勝つことが恩返し
3歳牡馬の最後の一冠をかけた菊花賞は、トランクゼウス、トランクミラクル、シドニーメルボルン、ソングオブリベラ、トゥーオブアスなど、18頭を迎えて華やかに行われた。
そして結果は夏の上がり馬だった6番人気のパースピレーション(オス、英語表記:Perspiration)が勝利した。
2着は4番人気のシドニーメルボルン、3着が7番人気のソングオブリベラだったため、ワイドや3連複、3連単はそれなりに荒れる結果になった。
(1番人気のトランクゼウスは4着、2番人気のトランクミラクルは6着、トゥーオブアスは9着だった。)
その翌週に行われる天皇賞(秋)には18頭の馬達が出走することになった。
3歳の有力馬ではライスフィールドとフシチョウ、インノケンティウス(英語表記:Innocentius、牡馬)が登録し、古馬ではファントムブレイン(英語表記:Phantom Brain)、ホタルブクロ(英語表記:Hotarubukuro)、ユーアーゼア(英語表記:You Are There)、ストアーキーパー、クルスタルロード(英語表記:Crystal Road)が出走してきた。
出走馬の顔触れを見た善郎は、渋い顔をしながら道脇君と話し合いをしていた。
「ミチ、菊花賞でも豪華メンバーだったが、こちらは古馬も出るとあって、さらに凄い顔ぶれだな。」
「ですね。特にファントムブレインは坂江さんがライスフィールドを降りてまで選んだ馬だし、ユーアーゼアやホタルブクロも強敵ですね。」
「さらにライスフィールドはまだ競走馬としての経験が少ないから、古馬を見ると余計に強敵に思えてくるな。」
「でも、なぎ倒していかなければならないわけですから、やるしかないですね。」
彼らが話し合いをしていると、アキや紅君もその場に加わり、話し合いはますますヒートアップした。
どのようなレース展開が予想されるか、どの位置につければいいのか、当日の天候はどうなりそうか。
それらを踏まえた上で、彼らは話し合いを重ねていた。
一方、鴨宮君はこれまでライスフィールドに騎乗してきた坂江陽八騎手と直接会って話し合いの場を設け、馬についての情報を聞き出そうとした。
「鴨宮君、確かに勝ちたいという気持ちは理解できるが、これは勝負の世界だ。こちらもファントムブレインを管理している厩舎や関係者の人達と色々作戦を立てている以上、この馬を勝たせなければならない。だから、できることなら作戦は君自身で立ててほしい。」
坂江騎手は厳しい表情をしながらお願いを一蹴りした。
無理もない。ここで色々なことを教えて、結果的にライスフィールドに勝たれてしまったら、敵に塩を送るという皮肉な結果になってしまう。
それにファントムブレインの厩舎の人と直接会って話をするためには関西に行かなければならないという事情もあった。
だが、鴨宮君は引き下がらなかった。たとえどんな無駄な情報であろうとも、何か聞き出したいと必死にお願いをした。
その意気込みに押されたのか、坂江騎手も納得し、もう少し話をしようということになった。
「さて、鴨宮君。君はライスフィールドについて何を聞きたがっているんだね?」
「あの…、坂江さんは、レースで乗っていて…、どんな印象を持っていたのかと思いまして…。」
鴨宮君は恐れ多そうな口調で質問をした。
「そうだな。とにかく駿足で、はまれば凄い能力を発揮するが、体が小さいだけあって重い斤量はこたえるような感じだったね。正直、今だからこそ言えることだが、NHK(マイルC)とダービーで背負った57kgは、他の馬にとっての57kgよりも重かっただろう。」
「じゃあ、それらの2レースは…、斤量も敗因の一つだったのでしょうか?」
「かもしれんな。ダービーでは斤量が響いて最後の直線で脚が耐え切れなくなったのかもしれないと思っている。」
「そうですか。じゃあ、菊花賞じゃなくて天皇賞に向かうというのは、ライスフィールドにとってはいい選択だったんでしょうか?」
鴨宮君は落ち着きを取り戻したのか、段々普段通りの口調で話せるようになった。
「個人的にはそう考えている。前者は57kgなのに対し、こちらは56kgで出られるわけだからな。たった1kgであっても、この馬には大きな違いになるだろう。」
坂江騎手は、ライスフィールドにとって重い斤量は厳しいことを打ち明けてくれた。しかし、どのような作戦を立てて、どのような乗り方をしていたのかについては教えてくれなかった。
最初はそれについて何とか聞き出そうとしていた鴨宮君も、さすがにそれはあきらめ、自分で作戦を考えることを決意した。
(これでライスフィールドが勝ったら、恩をあだで返すことになってしまう。それは坂江さんには悪いけれど、これは勝負の世界。勝つことが恩返しなんだ。だから、心を鬼にして天皇賞に勝ってやる!)
