マリーゴールドと呼ばれた馬
それは8ヶ月前のある日のことだった。
自身4頭目の仔を身ごもっていたカヤノキは、4月にメス馬を出産することができた。
しかし産まれてきた仔は体が弱く、常に病気と隣り合わせの状態だった。
カヤノキは自分の仔の様子がおかしいことに気付いたが、何もしてあげることができず、ただその場でオロオロするばかりだった。
一方、仔馬の方はどうにか立ち上がると、母親に甘えようとしたが、しばらくすると再び転んでしまい、その度にまた立ち上がろうとすることの繰り返しだった。
カヤノキはどうにか我が仔を元気付けようと声をかけ続けていた。
それを受けて、仔馬は最終的にどうにか立ち上がることができ、母親からミルクをもらって少しずつ成長することができた。
とはいえ、病気と隣り合わせの状態であることは変わらず、仔馬は度々通院のために牧場を離れることがあった。
(その頃にライスフィールドが短期放牧に来たが、たまたま牧場を離れていたため、その仔に会うことなく厩舎に戻っていった。)
その後、仔馬は少しずつ成長こそしていったものの、体がかなり小さく、とても将来競走馬になれそうには見えなかった。
もし牧場の経営が苦しい状況だったらその時点で馬を戦力外にしてしまっただろう。
だが、ライスフィールドが稼いだ賞金のおかげで資金面での問題は解決されていたため、蓉子達はそのまま育てることにした。
だが8月のある日、仔馬が再び病気になり、しかも脚に故障を発生してしまい、その場にバタリと倒れこんでしまった。
事態に気づいた牧場のスタッフはすぐに蓉子達に報告し、さらには獣医を呼んだ。
診察の結果は、この馬は体が弱いだけでなく骨も弱いため、脚が自分の体重に耐え切れなくなって骨折したということだった。
さらにこの獣医さんが言うには、手術をしても失敗すればその時点で予後不良、たとえ成功してもいつかはまた同じようなことが起きるだろうという宣告せざるを得なかった。
結果、産まれてきた仔はわずか5ヵ月で尊いその生涯を終えることになってしまった。
あまりにも残酷な現実を突き付けられたカヤノキはショックのあまり、深い悲しみに打ちひしがれてしまった。
その悲しみは牧場のスタッフ達も同じだった。
特に葉月は自分の子供を失った時のような深い悲しみに打ちひしがれてしまい、蓉子が懸命に慰めている状況だった。
一方、太郎は感情をコントロールすることができない状況になり、
「カヤノキのバカヤロー!何で病弱な馬なんか産んだんだよ!GⅠ馬の母親なんだから丈夫な馬を産めよ!この役立たずめ!」
「もし仔馬が成長してセリ市に出せば高く売れたはずなのに!これじゃせっかく金かけて仔馬を産ませた努力が台無しじゃねーか!」
「てめーなんかもういらねーや!死んだ仔馬に謝ってこい!」
というような汚い言葉を浴びせるようになってしまった。
ただでさえ打ちひしがれているカヤノキは心無い言葉によってさらに傷つけられて、ついには生きる気力まで失いそうな精神状態になってしまった。
その様子を見ていたジャンは蓉子と葉月にそのことを報告した。
「何ですか、あの態度は!傷ついたカヤをさらに痛めつけるなんて、最低よ!今度こんなことをしたら離婚してやるわ!」
「また謹慎処分になりたいのですか!?なりたくないのならそういう汚いことを言うのはやめなさい!」
激怒した葉月と蓉子はそう言い放ち、その様子を見ていた米太は恐怖を感じたのか、それ以降泣いてばかりの状態になってしまったため、家族の仲はまた崩壊しそうな状態になってしまった。
結局太郎が謝罪をすることでどうにか事態は収まったが、蓉子、葉月、米太の心に大きな傷跡が残してしまい、再び家族関係がぎくしゃくする結果になってしまった。
蓉子と葉月が打ちひしがれている中、ある日ジャンが植物に関する本を持って2人のところにやってきた。
「Yokoさん、Hazukiさん。あなた達は一度馬に名前を付けました。でも亡くなった後でcancelしました。だけど、僕は新しい名前を付けたいと思います。」
彼はそう言うとその本を開き、マリーゴールドのページを見せた。
「このmarigoldには、別れ、絶望、悲哀という花言葉があります。これ、馬にささげる名前として、どうでしょうか?」
その意見は蓉子と葉月によって了承され、一旦は名前を失った同馬には「マリーゴールド」という名前が与えられることになった。
それ以来、亡くなった同馬のお墓には黄色いマリーゴールドの花が供えられるようになった。
一方、太郎によって生きる希望まで失いそうな状況に陥ったカヤノキは、クォーツクリスタルによって懸命に励まされている状態だった。
『私…、自分の仔に会って謝ってこようと思うの…。』
『だめよ!命を粗末にするようなことは!そんなことをしてもあの仔は喜ばないと思うわよ!』
『だって私、牧場の男性従業員の人からもういらないって言われたもの…。私はもう十分生きたと思っているし、それに天国に行けばこの苦しみから解放される。あの仔やスペースバイウェイにも会える。彼女らとずっと一緒にいられるのなら、私はそれで構わないと思うの。』
『じゃあ、残された3頭の仔達はどうなるのよ!あんたは悲しみから解放されるけれど、今度はライスフィールド、パーシモン、レインフォレストが悲しみや苦しみを背負っていくことになるのよ!』
