりの勝利に陣営は大喜びをしている中、2着争いは写真判定になり、鴨宮君はかたずを飲んで結果を見守った。
しばらくすると、フロントラインがハナ差でシリコンヒルに先着する知らせが舞い込み、彼は「よし。」と言いながら善郎と握手をした。
「よくやった。ミラクルがあの走りをしては勝つのは無理でも、よく2着を死守してくれた。」
「ありがとうございます。これでフロントラインはオープン入りですね。」
「そうだな。やっとうちの厩舎でライスフィールドに続いて2頭目の平地オープン馬を輩出したぞ。」
「はい。少しは一発屋というイメージを払拭できましたね。」
2人には敗れた悔しさなどみじんもなく、むしろ15番人気で2着になったことを喜んでいた。
その直後に行われた1000万下ではライスパディーが出走した。
フロントラインの勢いのまま、このレースに臨んでいった鴨宮君は、見事に差し切り勝ちを収め、1600万下への昇級を果たした。
「シン、よくやった!正月から幸先いいぞ!」
「ヨシさん、ありがとうございます。」
2人は喜びながらハイタッチを交わした。そして陣営は満面の笑みを浮かべながら今年最初の記念撮影に臨んでいった。
その週末にはチェンジザワールドやクリスタルコンパスも続々とレースに臨んでいったものの、勝つことはできなかった。
だが、ライスフィールドが去年のオールカマーと天皇賞(秋)を勝ったことがいい宣伝効果となり、厩舎にはすでに何頭もの競走馬の預託依頼が舞い込んできた。
「今年は十分な数の競走馬が来てくれそうですね。」
「そうですね。去年と比べれば本当にありがたいです。」
「それもこれも、ライスフィールドのおかげです。」
アキ、道脇君、紅君は去年のみじめな状況を知っているだけに、みんなほっとした表情を浮かべていた。
しかし活躍馬が出なければ他の厩舎に引き抜かれたり、翌年の預託数が激減してしまうことも有りうるため、彼らはすぐに表情を引き締めていた。
2月。フロントラインは東京競馬場で東京新聞杯(GⅢ)に出走した。
人気は14頭立ての9番人気で、人気薄ではあったが、前走より評価は上昇していた。
しかしソルジャーズレストなど、重賞戦線で実績を残している有力馬にはとても歯が立たず、結果は12着だった。
「皆さん、すみません。とても太刀打ちができませんでした。」
悔しそうな表情を浮かべる鴨宮君に対し、善郎、アキをはじめとする厩舎の陣営や伸郎、ケイ子をはじめとする道脇牧場の陣営に悲壮感はなかった。
だがレース後、善郎と伸郎はフロントラインのこれからについての話を始めた。
「ノブさん、この馬はすでに6歳ですし、しかもオープンクラスではレベルが高すぎる気がするのですが。」
「ですね。こちらとしてもこの馬がオープンクラスにたどり着いただけでもすごいことだと思っているくらいですから。」
「では、フロントラインはもうすぐ繁殖入りさせるつもりなんでしょうか。」
「はい。すでに従業員の井王鉄二君には種牡馬探しを依頼しています。」
「そうですか。覚悟はしていましたが、フロントラインが引退すると寂しくなりますね。」
「でもあの馬に仔ができたら、ぜひお宅の厩舎に預託したいと思っています。よろしいでしょうか?」
「ぜひお願いします。」
2人はそのような話し合いを重ねて、競馬場を後にしていった。
厩舎に戻ったフロントラインは道脇君やアキ、紅君が神妙な表情をしながら
「今までご苦労様。本当によくやってくれた。」
「そろそろ引退レースを考えているところよ。」
「厩舎の馬達をよくまとめてくれたな。」
と言うのを聞く機会が出てくるようになった。
(そうか。もうすぐ私は引退するんだ。)
引退。それはライスフィールドと離れ離れになることを意味する。
せっかく自分の閉ざされた心を開いてくれて、誰よりも一途に自分のことを思い続けてくれた1歳年下のボーイフレンドにもう会えなくなってしまう。
まだ放牧中の彼は、そのようなことを知る由もないだけに、このことをどう伝えればいいのか。
フロントラインの心には寂しさに加えて、別れの不安も湧いてきた。
その不安はライスフィールドが厩舎に戻ってからも続いていた。
彼女はライスフィールドの前では明るくふるまっていたものの、ある日、レインフォレストに内緒で自身の引退が近いことを打ち明けた。
『ええっ?お姉ちゃん、引退しちゃうの?』
『しっ!声が大きい!フィールド君に聞かれたらどうするの?』
『あっ、ごめんなさい。でもお姉ちゃんが引退すると寂しいことになるね。』
『そう。皆と別れるのは辛いけれど、特にフィールド君と別れるのが私、怖いの。もし打ち明けたら彼は泣いて引き留めてきそうな気がするし。』
『お兄ちゃんだったらそうなるかもしれないわね。すごくお姉ちゃん一筋だったから。』
『そうなの。今まではフィールド君と一緒にいるのが楽しかったけれど、今は不安の方が込み上げてきてしまって。この気持ちをどう整理したらいいのか、分からなくて…。』
『……。』
『ごめんね、レインにこんなこと話してしまって。でも私は間違いなく近いうちに引退することになるから、私がいなくなったら、君のお兄さんを支えてあげてね。彼は自分一頭だけでは絶対に勝てないと思うから。』
『えっ?私が?』
『お願い。レインしかいないの。』
『そんな…。』
ある日突然重い現実を突き付けられてしまったレインフォレストは、動揺の色を隠せなくなってしまった。
彼女はそんなモヤモヤを抱えたまま、兄の表情を見つめることになった。
ライスフィールドの復帰戦は2月の段階ではまだ決まっていなかった。
これは、これまでGⅡだった産経大阪杯が今年から「大阪杯」という名前のGⅠレースに昇格したことも影響していた。
「これは迷うなあ…。欲を言えば大阪杯から天皇賞(春)に向かいたいところなんだけれどな…。」
「確かにそう考えたくもなりますが、中3週ですし、距離も2000m→3200mですからね。」
「2000mの秋天を勝っているライスフィールドとしては、ぜひ大阪杯に出してみたいんだけれど。」
「それだとステップレースを使うことなくぶっつけ本番になってしまいますから、きついですね。」
善郎、紅君、鴨宮君、道脇君は新たな選択肢が広がったことで、かえって頭を悩ませることになった。
(うーん、パースピレーションは大阪杯と春天を両方狙うようね。ソングオブリベラは日経賞から春天、トランクロケットは大阪杯狙いで春天には行かない。こうなりそうね。大阪杯は新しいGⅠだから傾向が読みづらいけれど、とりあえず中山記念に出る予定の馬に注目しておこう。)
アキは善郎達への情報提供のために、他陣営の動向を事細かに分析していた。
一方、ライスフィールドが現役を続行することを蓉子は少し複雑な目で見つめていた。
(GⅠを2勝してから、種牡馬としての交渉は色々と重ねてきたけれど、生産者達の意見は厳しかった。小柄とか、中3週が使えないとか、故障がちだとか色々厳しいことを言われてしまった。これを跳ね返すためには、もう1年現役を続けるしかない。とにかく勝ってほしい。)
彼女はこちらの設定した料金ではシンジケートが成立しなかった悔しさをひしひしと感じていた。
そして大阪杯でも天皇賞(春)でもいいからとにかくGⅠ3勝目を挙げて、種牡馬としての明るい未来を切り開きたいと思い続けていた。




