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先輩がいるから

ここではライスフィールドの一人称で物語が進行します。

 ファントムブレインのグランドスラムを阻止するべく宝塚記念に向かっていった僕は、逃げつぶれたこともあって返り討ちにあい、9着に敗れてしまった。

 さらには厩舎のアキさんが言うには

「今後はGⅡ戦線にシフトし、GⅠから離れることも頭に入れた方がいい。」

 というプランを練っているとのことだった。

 厩舎一の策士である彼女の言うこととはいえ、それはある意味屈辱的なことだった。

 さらに言うと、GⅠなんか勝たない方が良かったのかと思えてくる時もあった。

 レースを終え、馬運車の中で帰路についている間も、僕は気持ちを整理することができないままだった。

 もちろん、僕だって常にベストを尽くし、精一杯頑張ってきた。手を抜いたレースなんて1レースたりともなかった。

 だけど、3歳時から右前脚の不安に付きまとわれ続け、なかなか十分な調教を積むことができない状況が続いていた。

 さらには430kgにも満たない小柄な体に加え、今回の宝塚記念では初めて背負う58kgという斤量がかなり重く感じられた。

 これからこんな斤量を背負わなければならないのかと思うと、正直不安を感じずにはいられなかった。

 とはいえ、競走馬である以上勝たなければ明るい未来はない。

 こんな八方ふさがりの現実を前に、僕は長い長い、そしていつまで続くのか分からないトンネルの中をさまよい続けていた。


 そんな心境の中で、馬運車はトレセンに到着し、僕は自分の厩舎へと戻っていった。

『お帰り、フィールド。』

『お兄ちゃん、お帰りなさい。』

 入口ではライスパディーとレインフォレストが僕を迎えてくれた。

『ただいま…。』

 精神的にまだ立ち直れないままの僕は、そう言うのが精いっぱいだった。

 彼らはただならぬ雰囲気を感じ取ったのだろう、それ以上は何も言えなくなってしまった。

 僕自身、まずいことをしてしまったという思いはあった。

 でもどうすればいいのか、結局分からないままだった。


 自分の馬房で僕は茫然と考え事をしていると、ふと

『フィールド君、お帰り。』

 という明るい声がした。フロントライン先輩だ。

 彼女は厩舎の中で最年長であり、さらにはキャプテンとして厩舎をまとめる存在だった。

 そして何より、僕と先輩は両想いの関係であり、一緒にいて楽しい存在だった。

 先輩は落ち込む僕を見ても、にっこりとした表情で

『レースご苦労様。よく頑張ったわね。』

 と言ってくれた。

『頑張ったけれど、でも…。』

 僕はこみ上げる悔しさと懸命に闘いながら答えた。

『結果は私も知っているわよ。結果はともかく、無事に帰ってきてくれてありがとう。私はとてもうれしいわよ。』

『よ、よしてよ、そんな言い方。』

『あら、フィールド君のお母さんだったらそう言うと思うんだけれどな。』

『ま、まあ、確かにそう言うかもしれないけれど…、先輩は、その…。』

『なあに?』

『先輩は僕の母さんの考えていること、分かるの?』

『何か分かるような気がするのよ。だってフィールド君、よく「母さんが言っていたんだ。」って言っていたでしょ?』

『確かにね。先輩を励ます時によく言っていたし…。』

『そう。それを聞いているうちに、私、カヤノキさんがどんな性格の馬で、何を考えているのかが段々分かるような気がしてきたの。だからちょっと真似してみたの。似ているかしら?』

『確かに、似てます。』

『良かった。そう言ってくれて。』

 先輩は僕に笑顔で接してくれた。

 そのおかげで僕は少しは気持ちが楽になった。

『ねえフィールド君、悩みなら私に話してよ。何かできることがあれば協力するから。』

『えっ?でも…。』

『大丈夫。私は厩舎のキャプテンで、みんなをまとめる存在なんだから。遠慮しなくていいわよ。』

『いいの?先輩。』

『うん。かつて私の母がカヤノキさんに対してやっていたことでもあるから。』

 2年前は母親であるスペースバイウェイさんのことを言われるのを嫌がっていた先輩は、いつしか心を開いてくれて、今ではそんな母親に対して尊敬の気持ちさえ持っていた。

 そんな先輩なら言ってもいいかなと思ったため、僕は心の内を正直に話すことにした。

 僕は負けた悔しさに加え、今後GⅡ路線にシフトされてしまうかもしれないことに対する不安を打ち明けた。

 僕自身はそれを屈辱と考えていたけれど、先輩は違う考え方をしていた。

『それはきっとフィールド君を勝たせてあげたいというアキさんの配慮だと思うんだけれどな。』

『配慮?』

『そう。彼女はむやみに大レースに出すよりも、勝てるレースに出してとにかく勝利を挙げさせようとしていると思うの。それに1つ勝つことができれば一気に生まれ変われるようなことを言っていたわよ。』