『……。』
『とにかく死ぬことだけは私が許さないから!何としても生きなさい!いいわね!』
『…うん…。』
クォーツクリスタルに何度も励まされたカヤノキは、自分から死を選ぶことは回避したものの、それから間もなく自身も病気になってしまい、一時は命にかかわるような状況になってしまった。
幸い懸命の治療のおかげでどうにか生き延びることはできたものの、仔を失ったショックと病気の影響で未だ次の仔を産むための体力が戻らないまま、今も通院をしながら治療を続けているということだった。
クォーツクリスタルから衝撃的な話を聞いた3頭の仔達は、思わず涙ぐみそうになってしまった。
『母さん、そんな辛いことがあったんだ…。』
『オカン、果たして大丈夫なのかなあ…。』
『ねえ、ママはいつ戻ってきてくれるの?』
ライスフィールド、パーシモン、レインフォレストは途端に母親のことが心配でたまらなくなってきた。
『心配しないで。今は経過観察のために医療施設に行っているけれど、数日後には帰ってくるわよ。』
クォーツクリスタルは3頭をなだめながら優しく言ってくれた。
その言葉通り、カヤノキは3日後に牧場に戻ってきてくれた。
しかしその姿は一気に年を取ったかのようにやつれており、薬やストレスの影響からか、たてがみや体毛がかなり抜け落ちていた。
『あれが本当に母さん…?』
『覚えている姿と違う…。』
『……。』
ライスフィールドとパーシモンがクォーツクリスタルに話しかけたのに対し、レインフォレストはショックのあまりに黙り込んでしまった。
一方、カヤノキは自分の仔達に気づいた途端、思わず目から涙がこぼれ出した。
『ライスフィールド、パーシモン、レインフォレスト。ごめんね。お母さん、病気でこんな姿になってしまって…。本当にごめんね…。』
これまで仔馬が帰ってくる度に笑顔で迎えていたカヤノキは、この時ばかりは泣きながら謝り続けた。
『大丈夫だよ。僕達は母さんが生きてくれただけでうれしいよ。だから、謝る必要なんてないよ。』
ライスフィールドはそう言って真っ先に母親を励まそうとした。
『僕達、オカンが死んじゃった時なんて考えられないよ。』
『マリーゴールドはきっと笑顔で私達を見守っているはずよ。』
パーシモンとレインフォレストも兄に続き、懸命に笑顔で母親を励ました。
(そうだった…。私はマリーゴールドを失ってしまったけれど、まだ3頭の仔達がいる。でももし私が死んでしまったら、この笑顔は消えてなくなってしまうのね…。)
カヤノキはそう思いながら、明るく振る舞う3頭の表情が、悲しみに沈んだ表情に置き換わった状況を想像した。
『母さん、何で僕達を置いて遠くに行ったんだよ!』
『オカンがいなくなったら僕達はどうするんだよ!。』
『ママ…、ママーっ!死んじゃ嫌ああぁぁーーっ!』
(嫌…、そんな悲しみの表情なんて見たくない…。この仔達には何の罪もない。そんな仔達を私の身勝手な行動のせいで悲しみの底に突き落としてしまうわけにはいかない。だったら、私は生きよう。何があっても、たとえ私のこの先の人生にどんな苦しみや悲しみが待っていようとも…!)
カヤノキはボロボロ涙を流しながら力強く生きることを誓った。
『母さん、どうして泣き崩れるの?』
『僕達はオカンを励ましているのに?』
『ママ、私達悲しませることでもした?』
ライスフィールド、パーシモン、レインフォレストはどうして母親が号泣しているのかが理解できず、かえって悲しませてしまったような気持ちになった。
『大丈夫。お母さん、悲しいのではなくて、うれしくて泣いているの。』
カヤノキは泣きながらそう答えた。
ライスフィールド達は母親がそう言った理由が理解できずにいたが、母親を元気づけることができたということが分かると、やがて満面の笑顔を見せた。
それを受けてカヤノキもやっと泣くことをやめ、仔達に笑顔を見せることができた。
(スペースバイウェイ、マリーゴールド。あんた達に再び会える日はまだまだ先になりそうだけれど、どうか許してね。私にはまだ愛する我が仔達がいるから。)
カヤノキが心の中でそう誓いを立てている姿を、クォーツクリスタルはうれしそうに見つめていた。
その後、カヤノキは3頭の仔達に囲まれながら少しずつ元気を取り戻していった。
1月の下旬に差し掛かる頃、回復力が旺盛なパーシモンがその母親の姿を目に焼き付けて、真っ先に厩舎に戻っていった。
それから1週間後にはレインフォレストも厩舎に戻っていき、体のあちこちに痛みを抱えていたライスフィールドだけが2月中旬に差し掛かる頃まで牧場にとどまり続けた。
3頭が牧場を後にしていった後、カヤノキは空を見上げる日が増えていった。
(スペースバイウェイ、マリーゴールド。もしあんた達と会話ができるのであれば、私の仔達が無事に競走馬生活を全うできるか教えてくれるかしら?正直、私はこれまで何度も死のうとしながらどうにか生き延びることができましたが、懸命に生きようと頑張っているあの仔達が私よりも先に天に召されてしまったら、私は耐えていけるかどうか…。正直、そんな自信は持てそうにありません。どうか、あの仔達をお守りください。お願いします。)
彼女は自分に元気を与えてくれた仔達にもしものことがあったらと思いながら、今日も空を見上げていた。




