セリ市へ
ライスフィールドとライスパディーは産まれてから半年後に、それぞれの母親であるカヤノキとクォーツクリスタルから離れ、競走馬として生きる道を進むことになった。
2頭は母親に会えなくなった寂しさを抱えながらも、お互いの絆をより強めることで、それを乗り越えていった。
牧場には同い年の馬もいたが、この2頭は併せ馬を行う際にはいつも一緒だった。
『脚なら僕の方が速いぞ。パディーなんかに負けるもんか!』
『なにおっ?体ならフィールドよりデカイし、丈夫なんだぞ!』
彼らは時には張り合い、時にはお互いを高め合いながら、親友として、ライバルとして毎日を過ごしていった。
翌年の春、仔を身ごもっていたカヤノキは元気な男の仔馬を出産した。
「カヤ、おめでとう。よく頑張ってくれたわね!えらいわよ!」
蓉子はカヤノキのそばに寄り添いながら優しく接した。
カヤノキ自身も無事に出産を終え、母子共に元気だったことは、この上ない幸せだった。
(思えば命にかかわる大ケガを負い、何度も死のうと思ったことのある私がこうやって生き延び、2頭目の仔を無事に産むことができるなんて…。本当に神様とスペースバイウェイに感謝するわ。私を生かしてくれてありがとう。)
産まれてきた仔はその後、蓉子によって「パーシモン」という名前が与えられた。
これはカヤノキの仔には植物に関する名前をつけることにこだわっており、さらには彼女が柿(英語ではPersimmon)が大好きだからという理由だった。
その後、カヤノキは3年連続で仔を身ごもることができた。
「さあ、来年も頼んだぞ。少し大変かもしれないけれど、こちらも健康面でできることがあったら何でもサポートするからな。」
太郎はそう言いながら馬の体をやさしくさすった。
一方、去年は不受胎となったために1年お休みとなったクォーツクリスタルは、今度は受胎に成功した。
「やったやった!クォーツ、おめでとう!来年を楽しみにしているからね!」
葉月は馬のお腹をさすりながら、嬉しそうに語りかけた。
その年の夏、ライスフィールドとライスパディーは、2頭そろってセリ市に出されることになった。
蓉子と葉月の2人は、2頭に少しでも高い評価をしてもらえるよう、注意を払いながら世話をしていた。
「お母さん、いよいよね。」
「そうね。楽しみでもあるけれど、緊張するわね。」
「どのくらいの値段がつくのかしらねえ?」
「私としては、2000万円程度の値段を期待しているわ。」
「そこまで行けば売却するの?」
「それはその時次第よ。高い評価を受けてもやっぱり自分で走らせたいと思えば、声をかけるし。」
「それじゃ、最後までどうなるか分からないわね。」
「確かにそうだけれど、でも私は以前からそのようなやり方をしてきたから。」
彼女らはそういう会話を交わしながらも、目は真剣だった。
お互いが離れ離れになってしまうかもしれないという雰囲気は、ライスフィールドとライスパディーも感じ取っていた。
『これからセリ市っていうイベントに行くのかあ…。僕とパディーは一体どうなるんだろうな?』
『さあ…。どちらかが金額を付けられて売られれば、もうフィールドとは会えなくなるんだよな。』
彼らは何とも言えない不安を感じながらも、お互い色々話し合うことで気持ちを紛らわせていた。
2頭がセリ市に行くする日。蓉子と葉月は太郎達に牧場での仕事をお願いすることにした。
「ター坊。それじゃ、私とお母さんはこれから2頭を乗せて会場に向かうわね。」
「ああ、ご苦労様。気をつけてね。そしていい結果を期待しているぞ。」
「もちろん。気をつけて行ってきます。」
「行ってらっしゃい。」
会話が終わると、葉月はトランクのところから駆け足で運転席のドアのところにやってきて、車に乗り込んだ。
そして鍵を差し込むと、
「それじゃ、いよいよ出発します。」
と言って、エンジンをかけた。
「よろしくお願いします。急ブレーキには気をつけるのよ。」
蓉子が忠告すると、葉月は「はあい。」と言いながらギアをドライブに入れ、車を発進させた。
セリ市の会場では、蓉子がバイヤーの席に着き、葉月が馬を連れてステージに立つことになっていた。
2頭のうち、先に登場したのはライスパディーの方だった。
葉月は緊張しながらステージに立ち、観客席を見つめた。
「それでは1000万円から開始します。」
司会の人がそう声をかけると、いよいよセリが始まった。
「1050万円!」
「1100万円!」
会場ではバイヤーの人達が次々と手を挙げ、値段はどんどん上がっていった。
(よし、この調子よ。もっと上がっていってちょうだい。)
蓉子は自ら手をあげることはせず、表示されている値段をじっと見つめていた。
「1900万円!」
近くにいた人がそう声をかけてきたことで、蓉子は目標に到達することを大いに期待した。
しかしそれから声はかからなくなり、何とも言いようのない沈黙が流れた。
(うーーん、もう少し値段が上がってくれれば、自分で声をかける必要もなくなるんだけれど…。)
蓉子はどうしようか迷いが出始めた。
そう思っていると、少し離れた所から「2000万円!」という声がした。
それを聞いて、彼女はふうっと大きく息を吐きながらほっとした。
すると、近くで「2050万円!」という声がした。
よく見ると、その人は先程1900万円と言った人だった。
(よし、その調子よ。このまま競り合いになってもっと上がってくれれば言うことはないわね。)
さっきまでどうなるか不安がっていた蓉子は、いつの間にかこのような考え方をしていた。
その後も数秒~十秒程度の沈黙をはさみながら値段は50万円~100万円単位で上昇を続け、ついには2350万円にまで到達した。
(ここまで上がってくれれば、もう言うことはないわ。ライスパディーは売却決定ね。)
蓉子は微笑みを浮かべながら、ステージ上にいる葉月を見つめた。
(よし、納得できる金額になったようね。よかった。)
母親の意図を感じ取った葉月は、表情には出さないものの、心の中では大喜びしていた。
「2350万円!他にございませんか?」
司会者の人はハンマーを持ち上げながら、観客席に向かって問いかけた。
蓉子の近くにいた人は手を挙げようか、懸命に考えているようだった。
その様子はまるで
(このままでは相手の人に渡ってしまう。手を上げようか、それとも…。)
と心の中で言っているようだった。
蓉子は(ほらほら、手を上げなさい。)と思いながら、その人を見つめていた。
そうしているうちに、ステージでは「ございませんね!?」という声がした。
そして数秒後に、ハンマーをたたく音が会場に響き渡った。
「それでは、2350万円で落札となります。」
司会者はそう言って、落札を宣言した。
(まあ、とりあえずこの金額なら十分ね。良かった。)
蓉子は笑顔を浮かべながら、ステージを見つめた。
しかし、ライスパディーと葉月がステージから消えてしまうと、次第に不安がつのるようになってきた。
(さあ、しばらくしたらライスフィールドが出てくる。この馬はどれくらいの値段がつくのかしら?パディーと比べて小柄だから多少安くはなるかもしれないけれど…。)
彼女はそう思いながら、ライスフィールドの登場を心待ちにすることにした。