鴨宮君は申し訳ない気持ちを懸命に抑えながら気持ちを奮い立たせていた。
一方、坂江騎手は会話を終えると足早に部屋を後にし、ファントムブレインに会いに、関西に行く準備を始めた。
現地では厩舎の人達からライスフィールドについて色々質問を受けたが、彼は鴨宮君の時と同様に、多少の情報は提供しながらも、基本的には自分達で同馬のことを調べてほしいと言うにとどめていた。
その後、天皇賞(秋)の枠順が発表になり、ライスフィールドは5枠10番に入った。
5人の専門家による予想では黒三角1つと白三角が2つあるだけで、どうやらこれまで経験したことのない人気順になりそうな状況だった。
その他の3歳馬であるフシチョウは3枠6番、インノケンティウスは4枠7番だった。
一方、古馬の有力馬では、予想印を分けあっているファントムブレインとホタルブクロはそれぞれ7枠15番、1枠2番、紅一点のユーアーゼアは7枠14番、無印に近い状況のストアーキーパーとクリスタルロードはそれぞれ8枠18番、2枠3番だった。
レース当日。人気は前走の京都大賞典をレコード勝ちしたホタルブクロが僅差で1番人気になり、以降ファントムブレイン、ユーアーゼア(前走で毎日王冠勝利)、フシチョウ、インノケンティウスと続き、ライスフィールドは単勝16.8倍の6番人気だった。
(クリスタルロードは7番人気、ストアーキーパーは9番人気。)
このレースで久しぶりにライスフィールドに乗ることになった鴨宮君は、これがGⅠ初騎乗だったため、緊張して結果を出せないだろうと予想するファンも多く、これが人気が低くなる理由にもなった。
実際、当の鴨宮君自身もレースが近づくにつれて、心臓がバクバクする程の緊張感に襲われていた。
その様子は厩舎の人達も気付いていた。
「シン、緊張する気持ちは分かるが、できる限り落ち着いてくれ。そして僕に騎乗依頼を申し込んできた時のような意気込みで乗ってくれ。頼んだぞ。」
「多分このレースはスローペースになるでしょうから、前につけた方がきっと有利になると思います。」
善郎と道脇君は厩舎を代表してそうアドバイスを送り、鴨宮君を送り出した。
(勝ったら坂江さんにどう思われるかは分からない。でもこれは勝負の世界。勝つことが彼への恩返しなんだ。だから、心を鬼にしてこのレースに勝ってやる!)
鴨宮君は逃げ出したい程の気持ちの中、懸命に気持ちを奮い立たせていた。
そしていよいよ発走時間になり、各馬は2コーナー奥のポケット地点にあるゲートにおさまっていった。
ゲートが開くと鴨宮君は指示通り、前に出ていくように馬に指示を出した。
果たして彼はGⅠデビュー戦という重圧と6番人気という低評価を覆し、ライスフィールドに朝日杯以来の勝利をもたらすことができるのだろうか?
(次号に続く。)




