挑戦者として
ライスフィールドがオールカマーを勝った後、アキは病院の食堂で、その日のリハビリメニューを終えた善郎に会い、久々の勝利の報告をした。
「姉さん、あれ程の差を付けてライスフィールドを勝たせていただき、本当にありがとうございます!」
「どういたしまして。ちょっと仕掛けが早かったかなとは思いましたが、勝てたのは本当に良かったです。」
姉に対して頭が上がらずにいる善郎に対し、アキはほっとした表情で対処をしていた。
その頃、病院では道脇君が病室で紅 寿稀君に会い、同様に勝利の報告をしていた。
「ミチさん、ライスフィールドやっと勝ちましたね。本当に良かったです。」
「僕も勝ててほっとしている。これまで大変だったが、やっと吹っ切れたよ。さあ、君も早く良くなって、職場復帰してくれよ。」
「はい。早く退院してリハビリし、復帰を果たしてみせます。」
これまで1年9ヵ月にも及ぶ長い長いトンネルを抜け出したことで、重荷から解き放たれ、陣営の誰もがほっとした表情をしていた。
翌日。鴨宮君はアキからお使いを頼まれ、月曜発売のスポーツ新聞や競馬雑誌を全種類勝ってくることになった。
彼はお店に入ると、早速新聞の1面に目を通した。
すると、そこにはプロ野球の結果が書かれており、競馬に関することは書かれていなかった。
(チェーーッ。野球ばっかじゃなくて、競馬に関することも書いてよ。)
彼は心の中でちょっと不満げなことを言いながらも、次々と新聞を手に取ってかごに入れた。
さらには雑誌もかごに入れると一目散にレジに行き、女性の店員さんに「これください。」と告げた。
「あら、新君じゃない。レース、見ましたよ。勝利おめでとう。」
店員さんは満面の笑みでそう言ってきた。
「ど、どうも。でもあんまり名前を言わないで頂けますか?何だか恥ずかしいので…。」
「あら、そう?じゃあ、分かりました。でも、せめて君のサインは頂けますか?」
「それは…、個人で取っておくのであれば、構わないですけれど…。」
鴨宮君はそう言いながら会計を済ませ、サインにも応じた。
お店を出た彼は足早に車に乗り込むと、早速競馬欄に目を通した。
「ライスフィールド、6馬身差で復活!」
「関東の星、久々の勝利!」
「まだ終わったとは言わせない!」
「鴨宮騎手、お見事!」
彼はこのような文章を見るたびに、満面の笑みを浮かべていた。
(※ただ、記事によっては「トランクロケット敗れる!」に重点が置かれていたり、同日に行われた神戸新聞杯の記事の方が大きく扱われていたりしたため、ちょっと残念な思いもしていましたが…。)
そのような記事にすっかり見入っていると、不意に車の窓をコンコンと叩く音がし、
「鴨宮騎手ですよね?」
「サインください。お願いします!」
という声がした。
彼はびっくりして外を見ると、数人の人達が紙を持ちながらこちらを見つめていた。
どうやら記事に夢中になっているうちに、店員さんが「今、鴨宮新騎手にサインもらったんですよ!彼は今、あの車の中にいますよ!」とでも伝えたのだろう。
(げっ!やべっ!)
鴨宮君は思わずびっくりして、「ごめんなさい。」と言いたげに頭を下げると、車のエンジンをかけ、サインに応じることもせずに、人を避けながら駐車場を後にしていった。
(ふう…、危なかった。こんな所でサイン攻めにあうところだった。それにしてもまさかこんな目にあうなんて…。)
彼はまだ動揺しながらも、次からはすぐにお店を出ていくことにしようと心に誓った。
その後、陣営は皆でその記事に目を通し、喜びを分かち合っていた。
勝った喜びを分かち合っていたのは、野々森牧場の陣営も同じだった。
飛行機で北海道に到着した蓉子は、鴨宮君と同様にお店で全種類のスポーツ新聞と月曜発売の競馬雑誌を買い込み、それを車に積み込んで、牧場までドライブをしていった。
牧場にたどり着くと、太郎とそして米太の面倒を見ている葉月に記事を見せては満面の笑みを浮かべていた。
(ただし、朝日杯の時とは違って、額縁にはめ込んで飾るということはしなかった。)
ライスフィールドが勝てない間、村重厩舎や野々森牧場では不協和音が立ち込めたり、体調を崩す者が出てくるなど、色々な苦労があった。
しかし同馬の勝利以降、双方の雰囲気はすっかり明るくなり、お互い連絡を取る時も明るい声でやり取りをするようになった。
その中で、ライスフィールドは天皇賞(秋)に向かうことになった。
もしオールカマーで負けていたらアルゼンチン共和国杯(GⅡ)だっただけに、陣営にとってはうれしいことだった。
そして調教にも身が入るようになり、ライスフィールドは脚部不安を見せることもなく順調にメニューをこなしていった。
その後に行われた京都大賞典ではパースピレーションが2着に4馬身の差を付けて勝ち、菊花賞以来の勝利を挙げることができた。
同馬はほぼ1年近くの間勝利がなく、周りからはGⅠを勝つとその後勝てなくなる馬の1頭として色々言われるようになっていただけに、網走譲騎手をはじめとする陣営にとってこの勝利は格別のものだった。
そして網走騎手は勝利ジョッキーインタビューの中で、この勢いに乗って天皇賞(秋)を制覇すると高らかに宣言した。
オールカマーの時点で病院にいた善郎と紅君は10月中旬に職場に復帰することができた。
彼らは早速厩舎にいる馬達を1頭ずつ回っていき、復帰の報告をした。
そして唯一のオープン馬であるライスフィールドに対しては
「今まで君には色々と迷惑をかけてすまなかった。これから天皇賞に向けて共に頑張ろう。」(善郎)
「君の頑張る姿に、僕は何度も元気付けられました。今度は君を元気付ける番です。一緒に勝ちましょう。」(紅君)
と言いながら、健闘を誓った。
天皇賞(秋)が近づくにつれ、村重厩舎をはじめとする各陣営は、出走を予定している馬達の追い切りを行うようになった。
そして出走登録の結果、次のような有力馬が集結することになった。
・ファントムブレイン
・ライスフィールド
・ストアーキーパー
・トランクミラクル
・トランクゼウス
・パースピレーション
・トランクロケット
・クリスタルロード
・シドニーメルボルン
・ソングオブリベラ
このレースにはGⅠ馬7頭(上記のファントムブレインからトランクロケットまで)を含む18頭が集結し、豪華なメンバーとなった。
葉月と太郎は、米太の子守りをしながらこの記事を見ていた。
「ライスフィールド、思ったより印付いていないわね。せっかく前走を勝ったのに、これじゃ3~4番人気くらいになりそうね。」
「まあ、ファントムブレインという絶対的王者がいるし、宝塚2着のトランクロケット、京都大賞典優勝のパースピレーションもいるからなあ。」
「確かにフィールドはまだ挑戦者という立場として見られているようだけれど、もう少しオールカマーでの勝利を評価してほしかったわね。」
「とにかく、アキさんの話では不安もなく順調に調教できているようだし、厩舎の雰囲気も明るいようだ。それに村重先生も職場復帰を果たしたそうだし。」
「じゃあ、私達も明るい表情で東京競馬場に行きましょうか。」
「そうだな。」
2人はオールカマーの時には競馬場まで駆けつけることができなかっただけに、今度の天皇賞では行く気満々だった。
彼らは土曜日の朝に牧場を出発し、飛行機で羽田空港に向かっていった。