『そんなんで変われるのかなあ…。』

『そう思えばそうなるはずよ。彼女の言うことなら間違いないはず。だから、気持ちを切り替えなさい。あんたは勝てるの。そしてGⅡを勝てば再びGⅠへの道が開けるわよ。』

『はあい…。』

『そんな落ち込んだ表情で返事しないの。あごを上げなさい。あごを上げた上で、元気よく「はいっ!」って返事しなさい!』

『はいっ!』

 先輩から喝を入れられた僕は早速言われたとおりに返事をした。

『よし、その気持ちを維持しなさい。私はそんなあんたの方が好きだから。』

『はいっ!』

 先輩と話をしたことで、さっきまで落ち込んでいた僕は、気がついたら立ち直っている状況だった。

(ああいう姿、もし母さんが見ていたらスペースバイウェイさんが帰ってきたようだって言うのかな?もしそうなら、やっぱり親と子は似るのかな?母さんとバイウェイさんは牝馬同士で無二の親友だったけれど、僕と先輩は異性だから…。)

 僕はいつしか先輩のことを考え続けている状況だった。


 そんな先輩は翌週、佐渡特別(1000万下、新潟、芝2200m)に出走するために、クノイチ、そしてレインフォレストと一緒に新潟に向かっていった。

 最初に出走したのはレインフォレストで、新馬戦(ダート1200m)だった。

 落ち目の状態にあるとはいえ、GⅠ馬である僕の妹ということで、周囲からは色々と言われたり、期待されていたが、結果は13頭立ての10着だった。

 妹に賭けていた人達の中には

「何だ、ライスフィールドの妹もだめじゃねえか。」

「パーシモンに続いて、この馬も外れなのかなあ。」

 と言う人がいた。

 はっきり言って、1戦走っただけであれこれ言ったり、僕の妹という目で見るのはやめてほしいと思った。

 ついでに言うと、弟のパーシモンは日本ダービー除外後は1000万下のレースを地道に走っている状態で、成績や稼いだ賞金額は明らかに僕より下だった。

 2年前に当時2戦2勝だった僕の弟ということで、7500万円という値段がつき、朝日杯に出た時には兄に続くかと話題になっていただけに、弟も悔しい思いをしているということは聞いていた。

 また、馬主の根室那覇男さんもこんなつもりではという思いを抱えており、出演したテレビ番組で突っ込みを受けることもあったそうだ。

 話を戻すと、妹の後に3歳以上500万下(芝1200m)に出走したクノイチは、16頭立ての14着に沈んでしまった。

「まあ、未勝利戦を脱出した直後の昇級戦だし、厳しい戦いになることは予想していたが、思った以上に厳しい結果だったな。」

 レース後、馬主の木野求次さんは腕組みをしながらそう言っていたそうだ。

 そして3頭のトリをつとめる形で、フロントライン先輩がレースに出走した。

 彼女は12頭立ての5番人気で、人気自体は3頭の中で最も高かったが、それでも勝つと予想した人はそれ程多くなかったようだ。

 レースがスタートし、好スタートを切った先輩は、そのまま逃げという奇襲作戦に打って出た。

 他の騎手達は最後にバテると読んでいたようだったが、先輩の脚色は最後まで衰えることはなく、何と逃げ切り勝ちを決めてみせた。

 先輩にとっても勝利は1年ぶりであり、さらにこの勝利によって1000万下から1600万下に昇級を果たすことができた。


 厩舎に帰ってきた先輩を、僕は満面の笑みで迎えた。

『先輩、久しぶりの勝利、おめでとうございます。』

『ありがとう、フィールド君。君のおかげで勝てたわ。本当にありがとう。』

『そんな、僕は何も…。きっとスペースバイウェイさんが勝たせてくれたんですよ。』

『そうね、それもあるかもしれないわね。』

『きっとそうですよ。先輩の勝利のおかげで、僕も頑張ろうという気になりました。僕、次のレース、きっと勝ってみせます。』

『本当に?』

『うん、きっと勝つよ。』

『じゃあ、頑張ってね。私も応援しているから。私だけじゃないわ。カヤノキさんや私の母。そして厩舎の皆がついているから。』

 先輩はそう言うと、ニッコリとほほ笑んでくれた。

 それを見て、僕は体の中から力がみなぎってきた。

『はいっ!頑張ってきます!そして先輩のために、絶対に勝ってみせます!』

 僕は先輩に向かって力いっぱい言い切った。


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