善郎復帰
ライスフィールドが天皇賞(春)を回避した後、道脇君やアキ、鴨宮君、紅君は次走をどうするか話し合いを重ねた。
「次は目黒記念を目指してはどうでしょうか?」(紅君)
「それだとハンデ戦で、斤量が何キロになるかが心配ですねえ。」(道脇君)
「じゃあ、安田記念を目指すことにしましょうか?」(鴨宮君)
彼らは何とかして出走にこぎつけようと考える中、アキに意見を聞くことにした。
「私としてはちょっと息抜きをしてみてはどうかと思っているのですが、どうでしょうか?皆さん。」
「ええっ?息抜きですか?」(一同)
彼女からは意外な言葉が飛び出し、一同は驚きを隠せなかった。
アキの考え方は次の通りだった。
・ライスフィールドはただでさえ脚に不安を抱えている上に、予定をずるずる後ろに延ばしていっては脚にさらなる負担がかかってしまう。
・脚の不安をしっかり取り除かなければ、58kgの斤量に耐えられない可能性がある。
・自分達が勝たせようとするあまりに、馬に過剰なプレッシャーを背負わせていたかもしれない。
・ライスフィールドがホームシックか何かで走る気を失っている気がする。
上のことを踏まえて、彼女は野々森牧場に短期放牧に出してはどうかと提案した。
「なるほど。姉さんは見るところが違いますね。」
「本当に僕達の気がつかないようなことまで気づきますし。」
「姉さんがそう言うのなら、間違いはないでしょう。」
これまでどうしようかと考えていた道脇君、鴨宮君、紅君の3人は、アキの意見を聞いて一気に納得した。
そしてそれから間もなく、ライスパディーと一緒に馬運車で野々森牧場へと短期放牧に出されることになった。
同時に、ライスフィールドの目標が目黒記念でもなく、安田記念でもなく、宝塚記念に定まった。
宝塚記念にはファントムブレインがグランドスラムをかけて出走してくることが予想されるため、厳しい闘いが予想されるが、逃げるわけにはいかなかった。
アキはこれまで同馬のレース映像や、坂江陽八騎手の性格などを踏まえ、どのようにして勝ち進んできたのかを細かく分析し、みんなの前で発表した。
その内容は次の通りだった。
ファントムブレインは去年(5歳時)の途中までは実力に物を言わせていた傾向があったが、5歳の終盤から6歳時にかけては色々な小技を駆使する傾向に切り替えたこと。
例を挙げると、あるレースでは他馬がファントムブレインをマークしてきた時、坂江騎手は微妙にペースを変えるなどしてその馬のペースを乱したり、あらかじめ馬場の荒れ具合や馬場のいい所を頭に入れておき、レース中にどうすればいい所をたくさん走れるかなどにこだわっていることなどがあった。
「プロ野球に例えて言うなら、どんなホームランバッターでもいつかは2塁打やシングルヒットで生きていかなければならない日が来る。坂江さんはその事実をしっかりと受け入れた上で、5歳のジャパンカップ以降、レース中に小技を色々と駆使するようになり、それによって少しずつ点を取り、最後の直線では少ないリードを継投で必死に守り切るやり方で勝ってきています。」
アキの発表したことはそれまで厩舎の誰もが気付かずにいたことだっただけに、斬新なことだった。
「姉さん、よく気付いてくれましたね。さすが勝負師です。」
「宝塚では坂江騎手の揺さぶりに気をつける必要がありますね。」
道脇君、鴨宮君は目を輝かせながらそう言った。
そして陣営は上記のことを踏まえた上でファントムブレインを倒すための方法を必死になって探り、対策を立て続けた。
ライスフィールドは3歳の春以来、実に1年2か月ぶりに母カヤノキと再会することができた。
『母さん、ただいま。』
『お帰り、フィールド。よく無事で帰ってきたね。』
『うん。あれからずっと結果が出なくて、悔しい思いばかりしていたから、母さんにあわせる顔がない心境だったけれど…。』
『そんなことない。母さんはこうやって帰ってきてくれただけでうれしいよ。成績なんて気にしなくていいよ。あなたはいつでも私の仔だからね。』
『母さん…。』
ライスフィールドは母親の顔を見て、さらには母親からねぎらいの言葉をかけられると、途端にこれまで抱え込んでいた色々な感情が込み上げてきた。
そしてこの1年以上勝つことができず、関東の星と言われていた状況から転落人生を歩んできたこと。周りから燃え尽き馬などと批判されたこと、脚の不安が付きまとい、なかなか実力を十分に発揮できなかったことなど、心の内を色々と吐きだした。
カヤノキはそんな息子の悩みに対し、グチ一つ言うことなく、優しい表情で全てを受け止めてくれた。
そのことがライスフィールドにとって嬉しいことであり、ホームシック気味だった心を優しく癒してくれた。
一方のライスパディーも母クォーツクリスタルに色々なことを打ち明けていた。
それによって、こちらも疲れていた心をいやすことができた。
2頭が束の間の休息を取っている間、善郎はリハビリを終え、ようやく職場に復帰を果たすことができた。
「皆さん、この度は僕がプレッシャーに耐えきれずに病気になって離脱し、何頭もの馬を引き抜かれてしまい、さらには周りから落ち目の厩舎とか言われながら何もできず、皆に多大な迷惑をかけてしまい、本当に申し訳ありませんでした。」
彼は厩舎にやってくるなり、皆の前で深々と頭を下げた。
「ヨシ、私達は弟が無事に復帰してくれただけで満足です。決して責めたりはしませんよ。」
「周りからは色々言われましたが、僕達は大丈夫です。そんなことに負けたりはしません。」
「長い人生、こんな時もあります。ライスフィールドも残留してくれましたし、これから取り返していきます。」
「たとえ周りから色々言われようとも、僕達はヨシさんについていく覚悟です。」
アキ、道脇君、紅君、鴨宮君は明るい表情で答え、調教師の復帰を心から喜んだ。
善郎にとってはその優しさが辛いものでもあった。しかし次第に心を開いていくことができ、これから失ったものを取り返していこうという覚悟を固めることができた。
その頃、厩舎に所属している主な馬達の成績は次の通りだった。
5歳馬
・フロントライン … 23戦3勝(1000万下)
4歳馬
・ライスフィールド … 11戦4勝(オープン、重賞3勝)
・ライスパディー … 14戦2勝(1000万下、間もなく500万下に降級)
3歳馬
・クノイチ … 7戦1勝(500万下)
・ホワイトリリー … 6戦0勝(未勝利)
厩舎はライスフィールド1頭が抜けた存在で、それ以外に活躍馬がいないため、一発屋のレッテルを貼られていた上に、そのライスフィールドも約1年5ヵ月勝利がない状態だった。
善郎は自身が不在の間、所属馬が引き抜きにあった上に、なかなか勝利を挙げることができず、周囲から落ち目の厩舎と言われていたことを知っているだけに、とにかく失ったものを取り返したい思いでいっぱいだった。
その後、ライスフィールドはオークスが行われる頃に厩舎に戻ってきた。
善郎はすっかりリフレッシュできた同馬を見て、色々と込み上げるものがあった。
「フィールド、これまで色々と辛い思いをさせてしまって、本当にすまなかった。君が勝てずにいたことは僕も辛かったが、これから必ず復活させてやるからな。」
彼は馬の額に手を当てながら、そう心に誓った。
1週間後、世間では日本ダービーが行われた。
今年の春まで村重厩舎に所属し、今は星厩舎にいるフォークヒーローは何とか出走にはこぎつけたものの、18頭立ての最低人気で、16着に敗れてしまった。
一方、パーシモンは登録こそしたものの、抽選ではじき出されてしまい、出走はかなわなかった。
「残念…。何とか大レースに出してやりたかったのだが…。」
馬主の根室那覇男さんはがっくりと肩を落としながらそのレースを見つめていた。
約1ヵ月後、春競馬を締めくくるビッグレース、宝塚記念が行われる時期がやってきた。
注目は去年の天皇賞(秋)から全てのGⅠを勝ち続けているファントムブレインがグランドスラムを達成できるかということだった。
『グランドスラムにリーチ!ファントムブレインに死角なし!』
『関西馬と関東の騎手の偉業達成なるか!』
『ライバルは不在!断然1番人気間違いなし!』
新聞やマスコミのニュースにはそのような文章がおどり、まるでレース前から勝負はついたような状況だった。
他陣営もファントムブレインに恐れをなしてか、出走馬は12頭で、GⅠとしては寂しい顔ぶれになった。
レース前日、出走馬ならびに枠順と馬番、人気は次の通りになった。
・ストアーキーパー … 1枠1番、6番人気
・ソルジャーズレスト … 2枠2番、10人気
・ライスフィールド … 3枠3番、8番人気
・サージングクラウド … 4枠4番、9番人気(外国馬)
・パースピレーション … 5枠5番、2番人気
・トランクミラクル … 5枠6番、7番人気
・ファントムブレイン … 6枠7番、1番人気
・トランクロケット … 6枠8番、4番人気
・シドニーメルボルン … 7枠9番、11番人気
・トランクゼウス … 7枠10番、5番人気
・ホタルブクロ … 8枠11番、3番人気
・トゥーオブアス … 8枠12番、12番人気
1番人気のファントムブレインの単勝は1.3倍で、予想印も全て二重丸という状況だった。
ちなみにホタルブクロの主戦騎手だった網走 譲騎手は、前の週で騎乗停止処分を受けてしまったため、弥富伊予子さんに乗り替わりとなった。
一方、ライスフィールドは12頭立ての8番人気という、かつて経験したことのない低評価となった。
この状況に善郎達は燃えないはずはなかった。
「皆、絶対に勝つぞ!何としてもファントムブレインの偉業を阻止し、今まで周囲から言われてきたことを撤回させてやるぞ!」
「はいっ!分かりました!」
善郎の呼びかけに、道脇君や紅君は元気よく答えた。
(※鴨宮君はレースのためにすでに阪神競馬場に行っており、アキはホワイトリリーが土曜日に福島でレースに出るためそちらに行っており、その後新幹線を乗り継いで、夜に阪神入りの予定。)
そして3人はライスフィールドを乗せた馬運車が決戦の舞台へと向かっていくのを見届けた後、彼らもその場所へと向かっていった。
果たしてファントムブレインのグランドスラムは達成されるのか、それとも阻止されるのか。
阻止するとしたらその馬は誰なのか。
善郎達はそれがライスフィールドであることを切に願っていた。




